Fate/dragon’s dream

時の彼方の真実

キン、ガァンッ!!
 響き渡るは剣戟の音。夜の闇に白刃が舞い、青の衣が翻る。
 ザザッ!

砂砂利を蹴って対峙する二人。じりじりと円を描きながら、牙を剥く一瞬を探し出す。殺気は鋭く、剣気は冷たく。その静止した時は、
 ――裂帛の気合とともに破られる!

「ヌゥッ!!」
(うわっ!)
 いきなり身体が前のめりになる。カランと音を立てて箸が転がるが、左手の茶碗だけは死守。
(こらハーゲン、いきなり身体取るなって)
「む、すまん。つい、な」

「シロウ、戦士たるものが戦場の緊迫感につられてしまうのは止む無きことです。……私とて、こんな状態でなければぜひともハーゲン殿とは手合わせしてみたかったのですから」
 食卓の向こう側でセイバーが微笑みながら物騒なことを言う。俺……というか、ハーゲンの視線は、さっきからテレビに映る薄青の陣羽織と「誠」の字から離れようとしない。

午後はずっと寝込んでいたセイバーだったが、夕方になってようやく普通に歩ける程度までは回復したようだった。よく分からないのだが、セイバーが言うには痛みが突然引いたのだそうだ。
 もっとも、傷自体はまだ治りきっておらず、数日は行動が制限されるということ。

「それはよい。お主の怪我が治癒したら是非とも願い出たいところだ」
 ――近藤さぁん!  しかし、視界の中心はやっぱりテレビだった。

「ジークフリートとの一戦、感服しました。人の身体でサーヴァントを相手にあれほどに戦うことのできる戦士に、そのように思われるとは光栄です」
(頼むからやめてくれ……)
 どっちが勝つにしても俺は痛い……。

「あ、そうだ。そういえばすっかり忘れてた」
 ようやく声を取り戻し、俺は言った。
「ハーゲン、聞きたいことがあるんだけど」
(なんだね?)

「いや――ハーゲンはどうやってジークフリートに勝ったのかって」
「――――」
(……)
 その一言で場が緊迫する。殺陣の剣戟音だけが寒々しく響いた。

「――ニーベルンゲンの歌には、ハーゲン殿はジークフリートが泉の水を飲んでいるときに背後から槍を投げたとあります。ですが、私にはそれでジークフリートを倒せたとは信じられない。彼ほどの力を持った英雄が、たとえ顔見知りといえども油断しきって無抵抗のまま殺されたとは思えない。
 それに、あのファフニールという竜の少女がジークフリートの目となっていたはず……背中からの奇襲とはいえ、単調な攻撃では通用しないでしょう」

 そうだ。単に油断がどうこうという問題じゃない。昨夜の戦闘では、ジークフリートはファフニールと名乗ったあの少女をアンテナとして使い、戦況を把握していた。実際の戦闘行為をジークフリートが担い、情報戦をファフニールが担当しているというのが、彼ら本来の戦い方なのだろう。

「確かに。ファフニールは基本的に背中を監視してるみたいだったし、相手の近くで声を出してジークフリートに位置を知らせたりしてたもんな。背中から近づいたらすぐに気づかれるんじゃないかな」
 俺は心の中で「どうぞ」とハーゲンに交代を促す。って、俺の身体はマイクじゃないやい……。

「……フム」

「――ハーゲン殿、率直に申し上げます。今の私たちでは――いや、私ではジークフリートに勝てない。
 私はサーヴァント、消滅を恐れたりすることはありません。そもそも、本来ならば聖杯を破壊した半年前の時点で私は消えていたはずです。
 ――ですが、凛もシロウも私がここにいることを望んでくれた。失うはずの命を二人のおかげで拾うことができた。……だからこそ、私はその望みを大切にしたい」

「……」
(セイバー……)
 ――嬉しかった。セイバーがそんなふうに思っていてくれたという事実が。
(遠坂にも聞かせてやりたかったな……)

思い出す。聖杯戦争が終わり、セイバーが消えないでいてくれたときのあの喜びを。
『私は自分の意思でこの時代に留まります。……私は、最後まであなたたちを見届けたい。彼は私が間違えていると言った。……その答えを、いつか貴方が私に教えてください』

アーチャーが言った、セイバーの間違い。俺が、あいつに代わってそれを伝えてやることはできるのだろうか。いや――
(ひょっとしたら、セイバーはもう……)
 その答えを、得ているのかもしれない――

「そうか……そこまで言うのは並の決心ではあるまい。俺とてお主らの参謀の身、教えてやりたいのはやまやまなのだが……」
 セイバーが居住まいを正す。

「正直、俺にもよく分からんのだ」
「……は?」

(……へ?)
 眼が点になる。
「し、しかし……! ジークフリートとあなたは安からぬ因縁がおありのようでしたが……」

「ヤツの命を奪ったのは確かに俺だ。だが、それがヤツに勝つための参考になるかどうかは疑わしい」
「そ、それは一体どういう――」
「なにせ、俺は特別なことをなにもせなんだからな」
「……な」

「俺が伝えることができる事実はただ一つ。突然ファフニールが消えた。ただそれだけだ。タイミングや条件は分からんが、あの力は消滅する瞬間があるらしい。その上で偶然と幸運が重なり、ヤツを出し抜くことができたというだけのことよ。
 ――あれを『殺した』のは俺ではないよ。俺はあれにとっての運命の運び手だったに過ぎないのではないか――後になってそう思うようになった。ジークフリートを殺したのは、おそらく――」

 剣戟の音は、いつしか聞こえなくなっていた。
「魔剣グラムだったのではなかったのだろうか、とな」
「……」
「――要はそういうことだ。まともに戦えば、俺がヤツに勝てるはずはなかった。だが――」
 再び、静寂。

「――俺は別に死んでも構わなかった。しかしジークフリートには――シグルドにはどうあっても死んでもらわなければならなかった。もしここで奴が生き延びれば、ブリュンヒルド様は――澱みに染まりかけていた我が主君は、確実に奴に殺されることとなっただろうから、な……。
 ――下らぬ話だ。一人の犠牲の上に、主君の命を守ろうとした。いや、俺は俺の理想を守ろうとしたのだよ――友であり、国の大恩ある英雄を裏切って、な」

――脳裏に浮かぶは、金と赤に彩られた記憶。
――それは、ありえない剣戟だった。

『な……!?』
 切りかかる身体は満身創痍。指は折れ、手足は裂かれ、本人は気づいてさえいないが、呼吸は既に停止している。踏み込む速度も取るに足りなければ、繰り出す一撃も凡庸だ。数多の死闘をかいくぐり、長い戦いの果てに手にいれた戦士としての経験も、既に意味をなさず。出鱈目に振るわれた、余りにも凡庸な一撃。

……だというのに。その切っ先は、今まで誰も届かなかったほどに、鋭く男の胸に迫っていた。

『な――ぜ……!』
 驚嘆はなおも続く。奮われる剣は狂ったように。勇者の想像を遙かに超える勢いで、黒い魔物が牙を剥く。

――何処にこれだけの力があるのか。
鬩ぎ合う剣戟の激しさは、技量を以って相手を圧倒するこの男にはあまりにも相応しからぬもの。

『――貴様ァァァァッ!!』
 そして、気づいた。それこそが、この身を蝕む、最後に残った呪いだったのだということを。
『うああああああぁぁっ!!』
 叫ぶ。何かを振り払うように剣を振るう。それは、自分には決して存在しえぬカタチ。有り得べからざる、もう一つの運命。剣の光は失われ、少女の声は聞こえない。

それでも止まらなかった。目の前の敵を叩き伏せる。眼に映るものは、ただそれだけ。
 横薙ぎの一撃。柳に切りつけたはずの一撃は、樫によって弾かれる。体重をかけた一撃が来た。蛇の一撃は、猪の突進のごとく。あまりにも違うその姿の中、変わらないものは、その瞳に宿した光だけだった。

――初めて。
 彼は自らを殺し得る力を相手にしている。それはきっと、自分が今まで切り払ってきたモノが、積もりに積もり、巡り巡って、再びこの剣の元に戻ってきたということ。
 『生かして、みせる』
 剣戟に紛れ、聞き取れぬほどか細い声。

何が、過ちだったのか。何が、狂ってしまったのか。
 だが、一つだけ分かる。辿ってきた道、辿ろうとする道こそ違えど、自分とこの男とは、間違いなく、同じ魂の光を持っていたのだということ。
 理解してしまう。受け入れられぬことが分かっていてさえ、なお理解してしまうのだ。

――それならばこそ、その後に待ち受ける運命さえも、この男は知った上で、なお己と戦っているのだと知れる。
なぜだ。同じものを愛し、同じ想いを抱いていた。しかし、それなのに、そのための方法は、正逆としか言えぬ――

『オレは――認めねぇ―― てめぇのやっていることは――女を犠牲にして求めていいもんじゃねぇ』
『分かっている――俺は所詮、成り損ないとなるだろう――』
 なら。
『てめぇの行いがブリュンヒルドを地獄に落とし、悪夢を呼ぶことも分かってるんだろうがっ!!』

『――それでも。それでもだよシグルド。お前が終わらせることによってしか愛せないように、俺は――』
 見よ、壊れているのは相手だけではない。剣と一体化したその右腕は、血に濡れて。滑る柄を握りなおし、そのまま腕ごと切りつける。

『生かし続けることでしか――愛せないのだから!!』
『――』
『――新たな道を、見つけるために――!』

決して届かぬ思いを胸に、それを分かった上でなお、追い求め――何度も何度も、喪失があり、これから先も、失い続ける。磨耗しか残されていない、逃れ得ぬ絶対的な現実を前に、この男はそれでも――
 ――愚かな。なんて愚かな。それなら。それなら――

『オレは――認めねぇ』
 それこそが己の道。不死なる生の終わりで、やっと手に入れた――いや、違う。それは、もうずっと前に、手に入れていたものだったのではなかったか。その存在を認める、唯一の行為と信じて。近すぎ、遠すぎる存在への、贖罪と――祝福のために。

『ブリュンヒルドを悪夢にはさせねぇ――俺が、この手であいつを――!』
 そして、黒い死神の姿をとった、それは――
 ――血がしぶく。

最初で最期の、傷だった。血みどろになって転がる白と黒。馬乗りになった黒い死神が、逆手に構え振り下ろした赤黒い鎌を前に、

(ああ――一つだけ、この呪われた身が願うことがあるならば)
 勇士は、祈る。
(全ての永遠なるものに祝福を――そして、宝石よ、どうか幸せをその手に――)

「ぶふぉ!?」
「きゃーっ!」
「ちょ、ちょっと大丈夫!?」

ジークフリートが盛大に噴き出した赤い液状の物質は、血――ではなく、明らかに過剰(致死量)の豆板醤。
「汚いーっ! もうっバカシグ! テーブルマンナーくらいしっかり守りなさいよぅ!」
「アホか!
 げほっ、だからお前のメシに合わせるのは嫌なんだよこの味覚オンチ!」

……いや、まあ。竜の味覚は人間とは大分異なるようで、辛いものが全然平気らしい。なじみのなさそうな中華料理を作ってやったら、ファフニールには辛いものがやけに受けた。で、調子にのって作ったのが、コレ、だったのだが――

……こんな激辛マーボー豆腐を作ったのはほんとに久しぶりなんだけど。やっぱり普通の人間の味覚じゃこんなの食べられないみたいね。

「何言ってんのよ! せーっかく凛さんが作ってくれたこんな美味しいものを吐き出すなんてっ」
「辛すぎんだよバカ! 一瞬気が遠くなったぞ!」
「ほらちょっと、落ち着きなさいって二人とも」

「だってー、シグが……」
「だってじゃねぇっ」
「ま、よかったじゃない。人間であれ食べられるのは外道だけだから。それを食べられないあんたは少なくともそうじゃないってことよ」

「……どういう意味だよ」
「そのままの意味よ。ごめん、私もちょっと調子に乗っちゃった」
「……まあ、最後の以外はわりかし美味かったぜ。この時代はいいなあ、なんたってメシが美味い!

「だよねー。あたしたち、生きてたころなんてほんとに粗雑なものばっかだったよねー」
「まーな。狩って切って焼いて食う! 旅してたころはほんとにそんなのばっかりだったからな」
「コショウっていうのかな、あの黒いつぶつぶ。あれいいよねー、臭くなくなるんだもんねー」
「そうそう、くせーんだよな、焼いただけじゃ。羊なんてもう目も当てらんねぇしな」

「そこらへんに生えてた草食べておなか壊したこともあったよね」
「ありゃあもうごめんだ。術士が通りかからなかったらあそこで死んでたかもしれねぇ。あれ以後は多少危険でもちゃーんと畑に盗みに入ったもんだ」

「……ワイルドね、あんたたち」
 なんとなくセイバーが食事にうるさい理由が分かったような気がする。無事に帰れたらせいぜい美味しいものをご馳走してあげることにしようっと。

「まあ、グンテル様のところにいるようになってからは結構ちゃんとしたもの食べれたけどね」
「……グンテル……って、もしかして」
「ああ、クリームヒルトの兄貴だ。ギューキっつーいけすかねぇジジイの子にしちゃあ、妙にできた奴だったぜ」

「……」
「クリームヒルト様の手料理、懐かしいなぁ……」
 ――そうだ。セイバーがアーサー王として円卓の騎士を率い、英雄として活躍した時間があったように、彼らも同じく自分の時代に英雄として生きた時間があったはず。

――ニーベルンゲンの災いに彩られた英雄ジークフリートの物語は、現代に大きく二つに分かれて伝わっている。
 即ち――ヴォルスンガ・サガとニーベルンゲンの歌。

主要な伝承が複数ある英雄が召喚された場合どうなるのか――その英雄がかつて『実在』したならば、すべての伝承を超越して、本来の生涯に沿って召喚されるのだということは、セイバーの例で確認している。ではジークフリートはどうなのだろう? 二つある伝承は、正しく彼らの生涯を伝えているのだろうか?

先ほどの話では、ジークフリートはハーゲンに殺されたということだった。とすると、それは『ニーベルンゲンの歌』の筋である。しかし、今ジークフリートはギューキという名前を言った。これは『ヴォルスンガ・サガ』だ。もし、彼がかつて『実在』したならば、これら二つの物語が伝えていない部分が必ずある。

「……ねぇ、ジークフリート」
 どうしても訊いておきたいことがあった。昔から、ニーベルンゲンの物語の中で、どうしても腑に落ちないことがあったのだ。もし、彼が実在していたというならば、歴史の闇に消えたはずの真実が明らかにされるかもしれない――

「ん?」
「……あなた、どうして奥さんに秘密を喋っちゃったのよ」

――そう。
 ジークフリートともあろう英雄が、なぜ諍いのもととなることが分かりきっている秘密をクリームヒルトに教えてしまったのか。それこそが全ての、ニーベルンゲンの呪いにまつわる悲劇の発端であったはずだ。

だが、その発端の事件だけはニーベルンゲンの呪いとは関係ないように思える。すべての悲劇が呪いの故だとするならば、発端こそ呪いの産物でなければ不自然だ。なのに、それはジークフリートによってもたらされてしまっている。

だから、思っていた。そこには、ブリュンヒルドからジークフリートが取り返し、クリームヒルトの手に渡った、ニーベルンゲンの指輪が関係してるのではないかと。

――ニーベルンゲンの指輪、アンドヴァラナウト。『アンドヴァリの贈り物』と呼ばれるそれは、ニーベルンゲンの至宝であり、万物の魂を支配する指輪と伝えられている。もし伝承が半分でも事実を含んでいるならば、それは確実に史上最高級の、究極の魔具の一つに数えられるだろう。

昔から気になっていた。ジークフリートはなぜ、ブリュンヒルドを選ぶことをしなかったのかと。

きっと彼は、その気になればブリュンヒルドとやり直すことができたはずなのだ。それなのに、彼はそうせず、すべてを運命に委ねた。それはニーベルンゲンの指輪が、結ばれるべき運命の二人を狂わせたのか、それとも――

「ふん、やっぱりそう伝わってるんだな」
「……え?」
「しょうがないよ、最期があんなんだったんだもの」
「まあな。納得はしても、なーんかヤな気分だぜ」

「――どういうことなの?」
 胸の高鳴りを抑えて、私は訊く。
「聞きたいか?」
「……ええ」

「――喋ってねぇんだよ」
 ―――え……?
「信じなくてもいいが事実だ。だけどな、ハーゲンは俺が喋ってないってことを知ってたはずだ」

「――ちょ、それ、どういう――」
「魔術師ならニーベルンゲンの指輪って名前は知ってんだろ、凛」
「……言い伝えだけなら。――万物の魂を支配するっていうニーベルンゲンの至宝でしょ?」

「……まぁ、そんなもんか。ニーベルンゲンの指輪、アンドヴァラナウト。
 そいつはオレがブリュンヒルドにやったもんだったんだが、アレはあいつにだけは持たせてちゃまずいものだった、皮肉なことにな。そのことに気づいてからは、取り返す機会を伺ってたのは確かだ。だが」

 ――アンドヴァラナウトはブリュンヒルドが持っててはいけなかった――?
 「狂言までしてやっと取り戻したその指輪は、いつのまにかクリームヒルトが持っていた。……寝耳に水だったんだよ、オレにとってもな」

「――ちょ、ちょっと待って、全然ついていけない。……それ、どういうこと? 指輪が勝手に歩いていったとでも言うわけ?」
「それは分からないよー。あたしたち、そんなこと調べる前に死んじゃったんだもの」

「実際問題として諍いは起きちまった後だった。あとは分かるだろ、どうすればその収拾がつくのか。ヨドミに染まったブリュンヒルドをなんとか生かそうと、ハーゲンはオレを殺すことを選んだ。たとえ、オレに罪はないとしてもな」
「……」

「賢明な判断だ。多分オレが同じ立場でもそうしようとするだろうな。分からなくはねぇんだよ、あいつの行動は」
「あたしは少しショックだったなあ。ハーゲンおじさまのこと好きだったし」
「……つまり、ハーゲンはあなたたちを犠牲にすることで、国を守ろうとしたってこと? 真相の究明よりも、裏切り者の汚名をかぶって国を守ろうとしたのね?」

「国? ふん、違うな。あいつが守ろうとしたのはグンテルとブリュンヒルドだけだ。結果として国を守ることになったんだろうが、あいつは決定的に、自分の理想に対して忠義過ぎたんだよ。
 ――バカなことを。そんなことをしてもブリュンヒルドは救えなかったってのにな」

 ……ブリュンヒルド。ジークフリートの運命を決定付けた女性であり、オーディンの命に背き堕天したと言われている。物語の中では、彼女は一応人間としての肩書きも持っているが――
「ブリュンヒルドっていうのは――だったんでしょ?」

「そうだ。ま、あいつの事情は特殊でな、もう戦乙女としての力はほとんど失っていたんだが、それでも人間ではなかったわな。魔術の知識はもちろん豊富、歳を取ることもない。おまけにもとがもとだからな、魂ってものの扱いに長けていた。よく分からんが、あいつには行き場を忘れて彷徨う魂が光となって見えたんだとよ。その中から見所のあるやつを見つけてヴァルハラに送るのが、あいつの仕事だったわけだ。だがな――」

「――」

「――あいつはな、もう磨耗しちまっていたんだ。戦場の空に浮かび、耳を澄ませば聞こえてくる。死を間近にした英雄の声。そいつが最期に綴る物語を、否が応でも見せ付けられ続けた。それこそ永遠にな。
 戦乙女と言っても、実際に誰をヴァルハラに送るかなんて決定権はない。あいつの現れるところ、かならず誰か死ぬ。それは決定付けられた運命で、助かる余地のない寿命だ。定められた死を迎えた英雄の魂を、迷わずヴァルハラに送るという、ただそれだけのための存在なんだな」

「『死神』ってやつね……」
 一般的に死神というと、髑髏の顔に全身を包む黒いローブを纏い、巨大な鎌で絶対的な死をもたらす悪魔を想像する。しかし、死神とは実際には『天の御使い』であり、れっきとした『天使』なのだ。寿命を迎えた魂を収穫し、迷わないよう神の御元に送る、神に仕える農夫。彼らが鎌を持っているのは、魂を作物と見立ててのことなのだから。

「地獄だったってよ。親友に裏切られて死んだ男、策謀にはめられて殺された年端も行かない姫、栄誉を夢見て戦争に行き、そのまま恋人の元に戻らなかった少年。そういう人間の悲劇を、あいつは延々、それこそ際限なく見てきた。ヒトが最期に燃やす心を読み、そこへ向かったときは全てが手遅れ。慟哭、怨嗟、絶望。そういうものを、あいつは自らの手で渡し続けてきた。
 ――戦乙女なんてものはな、ヒトの心を理解はしても同調なんざしちゃいけなかったんだ。だが、あいつはいつしか人間を愛するようになってしまった。ヒトの綴る物語の中で、そいつらを愛してしまったんだ。……その末に、あいつは自らの手で自分が守護するべき運命を捻じ曲げてしまったんだな」

ブリュンヒルドはオーディンの命に背き、勝たせるべき相手を勝たせず、運命を変えてしまったために封印されたのだと言われている。もし、戦乙女と呼ばれる存在の役目が、今聞いたとおりならば、それは確かに自己そのものを否定する行為のはず。

「つまり、ブリュンヒルドは自分自身の存在に耐え切れず、心を閉ざしたのね――?」
 愛したものに逃れ得ぬ死をもたらす仕事。ただそれだけの存在――。ヒトの心を持ってしまい、そんなことを延々繰り返していれば、当然磨耗――
「……え……?」

「そうだ。それをオレが起こしちまった。――ふん、あのころはな、いろいろあったんだよオレもな」
「物は言い様よねー。知られざるシグの青春の日々ってねー」
うっせぇぞこの爬虫類! それ以上ちっとでもしゃべってみろ、ションベンちびらす程度じゃ済まねぇほど転げまわらせてやんぞ!」
「ヘンタイヘンタイヘンターイ!!」

「……英雄の魂を、ヴァルハラに、送る――?」
 待て。その話、どこかで――
『契約しよう。我が死後を預ける。その報酬を、ここに貰い受けたい』

世界などという、得体の知れないモノと契約した男がいた。彼は助かるはずのない人々を救い、英雄となった。英霊となった男は、輪廻の時間軸から外れた「英霊の座」に移り、そして――
 ――そして、守ったはずの理想に裏切られ続けることとなった――

 喉がカラカラに渇いている。もし。もし、戦乙女という存在が、伝説通りの役目を持つのならば。それは、私が、否、私たちがよく知る、ある事柄にぴったり一致する。
 ――英霊の座。外界にある輪廻の輪を外れた世界。その「座」とは、もしや――
「ヴァルハラ――『の座』……!」

「そういうことだ。戦乙女ってのは、英霊を選抜する『世界意思』の具現だ。それは本来、形なき者、姿なき者――完全な無色透明な存在であり、澄んだ存在でなければならないものだ。
 別に英霊になった人間の全部が全部あいつらの世話になるわけじゃねぇらしいがな。守護者と呼ばれ、抑止力として世界に使役される連中は大抵戦乙女が死後の契約を取りつけるらしいが、詳しくは知らん」

そうだ。どうして気がつかなかったんだろう。
 エインフェリアル――それは、ヴァルハラに住まうとされるオーディンの戦士たち。戦場で死んだ英雄が戦乙女によって導かれ、の戦力として、ヴァルハラにおいて日々戦いを繰り広げるという。そこで死んだものたちは、朝日とともに新しく生まれ変わり、永遠に戦いを続けると伝説は語っている。

――聖杯によって呼ばれる英霊とは、即ち、北欧神話におけるエインフェリアルと同義――
 そして、その英霊を導く役目を持ったものが、戦乙女なのだという。ということは、アーチャーも戦乙女によって英霊になったのだろうか――

守護者――アーチャーは確かに、自分のことをそう言っていた。守護者とはただの掃除屋なのだと。ヒトでありながら、ヒトでなく、ただ世界とやらの意思に使役されるだけの存在。
 ――自らの存在そのものを憎み、愛する者たちに絶望と終焉をもたらし続けた戦乙女。彼女は、過去の自分を殺してまでも己の消滅を望んだ騎士と同じように、磨耗した。

だけど、とはなんだろう。と――アーチャーたち守護者と同じように、かつて人間だったものがなるのだろうか?
「……戦乙女っていうのも、英霊の一種なわけ? たとえば、世界と契約した人間が――」
「違う」
「……え……」

「あいつらは違うな。最初からそういうモノとして生を受けている。――生、と言えるのかどうかは分からねぇがな。
 あれらは本来、形のないものだ。人間の心を知ることはできるが人間ではなく、れっきとした神霊だ。指向性を持った力の渦みたいなものらしい」

「……じゃあ、なんで戦乙女って呼ばれてるわけ? 乙女って、人間の女性のことでしょ。そんな無色透明な世界の『力』を戦乙女なんて呼ぶのはおかしいんじゃない?」
「その通り。それでもなお、あいつらは乙女だ。分かるか、この意味が」
「――」

「……お前が分かる必要はねぇよ。だが、そんなやつに人間の『色』がついちまったんだ、もう使い物にならないってのはなんとなく理解できるだろう?  そいうわけで、ブリュンヒルドはヴァルハラを追放された。神でもなく人間にも成りきれねぇ中途半端な命を抱えこまされてな」
「ブリュンヒルド様はね、歳を取らなかったの。永遠に若いままって言ってた。でも――」

「自分以外の意志でならば、殺される。――なんてバカバカしい不死だ。だが、その永遠の若さと美しさは、移ろう時を生きる多くの女どもから見れば、それこそ魂を売り渡してでも欲しかったものなのかもしれんがな」
「――」

バカバカしい――とは言い切れない。それは、確かに、私もそう思うところが全くないわけじゃない。だけど、

「下らないわね。それは人間として『不自然』よ。移ろう中で常に変化と共にあるものが人間だもの。――そりゃあ、私だって欲しくないと言ったらうそになるでしょうね。でも、きっと手に入れてしまえば後悔すると思う」

ジークフリートは大きく頷いた。
「そうだな。お前の言うことは正しい。だがな」
 一つ息を整え、彼は言った。
「もし、お前の愛した男に、永遠の美しさを持つ女が愛を語ったとき、お前は平静でいられるか?」

「――な」
 その言葉は、
「――そんなこと、あるわけ」
 なぜか、棘のように、
「――ッ」

「――結局のところ」
 私の動揺を見透かすように目を細め、ジークフリートは続ける。

「そうやって、現実を生きる中で他の人間どもとの本質的な違いを見せつけられるにつれて、ブリュンヒルドはヨドミをまとうようになっていったわけだ。戦乙女のプライドからか、あいつは最初に言ったよ。もし私が完全に人間に堕し、愛に狂い愚かな存在に成り下がる前に、お前の手でこの地獄を止めて欲しい、とな」

「……」
「しかしな、グンテルと結ばれた後、あいつは幸せをつかめたんじゃないかと思った。永遠の若さこそ人間から見れば『異常』だが、それでも人の世で幸せにやっていけるんじゃないかと思っちまった――」

「あなたはそれで……どうしたの?」
「――生きろと言った。それがどれほど愚かなことだったか――オレがもっとも後悔したことだ」
「――シグ……」
「次第に、ブリュンヒルドはヨドミに染まっていった。――オレが取るべき道は、最初から一つしかなかったんだよ」

「――ヨドミって、何……?」
「竜の放つ毒気のこと。または、それを撒き散らすようになった悪竜そのものを指すこともあるわね。覚めなくなったユメ、流転に混じった永遠。停滞――。が、狩るべき存在」
 ファフニールが、私をまっすぐに見つめながら言った。

「竜とは永遠を夢見るモノ。だけど、それは届かない限りにおいてのみ許される。眠りを抱え込み、覚めない夢を見るようになった竜はヨドミとなり、人間にとってもっとも危険な存在に『反転』するの。
 あたし達はそういうふうにヨドミに汚染され、毒を撒き散らすようになった竜を悪竜と呼ぶわ。世界各地の伝承に現れる誘惑者――魔王と呼ばれる存在は必ず悪竜の相を持つ。いいえ、それは永遠を夢見、それに取り込まれてしまった竜の末期の姿なのよ。
 ……私の親父様も、もうほとんどヨドミに覆い尽くされかけていた。シグによる滅びは、」

「ファフ、くだらねぇこと言ってんじゃねぇ」
「んーん、くだらなくないよ。――だからあたしは」
「――ファフ」
「――ごめんなさい……」

「……オレは、のなかでも特殊な位置にいてな。竜を狩ることを専門にしている。ヨドミはもちろんのこと、そうなる前の竜も例外なく殺す。なぜなら、そいつらもゆくゆくはヨドミに取りこまれることが分かっているからだ。
 もっとも、そこまで力ある竜はあまり出現しないんだがな。たまーにバカでっかい竜が生み出されることもある。……お前のサーヴァントであるアルトリアはその典型だ。人間一人を竜にしちまったほどの想念を抱え込んだ存在なんだからな」

「それが、あなたがセイバーを狙う理由なの?」
「そうだ」
「だったら! なんでわざわざサーヴァントになったセイバーを狙うのよ! セイバーがまだ生きている時代でやればいいじゃない!」

「――今、この時代にいること。それが、ヤツを悪竜にするから、だろうな」
「……え……?」
「言っただろ、覚めない夢を見る竜こそがヨドミを生み出すと。……お前、あいつが真っ当なサーヴァントじゃないこと知ってるだろう

「――」
 ギクリとする。なにか、胸の深いところにガラスの破片を埋め込まれたような、小さいけれど危険な痛みを引き起こすような言葉。

「――竜は放っておけばヨドミに冒され、悪竜となる。これは絶対に避けられない運命だ。オレがここにいるのは、もしかしたらあいつに呼ばれたからなのかもしれんな」

――そうか――
 ――分かってきた。どうしてであるジークフリートと、竜であるファフニールが一緒にいられるのか。

「――私には竜のことはあなたたちほど分かりはしないけど、でも」
 人々の願いから生まれ、彼らに代わって夢を見るその存在が、いずれ迎える運命。もし、永遠に続くその運命から解き放つ存在がいるとしたら、彼らはきっと――

「――ね、ファフニール。ジークフリートのこと、好き?」
「うんっ!」
 満面の笑みで応じるファフニールには、戸惑いも迷いもなかった。

「バ、バカかてめぇ! ニンジン食うぞコラァ!」
「キャーッ、やだやだいやぁぁあぁぁぁ~……」
 彼は、竜を愛しているから。
 ――狂おしいまでに。

NEXT