Fate/dragon’s dream
理の剣
「チッ、ひでぇなこりゃ」
ザシュ!
「……? ちょっと。さっきから何やってるの?」
「あん? ……あーそうか、普通の人間には見えねぇんだなこいつらは」
ザシュ!
この洞窟に入り込んでから、ジークフリートは時折剣を振り回している。私にはまったくなにも見えないし、気配も感じないのだけど――
「フォルカー、見せてやれねーか?」
「お安い御用だよ」
「って、他人の魔力回路勝手に――」
――もちろん。言ってどうにかなるものではないことは分かっている。
(あ、ツッ……)
これがどうにも慣れない。自分じゃない意思によって、自分の体で魔術を施行される感覚。
――癪だけど。はっきり言って私が自分で魔術行使するより、遥かに回路の使い方が上手い。……いや、次元が違う。なにせ私自身は、回路のどのあたりが使われているかさえよく分からない。
術式とその処理の大部分は魔書の方の回路を使ってて、発動させるために私の回路を使っているらしい。魔書の方から魔術施行のパケット(命令の束)が送られてきているんだけど、検閲するヒマもなく施行に入る上、ぎりぎり間に合ったモノに関してはなにがなにやらさっぱり。
むしろこんな、基本骨子から発動経路までなにからなにまで違う古い術を、いきなり私の魔力回路で発動させることができるという、その事実の方が驚きだ。
……まったく……こんなんじゃどっちがオプションか分かりゃしないじゃない……。あーなさけな……。
「Thg is」
フォルカーの詠唱は一瞬だった。始動キーと共に左手の魔書から魔力が流れ込み――
次の瞬間、赤い炎のような光が私の身体の周囲を回り始める。その光に照らされて
「――! な、これって――!」
――洞窟のそこかしこの陰に蹲るナニカ。それは、人と獣の合いの子のような奇形の影。影の体に紅く燃える瞳が、あちらこちらの岩陰から覗いている――
「実体化はできないようだがな。そいつらはヨドミが凝集したもんだ。それと――それに引き寄せられたウィスパー(雑霊)にナイトメア(低級怨霊)がちらほら、か」
ザシュ!
さっきから剣を振るってるのは、どうやら近寄ってくるこの獣を切り伏せているしぐさだったらしい。
「……なんなのこれ。ヨドミってたしか」
「毒気だよ毒気。ほれ、あっちの橋向こうの街のド真ん中に変な広場があっただろ。あのへんに溜まってる気配をもっと濃くしたようなやつだ。あっちのは薄れすぎてて、どっちかってぇと呪いの残渣みたいなもんだったがな」
ザシュ!
「……て、ことは」
「おいフォルカー。今ユグドラシルに居座ってるのはサーヴァントの一種だって言ってたよな」
「ああ、復讐者というクラスで過去に召還されたどこかの英霊が変貌したものらしい。おそらく反英雄だったのだろうね、すっかり悪竜として出来上がってしまっている。
もっとも、ヨリシロとなるマスターがいないため、の影響範囲から外には出てこれない。無抵抗のようなものだが、普通の人間には近寄れない厄介者だ。別に君なら何の問題もないだろう?」
「はん、なるほどな、反英雄か。じゃ、ま、しょうがねぇか」
ユグドラシル? それは北欧神話における世界を支えるとねりこの大樹の名前だ。なんでそんな名前がこんなところで出てくるのだろう……? それに反英雄が悪竜化するっていうのはどういうこと……?
フォルカーもジークフリートと同じか、それ以上にコトのカラクリを知っていそうだが――
――どうも胡散臭い。ジークフリートとファフは多分もう何も含むところはないだろうと思う。だけどフォルカーはおそらくまだ何か隠している。さっきフォルカーはこんなことを言っていた。
『流石の私も肝を潰しましたよ。まさかあの少年があのタイミングで、よりによってハーゲンの宝具をしようとは。彼の宝具、『ダインスレフ(血の復讐者)』は半ば意志を持っていてね、おそらく本来の所持者であるハーゲンを『呼んだ』のだろうが――』
これはありえない、と思う。なぜなら、士郎と言えどその宝具が経験した固有の時間まで投影するのは不可能だろうからだ。
士郎は宝具を呼び出しているわけではなく、固有結界に取り込んだイメージを介して投影している。その投影品は、おそらく大抵の術者では真贋を見分けることさえ難しいシロモノではあるが、それが贋作であることは疑いがない。
したがって、投影したダインスレフがハーゲンを呼ぶ、などということはないはず。そのダインスレフはハーゲンと共にニーベルンゲンの災いを駆け抜けた剣ではなく、その瞬間に士郎の手で形を与えられた別個の剣にすぎない。
さて、それが理由でないとすれば、じゃあどうしてハーゲンは士郎へ降りたのだろう?
『ニーベルンゲンの歌』によるとハーゲンとフォルカーは無二の親友同士である。なぜ、ハーゲンは親友であり強力な魔術師のフォルカーが宿る魔書ではなく、その隣にいた魔術師としては半人前の士郎と契約したのか?
それに、フォルカー程の魔術師がむざむざ半人前の魔術師に儀式の成果を乗っ取られる状況を黙って見過ごしたのななぜか。
――そしてもう一つの疑惑がある。フォルカーは私の魔力回路を制圧しているものの、セイバーへの魔力供給と令呪には全く手を出していない。これはもう何かの意図があると見て間違いない。
問題はその意図がまるで読めないこと。ジークフリートは大聖杯を破壊したあと、どうしてもセイバーと戦いたいらしい。フォルカーはそれを手助けしてるようだけど……。
フォルカーの目的は非常に抽象的なのだ。だから具体的に何を行おうとしているのかが分からず、そのための動機も読めない。動機が読めないから言葉や行動に隠された意図も分からない。
そもそも――フォルカーはその唯一最大の能力であるところの固有結界『ニーベルング・ノウト(ニーベルンゲンの災い)』を発動させているのだろうか? いや、その結界が発動しているとして、中にいる私たちにはどんな影響が出ているのだろう?
……事ここに至って、フォルカーの恐ろしさに改めて気づく。彼の意図するところはどうやら着実に進行しているらしい。だけど、私たちにはそれが何なのか――いや、ともすればそのような意図があることすら気取られていない。
――終幕の直前に至ってさえも。こいつ――策士としては、裏切りの魔女と恐れられたキャスターをも凌ぐんじゃないだろうか――
「……なぁ、凛よ」
ザシュ!
「……ん、なに?」
ジークフリートの呼びかけに、思索の淵から引き戻された。
「ちと小耳に挟んだんだがな。お前たちが以前参加した聖杯戦争についてなんだが。
お前たちは『ビフレスト(神への道)』の起動鍵を小聖杯と呼んでいたんだろう? んで、それはホムンクルスだったって聞いた」
……ああ、そういえばファフがなんかそんなこと言ってたっけ。
「――ええ、そうよ。小聖杯というのはアインツベルンの用意したマスター……ホムンクルスの魔術回路だった。その子は途中で殺されちゃったけどね。炉心となる心臓だけ引き抜かれて、最後には別の魔術師に植え付けられて」
「そこだ。小聖杯ってのはオレ達の知ってるオリジナルじゃアンドヴァラナウトに相当するもんだ。だが、たとえ魔術回路に特化させたとしても、ホムンクルスに英霊の魂を収めきるほどの容量があるとは思えねえ。
話を聞く限りでは、少なくともタダのホムンクルスじゃなさそうだが……それにしたって、サーヴァントを回収する度にホムンクルス本人の人格が隅っこに押し込められてって、最後には単なる肉の袋になる程度のことは確実に起きるはずだ。
凛、覚えてねぇか? そのホムンクルスは魂回収のための補助器となる、外付けの魔術回路みたいなもんを持ってたはずだ。魔具の類、魔術礼装――どんなモンでもいい、心当たりはねぇか?」
「……? んー……特にそんなようなものはなかったと思うんだけど。とりあえずすぐ思い出せる範囲ではなかったわね。……でも何で?」
ザシュ!
「それはね、この『外界への孔を開ける』という術式において要となる部分だからですよ」
フォルカーが言う。
ザシュ! ザシュ!
「孔を開けるには多くのエネルギーを溜めて、その状態で保持しておく必要がある。矢を射る時に弓を引き絞るね? その時弦にかかる『矢を飛ばすためのエネルギー』は腕が支える。
このエネルギーに相当するのが英霊の魂であり、腕に相当するのがアンドヴァラナウト。貴女たちの言葉で言えば小聖杯。そして腕力に相当するものが小聖杯の魔力キャパシティ。どういうことか分かるね?」
「つまり、アンドヴァラナウトなら何も問題はないけど、ホムンクルスを用いた容器なんかじゃキャパが足りなくて、魂を溜めきる前に決壊してしまうってこと? だからそれを補うための補助器があったかどうかってことね?」
「そう、『外界へ戻ろうとする力を如何に留めおくか』という部分をどうクリアするかが、『ビフレスト(神への道)』施行においてもっとも重要な肝心要の技術なのだよ。その技術の確立具合で『ビフレスト(神への道)』を施行できるかどうかが現実味を帯びてくる」
「代えの効かない魔具を使ってんなら、それをブチ壊せば連中に継承されてるビフレスト(神への道)モドキを根絶できんだろ。ま、どっちにしろ、事ここに至っちゃ今のオレがそれを為すことはできねーがな」
――ふむ。
私たちが行ったアインツベルン城の調査では、特にそれらしいモノは見当たらなかった。見つけたモノと言えば、侍女の遺体とあの燃え尽きてしまった手記だけ。
もし、聖杯戦争当時にジークフリートの言うようなモノがあの城にあったとしても、そんな重要なモノだったらアインツベルンの人間がイリヤの死後すぐに回収に来ているだろう。
ザシュ! ザシュ!
「そういえば、フォルカー。あなた『ビフレスト(神への道)』を破壊したとか言ってなかった?」
「――」
その一言でジークフリートが沈黙する。
「……ええ、まあ」
「それならその術式がどんなものだか知ってるんでしょ? それに――大体予想つくけど、どうしてそんなものが使用されようとする状況になったのよ」
「……」
「……」
私――と多分フォルカーも――の視線がジークフリートを射た。
「……んだよその目は。別にオレは構わんぞ。何気ィ遣ってんだキモチワリイな」
「って言ってるけど」
「――まあ端的に言うならば、クリームヒルト様が私たちの魂を使って『ビフレスト(神への道)』を施行しようとしたのだよ」
――はい?
「――ちょっと待って。端的過ぎる。……どういうこと?」
「どうもこうもその通りの意味です。シグルドの死によってクリームヒルト様は嘆き悲しみ、ニーベルンゲンの指輪を使ってシグルドを蘇生させようとした。そのために戦争を起こし、戦場で死んだ兵士たちの魂を無差別に指輪に集め、それを以って『ビフレスト(神への道)』を施行しようとした」
「……」
「――」
……えっと。落ち着いて考えよう。つまり。
「……英霊の代わりに普通の兵士の魂を集めて、それで外界への孔を開けようとした……ってこと? どうしてまた」
そんな非効率的なことを、と続けようとしたところでその理由に思い至る。
そうか。サーヴァントシステム――英霊を呼び出し、令呪によって使役するシステムは、間桐――マキリの技術だ。オリジナルである『ビフレスト(神への道)』には存在してない部分である。
「当然でしょう。優れた魔術の才能を持っていたとはいえ、普通の人間であるクリームヒルト様に魂を自在に扱う術はない。そんなことができたのはブリュンヒルド様だけだよ。第一、魂として英霊を使うというのはこちらで行われている改良版(聖杯戦争)だけです。
オリジナル(ビフレスト)ではそもそも英霊など使わない。魂などというものは、どんな形でも最後には『外界』へと旅立つものなのだからね。理屈では『壁』を破る閾値さえ越えればいいのだから。
質を見分けることができないならあとは量しかないでしょう。手っ取り早く大量の魂を集めるには戦争を起こして死者を出すのが一番いい。だから彼女は私たちと戦争を起こした。味方が死んでも敵が死んでも彼女には利点しかない」
「――――」
……クリームヒルトについての考えを訂正しよう。
気性が激しいどころではない。愛に狂った悪魔、という形容がぴったりだ。ていうか、こんなののどこにそこまで惚れたんだろう……。
当のジークフリートはと見ると、なにやら難しい顔で考え込んでいた。
うーん……今までの頭も良くて行動力もある、デキる女のクリームヒルトのイメージからはあまり想像できないんだけど……。もしかしてジークフリートにだけはデレデレな人だったりしたのだろうか――。
――あーダメ。私の理解の範囲外。……ま、そりゃそうか。そんな蜂蜜女、私には一生縁がなさそうな属性だし。おーこわこわ。
「……それで? 結局クリームヒルトの計画は上手くいかなかったんでしょ?」
「やはり量だけではダメだったようですね。使う魂にはある一定以上の純度が必要であり、普通の人間の魂だけではいくら集めたところで必要純度を得る事が出来なかったらしい。
だけれど、クリームヒルト様は、いったいそんな技術をどうやって手に入れたのか、魂の精製を行う魔法陣を作り、この問題を解決した。……実際のところ、彼女の願いはあと一歩で成就していたのだよ。中核となる魔法陣には術式の通りとねりこの大木を使い、それと二つの精製機を連動させて巨大なシステムを作り上げていた」
ああ――そうか、それで『ユグドラジル(世界樹)』なのか
「なるほど――とことん神話をなぞってるわけね。でも、それじゃ『杯』っていうのは?」
「――ユグドラシルの心臓となる『回路基点』となるモノだ。『杯』ってのは隠語で女性を指す。アンドヴァラナウト(指輪)を嵌めた女性が自らの身を木に吊るし、外界と『繋げる』わけだ」
「……そして露出した壁を指輪でぶち破る、か――オーディンが九日九晩世界樹で首を吊って、冥界からルーン文字を持ち帰った逸話の見立てなのね。でも、そんなことしたらその杯は」
「もちろん死ぬんだろうな。とどのつまり、流し込む魔力を受けるためのさかずき(器)だ。膨大な魔力に変換された他者の魂なんぞを注ぎ込まれたら、まず人格は消し飛ぶ。普通の人間の魔術師なんぞ間違いなく即死か、よくて発狂だろう。
ま、生きてようが死んでいようが、『女性』という概念と結びついた魔力回路があれば基点になりうるみてぇだから、あとは適性の問題なんだろうよ。――オレはこれ以上は詳しく知らん」
「――私が語ることができるのもここまで。あとは――ハーゲンに直接聞いてくれよシグルド?」
フフフ、と本が笑う。
「……」
ザシュ!
ジークフリートはむっすりと押し黙ったまま、近寄ってくる影の獣をまた一体切り伏せた。
……って、
「……ちょっと。増えてきてない? その影の獣みたいなの」
「増えてるな」
「囲まれてるように見えるんだけど」
「気にすんな、お前らに害はねぇよ。こいつらはオレに群がってきてるだけだからな。
……しっかしめんどくせぇな。あんまり集まられると凝集して実体化しないとも限らねぇし……こんなときグラニのヤツがいりゃーな」
「――呪いを引き寄せる体質に、どんな歪みでも切り伏せてしまう剣、か。なんとなくだけど、ファフの苦労が分かったような気がするわ」
「そーなのよ分かってくれたのねもー酷いのなんのただでさえ厄介事が向こうからやってくるってゆーのにシグったらいつもいつも自分から首突っ込んでそれで痛い目を見るのはいつもいつもあたしだしほんとにもー痛さに対してはむしろホンモノの竜より鈍感でこれはもうあたしを痛がらせて楽しんでるだけじゃないかと小一時間と言わず丸一日問い詰めたいと常々そう思ってたけどそっちのケでもあるんじゃないでしょうねそこのところどう思う凛さん!?」
ふわりと。突然ジークフリートの周りに、積もりに積もった恨み言をわめき散らす青い霧が立ち込めたかと思うと、次の瞬間にはもはやお馴染みとなった少女の姿が立っていた。
「おう、、で、どうだった」
「別にシグに期待なんてしないけどさ、おかえりぐらい言いなさいよもー。……三人とも来るって」
何事もなくスルーするジークフリートもすごいが、いきなり素に戻るファフもすごい。そしてたった二日一緒だっただけで、これがきっと彼らの日常なのだろうと納得している自分も。
「ご苦労さま、ファフ。素直でないシグルドに代わって礼を言うよ」
「フン」
「――凛さん? 心配?」
「……フォルカーに負けた時点で覚悟はできてるわ。第一こんな状態じゃジタバタしたってどうしようもないし。――ま、士郎とセイバーのことだからなんとかなるでしょ」
もちろん心配でないわけない。でも――残念だけど、今私ができることはなにもない。今は士郎とセイバーを信じよう――ああ、それと未知の能力を持つジェネラルのサーヴァントにも期待させてもらおう。
「さすがに冷静ですね。勝算は?」
おもしろそうにフォルカーが言う。
「なんとかなるんじゃない? ま、こうなった以上私がそのへんの心配してもしょうがないでしょ。私は頭脳戦でのバックアップに回ることにするわ」
――あなたの企みを突き止めて、ね。心の中でそっと付け加える。
「ほうほう、彼らは貴女の最大の信頼を得ているわけだね。美しき友愛かな!」
おどけるフォルカーは、私の精一杯の皮肉をどう受け取ったのか――
「ねーねーシグ。グラニやっぱりよべ(召喚)ないの?」
「ダメだな。何度か試してんだがウンともスンとも言わねぇ。クラス分けされたときに切り離されたらしい。一体誰が考えついたかしらねぇが、この令呪ってヤツぁなかなかとんでもねーな」
ザシュ!
向こうの方では、面白がって影を挑発してるファフと、彼女を追っかけ回している影を切り伏せているジークフリートが何か喋っていた。
グラニ……えーっと、 たしかジークフリートがオーディンからもらった神馬だっけ……?
「……そういえば、ドラグーン(竜殺し)もジェネラル(将軍)も、いままでの聖杯戦争では聞いた事ないクラスね。あなたが設定したの?」
「ああ、少しばかり弄りました。仕方がなかった、なにしろ『セイバー(剣の英霊)』は埋まっていたからね。残ったクラスで該当しそうなのは『ライダー(騎兵の英霊)』くらいでしたが、グラニの魔力が大きすぎて、おそらくグラムは使えなくなってしまう。
それなら新規に『ドラグーン(竜殺し)』を設定してあてがった方が、より本来のエインフェリアル(英霊)に近い状態で呼び出せると考えてね。
もっとも――シグルドについては設定の大部分が大聖杯の方で勝手に行われたけれどね――まるでシグルドをそのクラスで呼ぶことが想定されていたかのように。
だから主に私が手を下したのはハーゲンの方でしたよ。まさか『バーサーカー(狂戦士)』で召喚する訳にもいかなかったしね」
フフフ、と笑う。
ていうか、グラムが使用不能になるくらいの存在なのか――その馬は。
「そりゃそうだ。何しろ神格だけならオレと同じほど高いからな。白馬の姿をしてるがれっきとした神獣だぞ? 人の言葉は通じるし頭もいい。なにより最高の毛並みなんだ。自慢の相棒だぜ」
「へぇ……白、馬……」
言いかけて、ビシ。世界が、音を立てて凍りついた。
――なんて、コト――
そう――そうだったのだ。私は――失念していた。いや……無意識の内に、気づかないよう思考に封印をかけていたに違いない。
――それは、決して言葉にしてはならなかった禁忌。明かされてはいけなかった事実。照らされてはいけなかった暗闇――!
『ライダー(騎兵の英霊)』。
気づいて――しまった。
――ジークフリートほど、このクラスと相性がいい英霊もそういないであろうことに。否、破滅的に相性が悪すぎる英霊もそういない、と言い直すべきだ。絶対。自分のうかつさ加減に呆れ果てる。
――白馬グラニ。無二の相棒と、彼は言う。それは当然だ。なぜなら――おそらくライダーとして召喚された彼らは、ある凶悪極まりない宝具を有するはずだから。
それは知名度による補正を受け、冬木市の人口の半数を一瞬で死滅させる悪夢の兵器となるだろう。
老いも若きも――乙女という名の戦場を駆け抜けた女性たちなら誰もが知る、その宝具の名こそ――
『ホワイトナイト(白馬のおうぢさま)』、と言う。
――血みどろの乙女ロード(道)を駆け抜けた戦士たちの全てを破壊する、残酷な現実だった。
だって。『眠り姫』や『いばら姫』――眠りについた乙女が、王子様のキスによって目覚める物語ってぇのは――ジークフリートがブリュンヒルドの封印を解いた逸話を、その元型としているのだから。
要するに。よく物語に出てくる白馬のプリンス(王子様)の元型こそがこいつ。オリジナルオブ白馬の王子様。
あはははは――ありえない。これは詐欺だ。インチキ――通るかっ……! そんなもん……!
「あん? どうした、何悶えてやがる」
脳に蟲が這いずり回るようなおぞましい痒みにのた打ち回る私を、ジークフリートが覗き込む。思わずその顔に、変なフィルターをかけて見てしまって――
(あぅあぅああぅあぁぁぁぁぅ――――こ、この私を、想像だけで脳死寸前に追い込むなんて――! さすがにやるわねジークフリート……!)
ナチュラルに死にそうになった。
「あー……」
なぜか通じたみたいでジト目で見つめるファフを、不思議そうに見返しつつクエスチョンマークを飛ばしている白馬のおうぢさま――ってそれはもういい。
「ま、まぁ――それはおいといて。……そのグラニがいればどう楽になるっていうのよ。一気に振り切れる――とか?」
普通に考えれば、大変な駿馬なのだろうということは予想がつく。が。
「いや、見えなくなるだけだ」
……。絶句。
「――一応聞いてあげる。なにそれ」
「そのまんまよ、透明人間になるの。グラニは自分と自分に乗ってる人が存在する世界の位相をずらすことができるのよ。存在の座標軸をずらすわけだから魔力も感知されない。第六感が異常に優れてるか、気配そのものの探知能力に長けた人でないと発見は難しいかもねー。
それと、結界とか布陣とか、その世界に対してかかる魔術は全部素通りよ」
「ブリュンヒルドの固有結界で覆われていた山に迷い込んだのはあいつのせいだ……あのヤロウ、ちょっと寝ちまってよだれ垂らしたくらいでブチギレやがって」
「そのあと一週間くらい山中に放置だったよねー……固有結界の中だったから歩いて外に出られなかったの……」
……なるほど。今更ながら、こいつらが半年前の聖杯戦争に出てきてくれなくて助かったと思う。
あらゆる攻撃を跳ねのけ、弱点と言えば背中だけという鉄壁の法鎧と、神秘を切ることに特化した最強の魔剣を有するセイバー。
魔力どころか気配さえ探知できず、アサシン並の隠密行動を行い、更には異なる位相世界を自在に行き来し、結界さえも無視して見えない攻撃を仕掛けてくる不可視のライダー。
――どっちになるにしても冗談じゃないわね。あ、でも待って。フォルカー(触媒)は私の家の地下室にあったわけで。……もし、、私が時間を間違えず、ちゃんと最大魔力を発揮できる時に儀式をしていたらあるいは――
……アホらしい考えに走るのはやめよう。それ以前に、本人も言ってたけど、聖杯戦争にジークフリートが現れると、今この状況のように聖杯戦争そのものが完全に終結してしまう。
イレギュラー(特異点)とはよく言ったもの――ジークフリートは極めて強力であり、まさに聖杯戦争にうってつけの英霊はあるが、同時に絶対に呼び出したらいけない英霊なのだ。
「そーか……グラニってたしかオーディンの愛馬の子供だったっけ。道理で神格が高いわけね」
……って。
「――待って。グラニの能力って神獣としての能力なのよね? ってことは、その親にあたるオーディンの愛馬、スレイプニルって」
『滑るように疾る者』という意味のスレイプニルは、天を飛び世界を飛び越え死者の国にまで至るという、八本足の馬である。
オーディンの宿敵ロキが雌馬に変身して産み落としたとかいう馬なので、むしろ純粋に神に近い存在なのだろう。神話の伝承とグラニの能力を考えるとひょっとして――
「ああ、あれは毛並みも体躯もホントに見事な馬だ。グラニもいい馬だが、流石にあれにゃあかなわないな。あんな馬は他にいやしねぇ」
「そうじゃなくて! スレイプニルってグラニの親なんでしょ? なにか能力もってないの?」
爺のやつ一度も貸してくれたことねぇんだよとぼやくジークフリートを呆れた目で見るファフに、シグは馬好きなんだよー、と耳打ちされる。
「ああ、なんだそっちの話か。そりゃお前、能力は輪をかけてすげぇぞ。なにせ位相どころか並行世界を自在に跳躍しやがるんだ」
……やっぱり。
「実際、グラニの能力は素晴らしいけれど、あれでも相当薄まっているんだよ。スレイプニルの『彼岸なるものの証(灰色の毛)』はグラニには引き継がれませんでしたからね。
なんでも、スレイプニルの足が八本あるように見えるのは、並行世界跳躍術を応用した、同一世界における複数同時存在――多重次元屈折現象というものを使ってのことだとか」
――。もうなんでもアリだ。流石は神々の世界……私たち(魔術師)の羨望と畏怖を、まるで隣の家の便利な家電製品かなにかのように喋ってくれる。
やれやれ――
なんだか、ここがどこだか忘れてしまいたくなるような空気。一見すると、それは緊迫感を欠いたお茶の間の団欒のような時間。
だけど。もうここは、あの、時の彼方の真実を垣間見た教会の一室ではない。既に、ダイスは振られたのだ。
ジークフリートとフォルカーはどんな風に思っていたのか分からなけど、ファフニールの饒舌はきっと、洞窟の奥に進むにしたがって変化してゆく、あたりの雰囲気を感じ取っていたからに違いない。
――終わりが、近いと。
それは、空間と時間の辿り着く結末。もうすぐ、彼らは消える。たとえ結果がどうなろうとも、それだけは絶対に覆らない。大聖杯を破壊するならば、ジークフリートたちがこの世界に留まることはできないのだから。
否、もとより彼らにはそんな気など微塵もないだろう。きっと彼らは、最後まで笑いながら、本当に何事もなかったかのように彼らの世界に帰っていく。
歪な日常の終焉。二日間――そう、たった二日間の虜囚だった。その中で私は、英雄という伝承の中にしか存在しなかった彼らと交錯し、そして人として日常の中にいる彼らを知った。
別離が寂しいとか、そんな感傷に浸ることはない。しかし、変化という大きな潮流の境目では、人は自然と過去を想い、未来に願いを託すもの。
現実とは流転であり、出会いと別れは同一。なればこそ、人は永遠という――変わらない何かに思いを馳せる。無限に続き、繰り返す、終わらない幸せ。
――だけど、それは手に入らないからこそ尊いもの。もしもソレ(永遠)を掴んでしまったならば、その時全ての時間は止まり、あらゆる進化を停滞させるだけの――澱みへと反転する。
それを払うのが竜殺し。永遠の終わりをもたらすモノ。永遠を永遠として輝かせ続けるために存在するモノ。ずっとずっと、覚めない夢を見続けていたい――そんなヒトの切なる願いを、彼らは笑いながら終わらせる。
憎しみと――そして、きっとそれ以上の感謝を受けて。愛するからこそ終わらせる――その矛盾に、自らの血を流しながら。
――ああ、それはなんて歪な想いのカタチ。
そして――気が狂いそうなくらい正しい、世界の理――
――最果てへ、ようこそ――
徐々に感じ始めていた空気の変化は、既にピリピリと肌を刺すほどの変貌を遂げている。たちこめる何者かの感情。周囲に満ちるマナに乗った脈動する生命の息吹が、この上もなく醜く、むごたらしい。
だけど、一体いかなる感情が、こんな奇妙な気配を醸し出すものなのか。言うなればそれは、恐怖と歓喜。背筋凍りつく悲鳴を以って歓声を表現したようなモノ。
そこは。この夜の終着点。半年前のあの時に、辿り着いているべきはずだった場所。……いや、違う。ここに辿り着いて、私は初めて知った。
ああ――そうか。聖杯戦争は、まだ、終わっていなかったんだ――
「――ひどい」
「……」
ファフニールから震えた言葉が零れ落ちる。ジークフリートは腕を組んで仁王立ちしたまま、前方を凝視していた。
異界を思わせる荒野が広がる。天蓋はどこまで高いのか見当がつかない。はるか彼方に聳え立つ一枚の岩壁――そして、その向こう側に
「あれ――が――」
天に沈む黒き太陽。卵の中で蠢動する歪な胎児。アンリマユ――この世界において、真なる受肉を行おうとした反英雄の姿があった。
それを捧げ持つかのように、壁向こうの地より屹立するは漆黒の塔(胎盤)。溢れ出した膨大なマナが発光し、照らし出されたその世界には――
キシャァァァァー……
耳を覆いたくなるような金切り声が満ちる。あちらこちらに見える赤い光は、黒い太陽を仰ぎ見るかのように地にへばりつき、思い思いに怨嗟と歓声を上げていた。まるで、神の威光に縋ろうとする狂信者のように――
そう。天に在る、吐き気を催すおぞましい存在は、同時に眼を覆いたくなるほどに神々しい存在だった。
生まれ出でようとする生命の躍動。祝福と呪詛は、指向性のみ正逆であるが故に等価である。世界中の呪いを受けて生まれようとするその存在は、世界中の祝福を受けて誕生するモノでもある。
もしも――あの黒い神父が、生きてこの光景を見たならば。存在してはならない神の誕生を前に、その僕としての責務を果たさんとしただろう。
――だけど。その歪んだ意志と同じ程、この邪悪な神を祝福するものがある。それを有するは、最強の竜殺したる、白き英雄。
祝福するが故に、彼は存在してはならないものを滅ぼす。善悪の観念からなどではない。初めから、そんなものは彼には存在しない。
――ただ一つの理由。
――それは、理だから。だからこそ、私はこの後に繰り広げられる光景を確信している。
勝負にすらならない。ジークフリートは、一撃のもと、無抵抗のアンリマユを消滅させる。それが、『ロード・オブ・ドラグーン(最強の竜殺し)』の意味なのだから。
無数の影の獣たちは、思い思いにこちらの様子を伺ってはいるものの、決して近寄ってこようとはしない。
――彼らとて、分かっているのだ。
「とてつもないマナ――これほどの魔力を蓄えた場所は、おそらく他にないだろうね。おぞましいが、素晴らしい」
心なしか、フォルカーの声も浮き立っているように思える。どれほど人外のモノになったとしても、魔術を扱う存在ならばアレに驚異を感じないはずがない。
「――想像以上にひでぇことになってやがんな。以前に入り口を探って見たときからただごとじゃねぇとは思っていたが――まさかこれほどとはな。
こいつぁマジで殲滅クラスの代物だ――なんで今までお呼びがかからなかったんだろうな? それとも――予定調和ってやつか」
――もっとも、彼とファフは、この恐るべき魔力を前に私たちとは全く違う感情を抱いている。
ニヤリと、口元をゆがめるジークフリート。彼は今、私たちと出会ってからついぞ見せたこともないほど――憤怒に駆られていた。
――何に、対して?
「――シグ、早く、終わらせてあげよう。あの仔には、この世界は明るすぎるよ」
「おうよ、分かってらぁ。早速やるぞ、準備しろファフ」
「うん」
――最後に、よく見ておこう――
そんな風に、私とファフの視線が絡み合う。そこには、別れの悲しみも、戦いの決意もなく、ただ――
「――ん」
差し出された、ソレに目を落とした。
「返しとく。今返さなかったらきっと、もう機会がないから」
翡翠の、小鳥。
――こいつは――最後だっていうのに、何くだらないこと言ってんのよ――
「いい。それ、あんたにあげる。ほんとは箱ごと上げるつもりだったんだけどね。持ってきてないんでしょどうせ」
「いいの?」
「いいわよ。でも、ヴァルハラ(英霊の座)に戻っちゃったら――」
「うん、それでもいいよ。――ありがとう」
ファフはそれ以上言わず。すい、と前に出た。
「準備、いいよ。――シグルド」
「いくぜ、『ファフニール(闇を抱く竜のまどろみ)』」
噴出する青き霧。その中で――
奇跡が、起きていた。他に言い様がない。そこには、神秘がいた。
海を思わせる透き通った深青の鱗の肌が、滑らかな曲線を描いて尾へと流れている。背には美しくも雄々しい翼が一対。四肢には爪の先まで力が漲り、大地を掴む。歪な角を生やしつつも見事な流線型を保つ、水晶細工のような顔に輝く二つの瑠璃玉。
そして、頭頂部より翼の間を通り抜け、尾部へと流れ落ちる黄金の鬣。
小柄な、竜だ。まだ幼体。翼を含めても、その全長は4メートルほどだろう。体躯は人間の男性を一回り大きくした程度しかなく、全体的に滑らかなラインに覆われていることから、奇妙に女性的な印象を受けた。
その姿を見た時、
(――あ――)
直感的に、理解した。これは、無くてはならず、在ってはならないものだ、と。美しい。否、美しすぎる獣。人がソレを手にすれば、それだけで手垢がついてしまいそうな――触れることさえ、冒涜になる美。
――なんて力強く、なんて華奢な存在。ソレが、
クオオォォォォ――――――――――――ッ……
細く、高く、咆哮した。途端。耳障りな影の獣が上げる歓声がピタリと消え去る。同時に――その世界に存在する全ての赤い瞳が、一斉にこちらを射抜いた。
(――ッ)
砂を蹴って、後ずさる。そんな私たちを、まるで庇うかのように、竜と化したファフニールがその翼を広げた。重量を感じさせないほど軽やかに、わずかな羽ばたきで竜が浮き、そして――ずぶずぶと。
竜は浮いた身体を丸め、尾からジークフリートの腰付近へと沈み込んでいった。尾から後ろ足。そして下半身までを完全にジークフリートと一体化させたファフニールは、その上半身から伸びる前足を、まるで彼を背後から抱きしめるように肩口から胸へと伸ばす――
いつのまにか。白の鎧を透け、鈍く青色に光る直線で形成された幾何学模様が、ジークフリートの身体のラインに沿って浮き上がっていた。
――これが、『ファフニール(闇を抱く竜のまどろみ)』の、そして『ドラグーン(竜殺し)』ジークフリートの、真の姿――
その背中を、見つめる。法鎧の孔――肩甲骨の間と重なった、竜の心臓があるはずの箇所を。
「私の令呪を使います。凛、あなたの回路、今一度借りますよ」
「――分かってるわ、宣言しなくても邪魔なんてしない。アレをどうにかしたいのは私だって同じだもの。――どうせだから、協力したげるわ」
「ほう、どういう風の吹き回しだ?」
「言ったでしょ、どっちにしろアレは存在させてちゃいけない。いずれ私たちが始末するつもりだったって。だったらここで――あんたが危険を肩代わりしてくれるなら、それに越したことはない。違う?」
「ああ、違わねぇ。合理的でいいんじゃねぇか――んじゃ、頼むぜ宝石」
「ええ、まかせといて」
「フォルカー、確認しとくぞ。三発だな?」
「ああ、なんとかもたせるさ」
じりじりと、影の獣の輪が縮む。彼らは、知っているのだ。来たりしモノがなんなのか。どれほど膨大な魔力を得ようとも、例え彼らが、そのヨリシロを持ち、顕現していたとしても、
――目の前のこの男のもたらす終わりには、絶対に抗えないということを――
「退け、ブリュンヒルド(**********)」
幾度か聞いた、『頭に残らない言葉』を紡ぐ。冷たき炎は消え去り、銀(しろがね)に輝く魔剣が、その姿を表した。
キシャアァァァアアァ――――――!!!
それは恐怖か、はたまた歓喜か。60年間滞り続けたソレは、今、正にもたらされんとする終わりに声を上げる。
――アンリマユ。世界全ての悪の源とされ、ありとあらゆる悪意のゴミためにされ――それにより人間と世界を救う反英雄。
それは正英雄にして竜たるアルトリアと正逆の存在。人の原罪を清めるという、黒き願望によって形成された黒き竜。人間の全ての悪性を押し付けられ、願われたモノ。そう、それは確かに、人々が求めた、原罪からの救済という『永遠』だったのだ。
そして、大聖杯の中でその願いは、それが夢見た、否、『夢見させられた』永遠に手を届かせてしまった。
――故に、反転。到達した永遠は、この瞬間にヨドミへとすり代わる。黒き竜は穢れ、その名の示す通りの、ヨドミに侵された悪竜と化した。
アンリマユ――英語読みに直せばアーリマン。
――そう。その名こそは原罪の悪竜、誘惑の古き蛇――神の敵、魔王サタンの別名!
「全ての永遠なるものに」
引き絞られた弓にセットされた矢のごとく構えるジークフリート。左腕の本に燃え上がるような魔力が宿る。
「令呪、装填完了」
「――コネクト(接続)、完了」
そして、今――
「―――祝福を!!」
――終わりをもたらす光が、解き放たれた。途端、
『キャアァァ■アアア■■アァァ■ア■ア■■アアァァアァ■アアァァ■――――■■―■――■――――ッ!!!!!』
世界が爆発した。可聴域を越えた悲鳴が大気を震わせる。圧倒的な恐怖は周囲の全ての空気を凍りつかせ、黒き影は終末の予感にその身を歓喜に打ち震わせた。
圧縮させた魔力を爆発させたジークフリートが、一直線にクレーターに向かって突進する。
白き弾丸の行く手――影の海が裂けてゆく。それを行うは、解き放たれし光の魔剣。太陽のごとく溢れだす夥しい光に焼かれながら、決してその姿を見失うまいと眼をこらす。
炸裂した閃光に晒された影の獣達は、ただの一つも爆散の運命から逃れられない。
――目覚めたのだ。最強の魔剣が――
――士郎は、きっと始めて見た時に、あの剣がなんなのか理解してたのだろう――
それは、光による闇の蹂躙――虐殺。指向性なき光の洪水に影はことごとく陵辱され、略奪される。
光あるところに影がある――それは嘘だ。全方向から照射される光の前には、影は逃げ場を失う。あの光の前に、照らされない闇などなく。あの剣の前に、明かされない真実などない。
――それは、きっと私たち人間が、誰でも持っているもので――
「凛、シグルドの呼吸に合わせるよ――!」
「上等――!!」
――あの剣は、ただそれをもっとも単純な形として押し固めたモノなのだから――
「聖杯の誓約に従い――招かれざるマスターと」
「そのうつわ(代理人)が命じる――!!」
ジークフリート(小恒星)が聳える岩壁に肉迫し、フォルカーから流れ込む令呪の魔力を、つき出した右手へと流し込む――!!
彼方のジークフリートがわずかに剣を下げ、膝に力を込めるよう、重心が低く沈み込んだその瞬間、
『とべ(飛翔)!!』
二人の声が重なり合い――魔書の令呪が解き放たれた。跳躍と同時。恒星は打ち上げられた彗星となり、一直線にヨドミの中心に向かって飛翔した。光の残滓を尾と残し、天の逆月へ駆け上がる――!!
クオオオオオオオオォォォォォォッ!!
背の竜が、一度だけ大きく羽ばたく。風を切り、闇を退け――そして。咆哮が響き渡る中、歪な胎児の直前で、彼はその手に握られた剣を大きく振りかぶり
――其は理の剣。真名を――
「“グラム(ANIMUS)"」
振り下ろされたグラム(剣)の軌跡に沿って、眼前の世界がまるごとつるりと二つに滑り落ちた。
それが。世界を震撼させるはずだった魔王の――
そして、アインツベルンの妄念が産み出した悪夢の――
――あまりにも、あっけない最期だった。
「まだ終わっちゃいねぇぜぇぇッ!!」
バサァッ!
大跳躍の頂点、上昇飽和の一瞬、その無重力状態。翼が大きく羽ばたき、――びちゃりと、赤い血が跳ねた。それはファフニールの血。そして、己の血。
真名を展開したグラムの余波は、竜をまとう己自身をも傷つける。
彼は想う――心地よい痛みだ、と。
黒い胎盤は、胎児の消滅とともに溶解を始め、ねばねばした粘性のある泥となって崩れ落ちてゆく――その杯を満たしながら。
竜の羽ばたきによって中空に滞空しながら、ジークフリートはその目を下方の深淵、眼下に広がるすり鉢状の巨大な魔術回路……アインツベルンがヘヴンズフィール(天の杯)と呼んだものの中心に向けた。
わだかまる竜の毒気、ヨドミ。60年に渡り、黒き胎児から滴り落ちた、呪いの泥。その視線は、凝固した闇をつきぬけ――
――シグ! あそこ!――
ファフニールの念話は、ジークフリートと同時に、求めるべきものを見出したことを告げた。
そして彼らは、浮遊を解き――地の底に向かいヘヴンズフォール(堕天)する。ヨドミの海へと。剣の光は未だ失われず、否、むしろ一層強く輝き、道を指し示す。
漆黒の闇を落下する。途中、巨大な円形のステンドグラスの中心を突き破り、いつかどこかで見た、懐かしい日々を通りぬけたような気がした。
逆手に構えた剣をしっかりと握り直し、その中心たる回路基点、ヘヴンズフィール(天の杯)の心臓に向かって落ちてゆく。
――シグ――あれって――!! フェイク(人形)だ!――
――クズども――! どこまで悪趣味でいやがる!――
二人は、知らない。ソレ(基点)こそは、自らの身を生贄の杯として捧げた冬の聖女。リズライヒ・ユスティーツァ・フォン・アインツベルンの、なれの果てということを。
すり鉢状の奈落の中心――その一点に埋め込まれた聖女の心臓に、まるでグラムの切っ先が吸い寄せられるように。
長い長い夢の、始まりと終わりの、その刹那――
彼女が最初に望んだものは、果たしてどのような最期だったのであろうか。
「終われ、終わりなき夜よ!!」
――そして、安らえ!!――
こうして。200年に渡ったアインツベルンの、極東の島国における聖杯探求の旅は、
――ここに、終わりを告げた。
「……ふむ、まずは一回。イレギュラー(邪魔者)は首尾よく消えてくれたね」
「フォルカー。一つ聞いていい? ――どうしてあなたはさっきから、そんな面倒な回りくどいことをやってくれてるの?
あなたは、私の魔術回路なんて通さなくても術を発現させることができるはず。私の回路と接続することは、あなたにはなんのメリットもない。むしろデメリットしかないわ。私はあなたとの接続から、あなたの回路を探ることができる――」
「おお、あそこがおあつらえ向きだ。あの岩壁はテラスのようになっていて、俯瞰するのに丁度いい。――ふむ、運がいい、崩壊も及ばないようだ」
「――フォルカー」
「シグルド達は己の役割を半分果たした。さあ、行きましょう。私たちは私たちの役割を果たしに。――そして貴女も、貴女の役割を果たしに」
「――
……そういう、こと……。あなたは、そのために、こんな――
……いくらなんでも、範囲が広すぎると思ってた――なんのことはない。物語そのものなのね――あなたの力は。
ああ――そっか。そうよね、あなたはそれを隠したりなんてしてない。最初から、自分で言っていたものね。だからあなたは、本という形に拘ったんでしょう?
でも――それじゃ余計に……おかしいわ。その場所に『災い』と同じ下地がないと、あなたの物語は定着しないはず。この場合、演技力なんてどうでもいい。役者に必要なものは適性のはずよ。そんなもの、私たちには――あなたの力で思考に方向性だけ付与できると言っても、そんな程度のことじゃ――」
「答えを出すにはまだ早いですよ。――なにせ、私たちはまだ全てを見届けていないのだからね」
「……そうね。なら、私はあなたの器としてその役を演じ、そして私の役を果たすことにするわ。――全力でね」
「それがいい。――さあ、特等席へ」
崩壊する大聖杯のクレーターの底。グラムが引き抜かれ、かつてユスティーツァと呼ばれたモノは水の飛沫となり、砕け散っていった。
――なんて、酷いことを……! バッカじゃないの……!? こんなモノ(人形)で……!――
ファフニールの憤慨に応えはない。ジークフリートは、降り注ぐ岩壁の破片の中、呟く。
「これで澱んだ夜は終わった。あとは朝を呼ぶだけ――
――どこにいやがる。――フェイスレス(無猊の乙女)」