Fate/dragon’s dream

英雄たちの夜~士郎、セイバー~

(――ん?)
 後ろ手に襖を閉め、自分の部屋に戻ってきたセイバーはふと、息を潜めた。
 隣――先ほど倒れこむようにして布団にもぐりこんだ士郎の部屋――へと続く襖の隙間。その向こう側の障子が開け放たれているのか、青い月光が差し込んでいる。

無言で、士郎の部屋へ続く襖をそっと開ける。影が差し込む布団の中に、やはり士郎はいなかった。
 滑るように視線を上げる。すると、開かれた障子の向こう側、縁側に庭を向いて胡坐をかいた士郎の後姿を認めた。

「――シ、」
 声をかけようとしたところで、止める。
(――ハーゲン殿……)

士郎は眠っているのだろう――手合わせと称してあれほど身体を酷使されたのだ、起こすこともあるまい。セイバーはゆっくり、彼に向かって歩を進める。
 見れば、士郎の右手にはグラスが握られており――その脇には、おそらくウイスキーであろう形状の瓶が置かれていた。

カラン――
 グラスの中の氷が、月の光を奏でる。
「――天空には、ただ一人の月がいる」
 振り向くこともなく、ハーゲンは詠うように言った。

「よい月夜だと思わぬか、アルトリア殿」
「――月見酒とは、また風流ですね――酌など、いたしましょうか?」
 フム、と、喉の奥でハーゲンは軽く笑った。この笑い方は、士郎はしない。
「誉れ高い騎士王手づからの酌とは贅沢なことだ――頼もう」
「はい。――それでは失礼して」

士郎の――いや、ハーゲンの隣に正座をする。掲げられたグラスへ酒を注ぎ――天を見上げた。
――天空には、ただ一人の月がいる。
 よい言葉だと思う。

「いつのまにそんなものを?」
 視線でグラスを示して苦笑し、セイバーは問う。
「先日、士郎殿が買い物にでかけたときにちょっとな。フム、よい酒だ――この時代はよいものだな」

「ええ――人々の心に、余裕がある。この時代にはこの時代なりの苦労があることは分かりますが――それでも」
 ハーゲンは頷いた。
「だが――人々の心は変わらない。いつの時代でも――求めるものは、な」
「――」

「驚くべきことだ――この地では、この時代では、肉体が希薄だ。全ては人々の思うまま加工され、作りかえられている。木の一本とて人為的に配置されたものだ。――世界は、人の頭の中身を投影する場になっている。人は――もはや竜の力を借りるまでもなく、その望みの多くを手にしてきたのだな」

「――はい。この世界では死でさえ、存在の消滅と受け取られています。そこに死体は存在しない。ただ、精神の消滅としての、死――」

「歪んでいるな、歪んでいるよ。このような世界でこそ、人はもっとも残虐になれるだろうな。肉を忘れたものこそが真っ先にヨドミに食われる。この世界、見えないようではあるが、我々の出番は多そうだ――さりとて、俺の生きていた時代が、それよりよかったなどとは到底思えぬが」

ハーゲンは、ぐいと酒を飲み乾した。
「ハーゲン殿」
 少し張ったセイバーの声に、ハーゲンはそちらを振り向く。青い瞳が、まっすぐに彼を見ていた。

「ひとつ、お尋ねしたいことがあります――よろしいでしょうか」
「なんなりと」
「こんなことを尋ねるのは憚られるものの、このような機会は二度とないと見受た故、少々の無礼はお許しください。――ハーゲン殿、貴殿は」
 一旦セイバーは言葉を切り、息を吸いなおした。

「貴殿は――己が決断と、それがもたらした一族の悲劇について、後悔なさっておりますか」
「――それは、円卓を統べた騎士王としての質問と看做してよいかね」
「――はい」
「……」

月の光が翳る――風が出てきたらしい。
『我らは我らが物語を綴ろう』
「……?」
「国を発つとき、我が主君が仰った言葉だよ。そして、俺の想いでもあった」
「……」

「そこへ至るまで、さまざまな選択があった。だが、我らはただ一つの道を選び取った。一族の滅亡――そんなものは結果に過ぎぬ。我らは――生き抜いた。誇りを持ってそう言えた。なれば、答えは一つだ」

「後悔などない――と?」
「逆に問おうか、王よ。御身は、己の治世に後悔はあるかね?」
「……!」
 セイバーは俯く。

「――私は――私は、だからこそ聖杯を――求めた。私などが王にならなければ、祖国はあのような内乱の地獄に陥らずに済んだのではないかと――」
「……お主が聖杯を欲するは、それか――」

「――私はまだ、英霊になっていないのです、ハーゲン殿。……死の直前、私は聖杯を得るという奇跡と引き換えに、英霊となることを契約した――。その望みは未だ果たされておりませんが、それでも私がどこかの時代で聖杯を得るということは、既に定められた運命です。
そうであればこそ、私は――今このように、サーヴァントとして聖杯に関わる場所へ呼び出されているのですから」

「――世界との契約は絶対だ。そうであるならば、お主は必ずどこかで聖杯を手に入れるのだろう。だが――」
「……」
「俺は、お主はもはや聖杯に過去の改竄などを願わないと思うがね」

「……ッ!!」
「そうでないならば――お主は今ここにいないだろう? お主は――今はただ、静かに待っている。この少年が、それを言葉にできる時を」
 セイバーは、つ、と退き――ふかぶかと頭を垂れた。

「すべてお見通しとは――恐れ入りました」
「よせ。王たるものが将にやすやすとそのような姿見せてはならぬよ」
「――ハーゲン殿。やはりあなたは――『彼』のことを」

「……俺はこやつの心の中に実体を得ているゆえ、意識の結合が深い。表層のみならず、かなり深層領域の記憶までも見ることができる。……自分からわざわざ、他者の記憶を覗き見るなどしようとは思わん。が、あれほど強烈に何度も何度も見せつけられれば、いやでも状況は理解できようというものだ。
 ……人は迷い、選んで行く。その選択の果てに今があるとするならば、過去を否定する事は、現在の礎となった全てのものに対する冒涜と言えるだろう。
 ――栄光と滅亡。それは結果論に過ぎぬ……『彼』は自分自身が無限回廊の地獄に落ち、過去の自分を殺そうとはしたが、そのことだけは忘れなかった。
 『過去』の改竄ではなく、『現在』の変革を望んだ――終わってしまった身において、未だ終わっておらぬお主に、そのことを気づかせたのさ」

「――シロウが、己の辿ってきた道に後悔を感じるようになったその時には――私が、彼から教えられた言葉を返そうと思います。
 そんな時は来ないかもしれない――いや、きっと来ない。いつか彼の側から、その言葉を伝えられる日が来ると信じています。そのときこそ、私は――聖杯に、散っていった円卓の騎士たちの霊が安らかなることを願うでしょう……。
 今は、シロウと凛の行く末を見守りたい。いつか伝えられるはずの言葉を得るために、私はここにいる――」

「全ては物語だ。人の生とは即ち物語を綴る事に他ならぬ。その一つ一つが複雑に絡み合い、時に沿って大樹を形成する――時の物語。人はそれを歴史と呼ぶな。
 ――終わりを迎えた俺やシグルドや、多くの英霊達には、もはや関係のないことだが」
 くっくっと、ハーゲンは自嘲のように笑った。

「お主は変われよう。お主は未だ到達しておらぬ――死の直前の時間を無限に分解しているだけだ。ならばまだ、固有の時間を生きることが可能だ。『そこ』へ辿り着く前に、持って行くべきものを整理できよう。そのために、彼らと一緒にいることはお主のためには良いことなのだろう。――だがな」

ハーゲンは、ことりとグラスを置いた。
「それは果たして、彼らにとってはどうなのだろうか?」
「―――え――?」

「竜よ、お主は自らの意思だけでここに留まれているわけではない。そのことを忘れるな。お主という『永遠』を夢見ている以上、いつか必ず彼らはあの赤い騎士と同じ問題に直面する――彼らには迷いがない。自らに何故と問うことができぬ。それが一番問題なのだ」
「……仰ることが、よく……」

「分からぬか。分からぬなら、まだまだお主は竜としては半人前ということさ。お主という形を与えられている以上、お主はいつか必ず黒く染まるだろう。それはお主の――意志とも、彼らの想いとも無関係に、必ず起こる。そのとき、お主は望んだ言葉を得ることができているかどうか」
「……」

「お主が彼らと共にある――それは彼らにとっては、夢の続きを示すことに他ならない。迷いがなければないほど、その夢は強固に、そして歪みを孕んだまま続くだろう。そして――夢が終わるときに、全てが反転する。そうやって、あの赤い騎士は産まれたのだ。永遠は、それが終わるときにこそ、最も強くその永遠たるべき力を撒き散らす。
 ――竜は澱む。それを祓うために、竜殺しは存在する。そして、シグルドはそれを知っているが故に、お主を狙うのだ」

「……ハーゲン殿、あなたは――」

「アルトリア殿、竜は夢を見るものだ。お主がここにいるということは、必ずお主の夢も近くにある。お主は夢を見せるものであり、同時に夢を見るものでもあるのだから。
 竜は夢を欲する。そして覚めない夢を抱え込み、反転し――その竜を夢見る者を巻き込んで、澱ませるだろう」

「先ほどの試合の時――まさかとは思いましたが……あなたは……やはり」

「見果てぬ理想への願い。それが竜を産み――竜は更なる永遠を夢見ながら、いつしか創り出した者によって汚される。最も高貴なる幻想にして、最も卑賤たる奴隷。夢見の呪縛により、魔へと変貌するモノ――それが竜、形を与えられた夢だ。
 彼らは願う――いつしか己が、与えられた形を捨て、己の『永遠』へ回帰することを。夢見の呪縛から解放されることを、な。俺達は、それを為すために存在する」

「ハーゲン殿――あなたも――ドラグーン(竜殺し)なのですね――」
「――このジェネラル(将軍)クラスはその英霊が持つ全ての素質を表出させる――ごくわずかではあったが、お主の魔力を殺いでしまっていたな」

「……なぜですか。なぜ、あなたは竜殺しなのですか――? あなたには竜を殺したなどという伝承はないはずだ。……それは、伝えられなかっただけなのですか――?
 それに、それならなぜ、あなたは私たちに力を貸してくれるのです。竜殺しであるならば、ジークフリートと同じく、竜たる私を消そうとするはず。
 竜殺しとは、単なる称号ではなく、英霊としての存在の形と聞き及びます。それならば、私を放置するということは、ハーゲン殿の世界との契約――英霊としての存在そのものに関わる重大な禁忌のはず……」

「――できそこないの竜殺しさ。俺はその成り立ちが特殊ゆえ、直ちにお主を滅ぼさねばならぬという行動の規制はされぬ。
 ……お主の言う通り、俺は生前竜を退治たことはない。だが、間接的に竜殺したる資格を得て、その道を選んだ」

「――」
「……少し昔語りを――しようか」

NEXT