Fate/dragon’s dream

プロローグ

金色の野に消えた赤い背中。

聖杯戦争から半年後の出来事。

遠坂凛とセイバーの二人とともに、変わり始める日々を暮らす衛宮士郎。

だれも気づかないその内に、物語の幕はそっと上がっていた。

エンカウント

「うーん……これかなー……えーと……古い……世の……って違うじゃないもう!
 もうもうと埃が舞い上がり、ただでさえ淀んでいたであろう空気が、もう手もつけられないくらいに変色している。

重厚な本棚の最下段から発掘され、ドシリという重たい音とともに置かれた……というか放り出されたのは、もはやアンティークと言った方がいいような、赤茶けた革張り表紙の、おそらくは羊皮紙本だろう。

昔はさぞ立派だったと思しきその表紙は、今ではもはやかすれにかすれ、埃にまみれ切っていて何が書いてあったかさえ判然としない。

「……ゲホッゲホッ! あーもう! かわいい娘に遺すんだったら前もって整頓くらいしておけってーのよ! ゲホッ!」

遠坂邸地下室。そこは俺こと衛宮士郎の魔術の師匠であり、――その、一応恋人でもある――遠坂凛の工房である。

俺が遠坂から呼び出しをくらったのが今からだいたい一時間ほど前。居住区に姿が見えなかったので、セイバーに許可をもらって地下へ足を運んでみたのだが、そこへ一歩を踏み入れた瞬間から俺の身体は金縛りにあってしまっていた。

――その。目の前では、俺が入ってきた事に気付きもしない遠坂が四つんばいでなにやらごそごそやっているわけで。やや短いスカートからすらりと伸びた白い太腿とその先を包む黒いニーソックスとの色のコントラストがもう絶妙でしかも時折白磁の肌よりも白いなにかがチラリと見えたりって

嗚呼!! だめだだめだ見ちゃだめだそんなのぞきみたいな卑劣なこと! だいいちこんなところをこのあかいあくまにしられ

「シロウ? 凛は見つかりましたか?」
「………!!

のあくまは俺をもてあそぶの

「ど、どうしたのですかシロウ! ものすごい形相ですがどこか具合でも!?」

「……セイバー、ちょーっとそのまま衛宮くん押さえててくれる?」

れこそいのちがないってもんだなにせこのあくまは

「なーに見てたのかなー衛宮くんはー?」

―――そう、こんなふうに極上の笑みで。
―――撲殺できそうなほどブ厚い本を振り下ろすのだろうから。

意識を失う直前に俺が見たものは、自由落下以上の速度で迫り来る赤茶けた皮張り表紙――しかもカド――だった―――

Fate / dragon’s dream

「最近は剣の腕も魔術も上達してきたと思っていたのですが、精神の修行がぜんぜんダメだということがよく分かりました」
 セイバーの白い目が痛い。遠坂もさすがに恥ずかしかったのか、さっきから斜に構えて睨んでいたりする。
「まったく。宝具でも投影しそうな表情で何をやっているのかと思えば……」
 腰に手をやりハァとため息をついたりするセイバー。
 宝具の投影って……俺そんな顔してたのか?

「前から思ってたんだけどさ、士郎って純情な割に結構えっちよね」
「……っ! な、い、いきなり何を!」
「心当たりあるでしょ」
「ぐ……」
 ジト目で言う遠坂にしどろもどろになる俺。

そりゃあまあ、ないことは……ない……と、思いたい……。  でも、それと今回のは話が違うじゃないか。俺だって健全な男子だ、あんなふうにモゾモゾやってたらどうしたってそっちに目がいってしまうというもの。そうだ、俺は悪くない!!

「そういうのをえっちっていうんじゃないの?」
「う、そ、そうかも……」

なんかいいように丸め込まれてる気がする。いつものことと言えばそれまでなんだが、そろそろこの勢力関係をどうにか……できないだろうなぁ。

俺ががっくり肩を落としていると、セイバーは紅茶を入れてきますと言って厨房の方に行ってしまった。

「あの、さ、遠坂。それより、今日はどうしたんだ? なにか探し物してたみたいだけど、それを手伝えばいいのか?」
 最初に言うべき疑問をやっと口に出せる俺。それを聴くと、遠坂は『え?』という顔をした後、
「あーいやいや、それはもういいの。今日士郎を呼んだのは、地下書庫の整理を手伝ってもらおうと思って」
 パタパタと手を振りながらそんなことを言いやがった。

「……は? 整理?」
 
恐ろしくマヌケな声が出た。そりゃそうだ、さっき俺が見たのは整理どころかその逆なんだから。
「耳が遠くなったかな。整理って聞こえたんだが」
「う……な、なによ、整理よ整理! 悪い?
「さっき見た感じでは、前に見せてもらった時より大分散らかってたように思えるんだが」

「だ……だって、片付けてる時に今調べてることの資料っぽいものが見つかって、そこから別の文献探さないといけなくなって……」
「片付けるの忘れて探し回ることにした、と……」
「な……なによ、別にいいでしょっ! それに士郎にもまったく無関係なことじゃないんだから!

あっさり逆切れする遠坂。ふん、さっきのお返しだ。普段の俺なら、『そう言われては納得するほかないけど……』と折れただろうが、今回は違う。さすがに角は痛かったんだからな。本気で頭蓋骨陥没を覚悟したんだぞ!

――いやまさか、本当に陥没骨折していて、例のわけのわからない治癒能力で治ったあとだとか……。

イヤーな想像を振り払って俺は遠坂に訊いてやった。
「資料って、なんの資料なのさ」

ああもう! だからあんたから私にも魔術回路のパスが通じてるはずだけどちゃんと機能してないでしょっ! それっておかしなことなんだから、そのまま放っておいたらいつどこで大変なことになるか分からないじゃない!  今はまだ魔力は足りてるし、まとまった形なら士郎から……」

遠坂はそこまで言いかけてハッと口をつぐむ。そしてタコを茹でたようにみるみる真っ赤になっていった。むーと上目遣いで俺を睨みつける。その目は明らかに、『なんてこと言わせんのよ、このバカッ!』と訴えかけていた。
「あ……う、そ、そうだよな、ご、ごめん」

あの時。聖杯戦争決戦前夜に通じた遠坂と俺との間のパスは、未だ双方向に通じておらず、遠坂から俺への一方通行になっている。パス自体は通じているらしいのだが、どうにも俺から遠坂への魔力流入がないらしいのだ。

最初は、普段蓄えている総魔力が俺と遠坂とではまるで違うので、俺からの魔力が押し返されているのかと思っていたのだが、それでも俺が遠坂に送る魔力量に合わせた少量の『魔力交換』は起こるはずだということ。

俺からの魔力を当てにするほど消耗するような事件もないので、実害はまったくないのだが、もともと魔力の流れの制御が専門分野である遠坂にとってはあまり愉快なことではないらしい。

まあ、いざとなったら――いや、ならなくても――魔力を受け渡す方法はあるのだが、それをそういう目的で行うのは双方に抵抗があるっていうか……。

「シロウ、凛」
『は、はいっ!』
 
なんとなく気恥ずかしい沈黙を破ってセイバーの声が響いた。
「紅茶が入りましたので少し休憩にしませんか?」

聖杯戦争からはや半年。季節はようやく残暑も去って、秋っぽくなってきた10月。ロンドンの時計塔への進学手続きとか引越しのための整理とか、そういったもろもろのことが忙しくなってきた頃。

その日の遠坂の呼び出しは、要するにそろそろ自分の工房の手入れを始めたいから、その手伝いをしろというものだった。

俺はというと、別に普通の荷物を持って行くだけでそんなに大事となるような量は無いのだが、やはり一流の魔術師であり、名門・遠坂家の当主ともなると、そもそも魔術工房の整理だけで大変らしい。なにしろ年季・量ともにケタ違いだ。

いわく、これまで遠坂家が収集した膨大な量の魔術書から必要そうなものをピックアップする。
いわく、魔具から持っていると便利そうなものをまとめ、要り用でないものはとりあえず封印しておく。
いわく、お気に入りの宝石をまとめ、工房とか書庫の隅に転がってないか確認すること(普通はあるわけないのだが、宝石魔術師の屋敷だし、なにより遠坂が長年住んでた家なので、そういうこともあるかなと納得できたりする)。

あの事件が起きたのは、それまでの日常が少しずつ変わり始めたそんなある日。俺も、遠坂も、セイバーでさえ、まったく気付かないうちに、開幕のベルは鳴り響いていたのだ――


「――さーて。片付いてきたから一休みして、今度は買い物に行きましょー」
「……」
「……」
 無言。それも当然。

遠坂はどうにも整頓がヘタなようで、整理のために引っ張り出したものをあっちにまとめこっちにまとめ、それで結局元に戻したり、場所を入れ替えたりするだけで一向に「整頓」されない。入れた分だけ出す。つまり、プラスマイナスゼロ。

それなのに、何故『やっと片付いてきた』のかというと――

「あれ? どうしたの二人とも」
「……いえ、別に」
「……あのな遠坂……」
 埃まみれの二人。あんまり汚れてない一人。……なんでさ。

「二人ともありがとね。ずいぶん助かったわ」
「う……」

そんなふうに微笑まれると、もうこっちとしては何も言えないっていうか。セイバーも、はぁ、と小さくタメ息をつくだけでなんにも言わないし。いや、というかセイバーの場合は、『言っても無駄だから』という諦めのタメ息だったのかもしれない。

結局、埃っぽい身体を洗うこともできず、俺はそのまんまセイバーと共に遠坂に引っ張られて街に出ることになった。


「シロウ、大丈夫ですか?」
「大丈夫大丈夫」
  両手いっぱいの荷物を抱え、新都の駅前をふらふら歩く俺に、セイバーが優しい声をかけてくれる。
「この程度どうってことないさ。それより、遠坂はいいのか?」
「私? 私は大丈夫。向こうに行ったら買うわ。向こうの方が安いし、いいもの多いし」

季節が変わる頃になると、次の季節に合わせたセイバーの服を買い込みに街に出る――まあ、まだ三回目ではあるが、早くも恒例になりそうなこの行事は、見ての通り二人の審査官と一人の荷物持ちによって行われる。もっとも、審査官のうち一人はモデルも兼任しているんだが。

「でもずいぶん買ったわね。士郎、重くない?」
「んー、今は大丈夫。さすがにこれ以上となるとつらいかな」
「日も傾いてきたし、そろそろ帰りましょうか」
「そうですね、夕食の支度もしなければ」

「あ、そうだ、今日からしばらく藤ねえがいないんだよ。二人とも、うちで食って行かないか?」
「あ、それ賛成。ね、セイバーもいいでしょ?」
「はい、もちろん」
 嬉しそうに言う。

遠坂と契約したセイバーは、聖杯戦争後、基本的に遠坂邸に住むようになった。当然といえば当然だが、それでもなかなか顔を出せなくなってしまった桜の代わりに、ちょくちょくうちに来てくれている。

困ったことには遠坂も同じで、セイバーと一緒にうちを別荘がごとくに使っている。なにしろ聖杯戦争の時に遠坂が使っていた離れの部屋は、まだ当時のままだ。

で、まあ、食事をして行くことも、―――泊まっていったりすることも、その、結構あるのではある。いや、もちろん休日前だけだけど。

ここのところ二人を食事に誘うこともなく、藤ねえがいないと完全に独り暮らしになって味気ないので聞いてみたのだが、喜んでもらえたらしい。

「とりあえず、荷物を遠坂の家に置いてこよう。そのあとうちで食事、と。それでいいかな、二人とも」
「オッケーよ」
「異存ありません」
 そうして、西日の光の中、俺達は帰途についたのだった。

「あー……重かった……」
 両手いっぱいの荷物をどさりと置いて、俺は一息つく。
「おつかれさま、いま紅茶でも淹れるわ」
「お、サンキュ」

遠坂邸の居間のソファに腰を下ろす。そこへはたきを片手に、なんだかきょろきょろしているセイバーが入ってきた。なんとなくだが、セイバーは妙に掃除用具と相性がいいような気がする。さっきも白い三角巾で頭を覆ってパタパタはたきをかけていた姿が、変に似合っていたような。

「セイバー、どうかしたのか?」
「あ、いえ。……猫でも迷い込んできたのかと思いまして」
猫? いや、そりゃないだろ。戸締りはしていったはずだし、それにここは猫一匹迷い込まないって評判の遠坂家だぞ?」
「そういえば、そうでしたね」

「お待たせー」
 苦笑するセイバーの後ろから、遠坂が三人分のカップとティーポットを運んできた。セイバーもはたきを片付けてソファに座る。

「うん、美味しい」
「凛は紅茶を淹れるのが本当にうまい。日本茶は嫌いではないのですが、私はやはり紅茶の方が落ち付きます」
「えへへ、そうでしょ」
「む、俺だって紅茶くらい美味く淹れられるぞ」

「そうよ士郎、ロンドン行ったら紅茶しかないんだから、今から練習しておきなさい。それにアーチャーも紅茶淹れるの上手だったんだから。ということは、士郎だってあのくらいできるはずよね?」
「むむ」

そう聞いては負けるわけにはいかない。見てろよ、ロンドンに行くまでに上手くなって、二人をギャフンと言わせてやる!

俺の密かな決意になど気付かず、談笑を続ける二人。それを眺めながら、俺達の始まりとも言える出来事……聖杯戦争のことなどを、思い出したりした。

――戻ってくることなどできないと覚悟した、最後の戦い。しかし、俺達三人は、誰一人かけることなく家へと帰り付いた。

朝日に輝く境内に消えた、赤い外套。その姿を、目に焼き付けて。戦いの後、セイバーは自ら真名を明かした。

アルトリア――伝説のアーサー王。

死に際して聖杯を求め、止まった時間の中、それを手に入れることを望んだ騎士王。そして、あの時の言葉――
『そんなことはない。シロウは、私のマスターだ』
『サーヴァントとしての責務を果たしてきます。……伝えたいことは、その後に』

セイバーが俺に伝えた言葉はただ一つ。
『私も、信じることができたから。あなたのおかげです、シロウ』

――聖杯を得ることと引き換えに英雄となったセイバーが、なぜ自らの意志で聖杯を破壊したのか。死に瀕した騎士王は、聖杯に何を願い、……そして、どんな答えを得たのだろう。


「さて、そろそろ日も暮れてきたし、行きましょうか」
「あ……ああ、そうだな」
 遠坂の言葉に我に返る。
「じゃあ、行こうか」
 俺達三人は、そうして遠坂邸を出た。

「士郎、今日はどうするの?」
「ふっふっふ、お楽しみ。今日は最初から二人とも誘うつもりだったからな、腕によりをかけるぞ」
「楽しみにしています、シロウ」
「ああ、期待してろよセイバー」

―――そうして、暮れゆく街並みを歩く。
―――談笑しながら坂を下り、交差点に差しかかったとき、
―――最初に足を止めたのは、誰だっただろう。
―――闇に覆われてきたアスファルトの上。
―――そこに

「ふぅん……お前らがマスターとサーヴァントのご一行か」

冷たく燃える炎を持った、金髪の男が立っていた。

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