Fate/dragon’s dream
暗躍
「……私は、凛を助けることができなかった――」
「セイバー……」
「なに、お主のせいではない。橋の崩壊はあのバカが考えなしに剣を振るったせいだ。それはともかく、セイバー殿、やはり最後に橋を爆破した魔力について心当たりはないかね?」
「――はい……。確かにあの竜の少女から発せられたように見えたのですが……」
「――フム。解せんな。俺の知る限り、ファフニールには攻撃能力は全くない。そんな広域を破壊するような魔力など放出できるはずがない。
あの魔力はジークフリートの不始末の証拠隠のために放たれたものに相違ないだろう。グラムの斬撃は鋭すぎるでな、切断面を見れば、人の世になにか尋常でないことが起こっていることを知られてしまう可能性がある。おそらくそれを消すためだと考えられるが――」
「……」
「フム、まあよかろう。とりあえずセイバー殿、今は傷を癒すことに専念してほしい。どちらにせよ今はジークフリートにとっても身動きが取れない状況だ。この機に体勢を立て直しておくことに越したことはない」
「はい――。……凛は、必ず取り戻して見せます――」
セイバーは使命感からだろうか、苦しげに目を細めていた――
「……というわけなのよねー」
「――つまり、あんたらがやりすぎたせいで橋が落ちて、そのせいで街が今大混乱していると――」
「そーいうこった。ま、苦情はハーゲンの野郎に言ってくれ。オレは知らん」
バンッ!!
「『オレは知らん』じゃないでしょーがぁっ! あんだけ考えなしに振り回しておいて何言ってんの!」
「あの状況じゃしょうがねぇだろうがよ。野郎ちょこまか逃げ回りやがって……」
「ほほう。あんだけ逆上しておいて当たらないなんて言ってるんだ。まったく、いくらなんでもはしゃぎすぎ。少しは頭冷やしなさいな」
「むぅ……」
……さっきからジークフリートの元気がないのはこのせいか。
それにしてもこの二人……伝承においては宿敵のはずなのに、漫才的に息が合ってるわね……。
「ま、何はともあれそういうわけなんでな。しばらくバレないためにもお前さんを解放するわけにはいかねぇってことだ。一応こいつが監視だが、外に出ないでくれりゃ別になにも言わねぇよ」
「それって私があんたを殺そうとしない限りってこと?」
精一杯挑発してみるが、ジークフリートは
「あん? いや、別に構わねぇよ。ついでに失敗してもあんたには手を出さねぇ。どうせあんたにゃオレは倒せない。それは自分でよく分かってるだろうが」
――見抜かれてるし。ま、当然か。
「お前さんの魔力は力の転換と流動制御ってところだろう。なら、魔術による直接的な戦闘能力はさして怖いもんじゃない。お前さんが魔力を込めてた宝石はとりあえずオレが有効活用してやったから手持ちがないはずだ」
「――ちょっと。別に中の魔力はいいから外側(ほうせき)だけでも返してくれないかしら。宝石魔術師はいつでも財政圧迫されてるって、あんたなら知ってそうでしょ」
「まあそりゃそうだ。だが、それはこっちの知ったことでもないな。誰が弾の入ってない銃を持ってるやつに、わざわざ弾を渡すってんだ」
「へぇ。竜殺しジークフリートともあろう英雄が、こーんな若い魔術師に遅れをとるかもしれないって思ってるんだ。それは光栄ね」
「フ、くだらねぇ挑発だな。ごくわずかでも可能性があるってことが分かってる限り、それを叩き潰しておくのはこんな場合では定石だ。それにオレを倒すためじゃなく、こいつの目くらましにでも使ってここから逃げ出すことにだって使える。てわけで、お前さんの申し出は却下」
「――引っかからないわね。そんな冷静なのになんで昨夜は荒れたわけ? それに私を助けたのだってどういう風の吹き回しなのよ。そこんところが分からない限り、助けてもらったとはいえ私もあんたたちのことを信用することなんてできるわけないじゃない。
第一、私のサーヴァントを散々痛めつけてくれちゃってるし、それで『お前に危害は加えない』なんて信じられると思う?」
「昨夜については――まあ、あんまり弁解はできんな。だがな、考えても見ろ。自分をぶっ殺してくれた野郎が現れたんだぞ。ついついカッと燃えちまってもわるかねぇだろう」
「なーにが燃えよ……。シグが単純なだけで―――ひっ!? きゃ、きゃはははははははは!!!」
突然、向こうのソファの上でごそごそなにか箱のようなものをいじっていたファフニールが笑い転げ始めた。
「な、何よ突然!」
「ひゃっ……ちょ、だ、ダメ、キャハハハハハ! こっ、こらシグひぁはははは!! あ、ああっ、ご、ごめ……ひゃはははははは!!」
「だ・れ・が・タ・ン・ジュ・ン・だっ・てぇ?」
――なんというか、その、形容しがたい光景だった。
ジークフリートが自分の脇の下に手を突っ込んでワキワキ動かすと、呼応するようにファフニールがけたたましい笑い声を上げて床を転がり回る。
なるほど……さっきファフニールが言ってたのがこのことか。五感のうち、味覚嗅覚触覚を共有していると言っていたから、ジークフリートが自分をくすぐると相手にも伝播するってことね……。
「ひっ……ひいぃ、ごめん、ごめんってばぁ~~ゃはははは!! あ、ああうう、もう、もうダ、ダメ……ダメだよぅぅ……あぁぁ……」
床の上で尻尾をピクピク痙攣させてつっぷしたファフニールを満足げに見下ろすと、ジークフリートはやっと手を脇の下から引っこ抜いた。
「――ったく。んで、後のほうの疑問の答えは簡単だ。オレが狙っているのは竜であるお前さんのサーヴァント、アルトリアだけだ。無駄な犠牲なんぞ好かねぇしな、だったら直接アルトリアをぶっ叩くしかないだろ。
戦いさえすればオレはあいつには絶対負けねぇ。ヤツを殺さずお前さんを殺るなんてのは性に合わないし、竜殺しのプライドにも関わるもんでね」
「――なるほど。でも私はあんたなんかにセイバーを殺されたくない。だから当然邪魔をするけど――」
「だから、それはお前さんの好きにしろと言っているわけだ。しばらく教会からは出れないようにはするけどな。……ま、オレがやっているわけじゃないんだが。とりあえず捕虜としては破格の扱いだと思うが?」
「まぁ……ね。一応命を助けてもらった上に介抱までしてくれたんだもの。その点についてはお礼を言うし、信用したいけど……最後にひとつだけ聞かせてくれない?」
「なんだ?」
と、そのとき
「こ……このフカンショウオトコ~~! お、オトメの身体をまさぐるなんて……」
ファフニールが膝を笑わせながらやっと立ち上がった。が、腰が完全に砕けている。
「お前はもうちょっと寝てろ、うっとおしい」
「な、なに言ってくれちゃってんのよぅ……あ、待った、ゴメン、ゴメンナサイ、あたしが悪かったですくすぐりはホント止めてください」
後半は涙声が混じった棒読みだった。
「――まあいいか。……んで、なんだっけ」
「え? ……あ、えーと」
いけないいけない。この雰囲気に呑まれてはいけない……。
気を取り直し、私は言った。
「あなた、士郎に言ったわよね。……『お前は死の瞬間に、自分自身に裏切られるだろう』って。――あれってどうしてそう思ったの?」
予想だにしない質問だったのだろう。ジークフリートは一瞬ぽかんと口を開けた後、古い記憶を探るように眉をしかめー―
「どうしてってなぁ……女を泣かせるようなヤツが歪んでねぇわけねぇだろうが」
と、言った。
それで決めた。こいつを信用してみよう、と。
「――こっちからもひとつ聞きたいことがあるんだがな」
「何?」
「名前だ、嬢ちゃん」
「――遠坂凛よ」
「凛。凛か――ふぅん、いい響きだな」
「よろしくね、凛さん」
「……勘違いしないで。私はセイバーを生かすためにあなたたちを探る敵。――だけど」
私は一歩踏み出して、白い英雄と青い竜に向かい合う。
「助けてくれたことには礼を言うし、あなたたちのことも一応信じてあげる。……よろしく、ジークフリート」
ジークフリートは私を見ると、初めて出会ったときのように、ニッと笑ってみせた。
「――さてと」
とはいうものの、あくまで私は彼らの虜囚なのだ。ジークフリートはファフニールを監視につけると言っていたが、今、私の周りに彼女はいない。教会から外には出さないようにする、と言っていたから、おそらく部屋の中までは入ってこないつもりなのだろう。
私にあてがわれた部屋は、見覚えのある綺礼が個室として使っていた部屋だった。正直言ってあのクソ外道の顔を思い出させるこんな部屋なんか使いたくはなかったけど、まあ仕方ない。しかし、あの男が使っていた部屋ということは、なにか仕掛けのひとつやふたつあってもおかしくないから油断はしないようにしなければ。
「――とりあえず、現状把握か」
ファフニールから返してもらった服は着るときに点検したが、特に怪しい仕掛けをされているということはなさそうだった。ただ、宝石は全部没収されてしまったから、魔術的には左腕の刻印しか武装がないことになる。あとは――右腕の令呪だけど――
「これは使えないわね……」
令呪を使えばセイバーをここへ呼ぶことは可能だろう。しかし、先日彼女の受けた傷は相当なもの――いくら治癒能力のあるセイバーといえど、あれほどの傷がもう治癒しているとは考えづらい。
その上、はっきり言ってセイバーはたとえ万全の状態でもジークフリートに勝てない。呼んだが最後、それは自分たちにとって最悪の結果にしかならないだろう。それに……
(――それに……)
正直、怖い。
聖杯のない状態でセイバーが現界していられるのは、私と士郎とが彼女に魔力を送っているためだ。しかし、それだけではないような気がしている。
令呪。それはサーヴァントとマスターの、目に見える繋がりの証。強力な呪で編まれているため、それ自体にサーヴァントを現界させる力が秘められていないとも限らない。
(この腕から令呪が消えたそのときが、セイバーとのお別れの時か――)
そう考えると、たとえ一つたりとも令呪を消費するわけにはいかない――そんな気がするのだ。
とにかく今は現状把握が最優先。武装は魔術刻印のみだから、今、ジークフリートを敵に回すことは愚の骨頂。とりあえず、目をつけられない程度にあちこち歩いてみるか――
部屋の扉をそっと開け、二人の姿が見えないことを確認すると、私はさっと身を翻して廊下に出た。
(……静かね。工事してた人は、完全に追い払われちゃったのか……)
昨夜訪れたときよりも静寂の度合いが増している。というか、これは――
(……おかしいな。昨夜は結構派手に魔力の残滓があったんだけど……)
強力な暗示を使った形跡が跡形もなくなっている。こびりついた魔力なんて、普通は簡単に消えないものなのだけど……。
もちろん消そうと思えば消すことはできる。だけど、ジークフリートたちはそんなことをする必要がない。私をここに連れ込んだ時点で、彼らはもう拠点が教会だということを知られて構わないということなのだから。
(……自然に消えることないし、隠そうとしても不自然。ということは――?)
中庭に出る。あたりはシンと静まり返っていた。
(本当に放任主義ね。それとも……私を信用してくれてるのかしら)
思わず浮かんだ甘い考えに苦笑し、礼拝堂への扉を開ける。
そこにもまた、だれもいない。がらんとした空間には、もはや神すらいないようだ。
(うーん……)
なにか……引っかかる。さっきからこう、頭の中がもやもやするような感じ。なんだろうか、嫌な感覚だ。
中庭に戻って、次は奥へ向かった。ジークフリートたちが使っている部屋の前を忍び足で通り過ぎ、そのまま反対側の廊下へ出る。そこで、何気なく窓の向こうに視線をやったとき――
「な……」
声にすらならなった。なにせ、目の前に広がる教会の敷地の向こう側には――
「……なにも、ない…………」
教会は、その敷地内で『切り取られて』いた。敷地の向こう側は青い色の空だけ。丁度、教会を敷地ごと空に浮かべたような――
そして、気づく。
(こ、ここって……結界の中!?)
ジークフリートの魔力の残滓は、自然に消えたわけでも意図的に消されたわけでもなかった。
ただ単に、より大きな魔力によって上から塗りつぶされただけ。
最初に気がついたときからこの中にいたため、そうと知れなかったのだ。ここは、誰かが教会を中心に張った巨大な結界の内部――!
さっきから頭にモヤモヤとした霧がかかっているような気がしていたのもこのせいか――
それに、この結界はおそらく……。
(なるほど……監視なんか必要ないわけね)
私への監視がこんなに緩いのは、この結界がそもそも『そういうもの』だからだろう。多分、外からは教会は普通通り見えていて――極端に『近づきにくい』と感じられるはずだ。
こうして見ているだけで、魔力の流れが『内側』に向いているのが分かる。それほど強力な、『内側に向けた』結界。つまり、外からは入りにくくなるだけだが、中からは決して出られない――そんなタイプ。
(そうまでして私を逃がしたくないのかしら……)
いや、そんなことはないだろう。私をセイバーに対する人質として扱う気が彼らにはないのだから、もし万一私に逃げられてもそれほど問題はないはず。
それじゃあなんで――?
(――!! そうか……!)
身を翻す。忍び足で再度ジークフリートたちの部屋の前を横切り、同じ道を辿って中庭へ。
――目指すは地下聖堂。
地下へ通じる階段までやってきたとき、私は自分の直感が正しかったことを確認した。
「―――なんて結界……なの……」
目の前の空間……階段への入り口が揺らいで見える。あたかも地下に水が満たされているかのように。そして、
「凛さん」
予想通り。これまで気配すらなかったファフニールが、いつの間にか私のすぐ後ろに来ていた。
「そういうこと、ね」
「そう、そういうことなの。ここから先は立ち入り禁止。どっちにしろ通れないけどね」
「こんな強力な結界を張るなんて普通じゃ考えられない。中で一体何をしているの?」
「それは秘密。ごめんね」
「――空間が歪んでる。こんな結界、むき出しのまま置いておいたら一発でバレるわ。教会の敷地を取り囲んで張られた内向きの結界は、この結界と……その中から漏れてくる魔力を殺すためのカバーに過ぎない。違う?」
ファフニールはくすくす笑った。それが答えだった。
「考えてみれば答えは一つしかない。当然よね、結界から感じる魔力は、ジークフリートのものと違うもの。
二つの結界を張って、地下聖堂に篭もっているやつがいる。そして、こんなことまでしてこの中で行うようなことと言ったら、おそらく――」
ファフニールはにこりと目で笑いかける。
「――霊脈の開放、もしくは操作。――一体何をする気なの、あなたたちは」