Fate/dragon’s dream

異変のはじまり

衛宮邸に帰ってきた頃には、もうすっかり夜になっていた。夕食を作りながら、さっきの出来事について考える。

――セイバーの力を持ってしても傷一つ与えられない英雄。最強の聖剣さえも受け流してしまう、最強の魔剣の使い手。かつて、俺はあの魔剣と相対したことがある。

――ギルガメッシュ。この世のありとあらゆる財宝を集めた最古の英雄王と戦った時、俺はその剣を前にした。あの時俺がその剣に打ち勝つことができたのは、ギルガメッシュが集めた剣の『持ち主』であるだけで、『使い手』ではなかったからだ。

だが、その剣を究極の一として極めた使い手には、贋作造り《フェイカー》では決して勝ち得ない。

「今日はここまでだ。だが、聖杯はオレが貰うぜ。――いずれまたな」
 あのあと。正体を明かしたジークフリートはそう言い放つと、闇の中を新都方向に去っていった。セイバーと遠坂とを連れ、とりあえず人心地つこうと衛宮邸に向かったが、その道中は、だんまりを続ける二人によってギスギスしっぱなしだった。

だけど、それも仕方のないことかもしれない。相性の問題とはいえ、セイバーは『セイバー』として、『ドラグーン』というサーヴァントに大敗したのだ。

「はぁ。なにか突然大変なことになってきたなぁ……」
 夕食はあまり愉快なことにはならないだろうなと思いながら、俺は居間へ戻った。
「あれ、セイバーは?」
「道場よ。……少し一人にさせてほしいんだってさ」
「……そっか」
 苦い顔で言う遠坂の隣に、腰を下ろす。
「仕方ないわよ。まがりなりにも最強と呼ばれた英雄が、手も足もでなかったんだから……そっとしておいて上げましょう」
「ああ……でも」

「分かってる。あれはあらゆる意味でセイバーの……アルトリアの『天敵』だもの。最強の竜殺し《ドラグーン》ジークフリートと、竜殺しに特化した剣《ドラゴンスレイヤー》の組み合わせなんて、『ブリテンの赤い竜』であるセイバーからすればこれ以上ないほど最悪の相性よ」

「生前の英雄の背景が相性に大きく影響するんだったよな、確か」

「そうよ。ていうか、あいつくらいになると相性以前の問題かもね。なにせ『竜殺し』の代名詞みたいな英雄だもの。あれはセイバーが勝てなくて当然なのよ。『竜』である以上、セイバーがどうしても勝てない唯一の英雄。ジークフリートなんて日本でもよく知られてるから、知名度による補正も大きいわ。相性が普通の状態でやっと五分ってところなんだし。でも……」

「セイバー自身は割り切れないだろうなぁ……」
 
はぁ、とため息をつく俺と遠坂。

「――とりあえずどうするか決めなくちゃ。あんまり考えたくないけど、また聖杯に関して『なにか』が起こっているのも確かみたいだし、初動が早ければ早いほどいいわ。そういうわけで士郎、ちょっとかわいそうだけどそろそろセイバーを連れ戻して来てくれるかしら。私は桜に電話して、慎二に異常がないか聴いておくから」

そう。半年前の聖杯戦争のとき、最後に聖杯の核たるイリヤの心臓を埋め込まれ、不完全な聖杯として利用されたのは慎二だ。だから聖杯に関係してまた事件が起こったのならば、一度聖杯となったことのある慎二にもなにか兆候が現れているかもしれない。

聖杯戦争の最後に、遠坂の活躍によって聖杯から解放された慎二はなんとか一命を取りとめた。その後衰弱状態に陥って入院していたが、桜の看護で少しずつ回復していった。

不思議なことに、目覚めた慎二の性格は少し変わっていた。傲慢で自信家なところは相変わらずだが、以前のような陰湿さやひねくれたところが薄らいだと思う。いや、昔に戻った、というべきだろうか。初めて出会った6年前、あいつは確かに、皮肉屋だがどこか憎めない男だったのだから。

しかし一番驚いたのは、桜に対する接し方だろう。桜の言を信じるならば、なんと慎二は桜にいままでのことを心より謝り、それ以来すっかりいい兄貴になってしまったというのだ。

『はぁ!? ちょ、ちょっと桜、あなた大丈夫? 看病しすぎで疲れてるんじゃないの?』

遠坂がそう言って桜に笑われるのも無理はない。あの慎二が『謝る』だなんて、それまででは考えられないことだ。だけど、昔の慎二を知る俺は、それを聞いてなんとなく胸の晴れたような思いだった。

聖杯の中にあったモノ――究極の呪詛を含んだ泥。そんなものに汚染され、そしてセイバーによって浄化されたことで、慎二の心に潜んでいた暗い想念も吹き飛んだのか。それとも、圧倒的に巨大な深淵の前で、自身の心に潜む闇などあまりにも取るに足らないものだと思い知ったのか。

過程はどうあれ聖杯戦争の結末は、間桐の兄妹にとって最善のものであったのかもしれない。まあ、桜があまり顔を出してくれなくなってしまったことは、その、ちょっと残念ではあるが。

「……さて。鍋が吹きこぼれない内に呼んでくることにするか」
 俺は重い腰を上げ、道場へ向かった。


「セイバー……」
「……シロウ。すみませんが、もう少し一人にさせていただけませんか……?」
 冷え冷えとした道場に佇むセイバーの、第一声がそれだった。

「夕食作ったぞ。冷めない内に食べないか?」
 ぴく。
「………………いえ。今は、とても。……とてもそんな気分では……」
「そうか……。残念だな、今日はセイバーの好きなものいっぱいあるのに」
 ぴぴく。
「あ、それとも最近は俺の料理にも飽きてきちゃったとか」
「い、いえっ!! 決して断じて、そのようなことはっ!!」
 
あ……という顔で真っ赤になるセイバー。

追い討ちをかけるように、静まり返った道場にきゅるるるるるという音が響いた。
「……」
「……」
「……ぷっ」
「――――」

「腹が減っては戦はできぬ、だろ。……ちゃんと食べて今後の作戦を練ろう。大丈夫さ、きっとなんとかなる。あの時だってそうだっただろ? もっと絶望的な状況だって、どうにかしてきたんだからさ」
 そう言って、セイバーに背を向ける。その背に、
「……シロウ。――申し訳ありません。私は、あなたの力になれなかった……」

「……バカ言うな。十分頑張ってるじゃないか」
ですが! ……ですが、私は、ジークフリートに、……負けました。……本来であれば、シロウも凛も命はなかった――。サーヴァントとして、貴方や凛の剣として、私は――!

でもこうして生きてる。――セイバー、もう、聖杯戦争は終わったんだ。俺も遠坂も、セイバーのことをサーヴァント――剣としてなんて見ていないよ。遠坂も言ってただろ。――セイバーは、今はもう、アーサー王としてではなく、アルトリアとして、ここにいるんだから」
 俺は振り返って言う。

「あ……」
「だから、セイバーが俺達を守ってくれたことに感謝こそすれ、なじるようなことなんてあるわけがない。アルトリアは……俺達を助けてくれたんだから」
「――シロウ」

どこまでも深い、碧の双眸。金砂のような、美しい髪。それは、かつて最も偉大な騎士王の姿だったモノ。だが、今、目の前にいるのは、長い長い戦いを駆け抜け、やっと平穏を掴んだ一人の女の子だった。英雄としてではない、少女としてのセイバーが、そこにいた。

「――私は、いつのまにかこの生活に慣れてしまっていた。だからあなた達を守れなかったのではないか……それに甘えてしまっていたのではないかと――」

「それは違う、セイバー。この生活は、もうお前のものだ。もっともっと慣れてくれないと困る。だって、セイバーには……セイバーは、幸せにならなきゃ、嘘だ。だから、今度はそれを守るために、セイバーの力を貸して欲しい」

「……はい。ありがとうシロウ。私もこの生活を、シロウや凛を守りたい。だから、戦います」
「うん、それでこそセイバーだ」

――そう。
 ――今は、まだ。でも、そうやって、少しづつ積み上げていくのであれば、いつか――

「お話は終わったかしら?」
「おわっ!」
「……!」
 
振り向けばそこに。なんだかよく分からない迫力で、にっこりと笑いかけるあかいあくまがいた。

「とっ、ととと遠坂! いつの間に」
あら~? どうしたの衛宮くん? そんな動揺しちゃって。ずぅ~いぶん遅いから来てみたんだけど、お邪魔だったかしら?
 にっこり笑うその表情が、こんなにも邪悪めいて見えるのはどういう魔術なのだろうか。

「い、いやそんなことはっ! な、なぁセイバー?」
は、え? あ、は、はい! 気持ちの整理もつきましたので、決意も新たに、ですね」
「ふーん、ま、それはそうと、台所でお鍋が吹いてたわよ」
「あっ、しまった!」

ごきゅる。慌てて道場から出ようとする俺に、擦れ違いざま遠坂の肘鉄が入る!

「~~~~~~~!!」
「大丈夫よ、火は消しておいたから。だめよ士郎、ちゃんと注意しておかないと、ね?
 い、息がっ! しかも微笑む遠坂の目は笑っていないっ!

「シ、シロウ、大丈夫ですか?」
 
セイバーが駆け寄ってくる。遠坂は、プイと顔を背けると
「じゃあ二人とも、ご飯が冷めない内に早くね。作戦会議もあるし」
 そう言うとスタスタ先に行ってしまった。……………俺、なんかしたか??


「じゃあ、早速はじめましょうか」
 遠坂の言葉に、もぎゅもぎゅごっくんと最後の一口を飲み込むセイバー。俺はとりあえずお茶を淹れようと、食卓を立った。

「まず状況整理ね。……と言っても、サーヴァントが一人現れて、それがジークフリートだったっていうこと、聖杯を狙っているっていうことしか分からないけどね」
「サーヴァントが現れた、ということは、やはりまた聖杯戦争が始まるということでしょうか」
 セイバーが疑問を口にする。そう、それは俺も気になっていた。

「まず間違いなくそれはないわ。前回の聖杯戦争から、まだたった半年しか経ってないもの。これまでの記録によると、聖杯戦争は第一回から第四回の間が約60年ごとに起こっていて、10年という異例の早さで起こったのが前回。いくらなんでも期間が短すぎるし、協会も教会も把握してるふうじゃないもの」

「でも、聖杯が関係してるのも間違いないんだろ。そうだ、慎二はどうだった?」

三人分の湯飲みを出しながら俺は訊ねた。我が家はいつのまにか遠坂の湯飲みまで常備するようになってしまっている。このままでは、いつか衛宮邸は遠坂にのっとられてしまうのではないだろうか。

ぜーんぜん。ぴんぴんしてたわ。桜とも本人とも話したけど、別になんともないって」
 なぜかがっかりした口調で言う遠坂。いや、体調に別状がないんだったらそれに越したことはないんじゃないかな?

「ふむ。ということは、消し飛ばしたはずの聖杯が、まだ残っていたというわけではなさそうですね」
「でしょうね。残っているとしたら慎二の体内――もう使われなくなった魔力回路しかないわ。でも、あんなものが活動を再開したとしたら、まず間違いなく本人に何らかの異変が起きる。それがないっていうことは――」

「今回、異変を起こしているのは、少なくとも前回使われた聖杯ではない、ということですね」

「慎二がどうこうっていうのは、可能性としては考えられた線だったんだけどね。でも、身体に別状がないんならその可能性はまず消えるわ。  ……でもさ、疑うのも当然だと思わない? なによアレ、いきなり善人になっちゃったりして。怪しいったらありゃしないじゃない」

ブツブツとかなり酷いことを呟く遠坂。それはさすがに慎二に同情するぞ。

「ということは、また別の聖杯が出てきてるってことにならないか?」

「だから、最初言った通りそれも考えづらいのよ。こうなると今の私達には、この聖杯に関してはあんまりあれこれ予測は立てられないわ。少なくとも前回の聖杯ではない、でもまた聖杯戦争が始まるとも考えにくい。  それに第一、聖杯戦争の兆候なんかあったらまず教会が黙っていない。でも今、あの教会工事してて神父さんいないのよね」

「……は?」
「聖杯戦争の監督官となるべき人物がこんなときに不在――つまり、教会では少なくとも聖杯の動きを感知していないのよ。教会は冬木を聖杯の観測地として重要視してる。大規模な聖杯の活動が起こってたとしたら、とっくの昔に行動を起こしているはずよ」

「でも実際は、神父を不在にさせるほどのんびりしてると」
「ま、数十年周期のはずの聖杯戦争だもの。あの神父さんの年齢からいっても、彼の在任中にまた聖杯戦争が起こるなんて可能性は少ないでしょうしね」
「うーん……」

「凛、実はですね」
 俺と遠坂の視線がセイバーに集まる。
「気になることがあります。……気のせいかと思ってすぐ報告せずにいて、申し訳ありません」
「いいわ、そんなこと。で、どうしたの?」
「……身体の維持に必要とする魔力の量が減っているようなのです」
「――ほんと?」
「はい、言われてみて初めて気付く程度なのですが、確かに身体の維持が先ごろから楽になっています」

「いつからか分かる?」
「それが……昨日には、気付きませんでした。はっきり気付いたのはつい先ほどです。ジークフリートに宝具を使った時、マスターからの魔力補充が思ったより少なかった」
 それを聞くと遠坂は考え込んでしまった。

「それが本当なら……やっぱり聖杯は」
「少なくとも、なんらかの動きはあるのでしょう。サーヴァントに魔力を供給する装置としての聖杯は、機能し始めていると考えられます」
「――可能性が低くても、それしかない、か……うーん」

「いや、ちょっと待ってくれ。そもそもさ、よく分からないんだけど」
 二人の視線が、今度はこっちを向く。
「聖杯戦争って、どういうシステムになってるんだ?」
は? 今更なに言ってるのよ。だから――」

「7人の魔術師と7人のサーヴァントが聖杯を求めてバトルロイヤルっていうんだろ。そうじゃなくて、どういう仕組みで聖杯が出現するのかってこと。確かルールを敷いたのは遠坂の家でもあるんだろ? だからその聖杯が機能し始めるっていうのがどういうシステムになっているのかと思ってさ」

二人は、まるで鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしている。
「それに第一、話に聞いてた聖杯ってのも実物は全然違ったじゃないか。どんな願いもかなえる願望機って話だったけど、実際の聖杯はあんなものすごい呪いを吐き出す邪悪なものだった。  もしかしたら、前の戦争の前に、システムの異常でも起こってるんじゃないのか?」

「――――――」
 なおも呆然と俺を見つめる二人。う、やっぱまずかったかな。遠坂にとってはそんなこと当然知ってるべきことなのかもしれないし、聖杯そのものに呼ばれたセイバーも知ってるのかもしれない。

「……そうよ、そういえばそうよ」
「――迂闊でしたね」
「へ?」
 だが、二人の反応を見ると、その疑問はそれほどはずれたものでもなかったらしい。

「セイバー。アインツベルンの城でギルガメッシュが言った言葉、覚えてる?」
『聖杯は万能の釜。6人のサーヴァントの生贄をくべることで魔力を満たし、……原初へと至る孔を開く』と……。細かいところまでは覚えていませんが、たしかこのようなことだったかと」

「そう。ギルガメッシュの言うことを信じるなら、聖杯っていうのは即ち根源への孔を開けるものよ。どんな願いもかなうっていうのは、つまり根源から溢れ出る無限の魔力を手にすることができるってこと。だけど」
「いつのまにか、中身が変わってる――?」

「ええ。ギルガメッシュは、聖杯の中身は『この世全ての悪《アンリ・マユ》』と言ったわ。――士郎の言う通り、もうとっくの昔に聖杯のシステムには異常が生じていたのよ――根源へと通じるはずの孔が、なぜそんなもので満たされてしまったのか。私達は、そもそもそのことを知らない」

「ギルガメッシュは聖杯の中身のことと、本来の役目のことは言いましたが、それが矛盾することの説明はしませんでした」
「じゃあ、やっぱり何かシステムに異常があるんだろう。その異常が、ジークフリートを呼び寄せた……?

「――実はね、聖杯戦争のちょっとあとに調べてみたことがあったのよ。あの呪いの泥はともかくとして、聖杯が開ける根源への孔なんてものは魔術師にとってみれば垂涎の的だからね」
「それで、何か分かったのですか」

「一応遠坂家の関わった部分として、聖杯のシステムに関して記述された本も、あることはあったわ。でも、それは土地の霊脈を操作し、聖杯降霊のために整えたみたいなことが書いてあっただけ。多分重要なことは封印されてるんでしょうね。さすがに私が気軽に解ける封印じゃなかったし。  ただ、聖杯戦争が始まった当初は根源への孔を開けるという目的があったんだから、いくらなんでもあんな呪いが満たされていたとは考えられない。そして、セイバーの話では、前々回のときはすでにあんなものになっていた。ということは」

「2回目か3回目で異常が生じた?」

「そう考えられるわ。その内どれかで、本来無色の力である聖杯は呪いに汚染された。もっともそのころの聖杯戦争の内容は知りようがないし、時期がわかったってどうなるもんじゃないけど。  ――そうね、聖杯を用意したアインツ、ベ――」
――そこで。遠坂は完全に固まってしまった。

「……凛?」
「……遠坂? おーい、どうした?」
「……ラインの、黄金」
「え?」
「――思い出した。ラインの黄金……そうよ、たしかアインツベルンって……士郎、セイバー!」
「わっ」
「は、はい」

「明日朝一番でアインツベルンの城に行くわ。あそこはずっと昔から聖杯戦争のときのアインツベルンの拠点だから、もしかしたら……」
「ちょ、ちょっと待てって。アインツベルンとラインの黄金がどう関係……って、まさか!?

「ずっと前に綺礼のやつから聞いたことがあったのよ。アインツベルンはラインの黄金伝説とも縁のある家系だって。ラインの黄金って、ジークフリートの持ち物だったものじゃない。士郎、私のペンダントのこと覚えてる?」

俺は無言でうなずく。もちろんだ。忘れろったって忘れられるわけがない。今も大切にしまってある。俺の命を救ってくれた遠坂の父親の形見。そして、それを生涯持ちつづけた英雄エミヤは、その縁によって遠坂のサーヴァントとなったのだ。

「サーヴァントを召喚するときはかならずその英雄に縁の深い触媒が必要……では凛は」

「そう。今回の一件、アインツベルンがなにか絡んでると見て間違いないわ。聖杯の製作に携わるアインツベルン、伝説においてジークフリートの所有物だったラインの黄金……ニーベルンゲンの財宝。  条件が整いすぎているもの。むしろジークフリートのマスターが、アインツベルンの人間であると考えた方が自然よ」

 ……言われてやっと思い出した。そうだよな、あいつもサーヴァントなんだからマスターがいるはずだ。

なんか最近は遠坂がセイバーのマスターってことさえ忘れることがあるので、なんとなくピンと来なかった。クソ、平和に慣れてるのは俺もじゃないか。とてもじゃないが偉そうにセイバーに説教なんてできる身分じゃない。

……ん? でも待てよ。そうすると、

待った、遠坂。それじゃ城にいったらまたジークフリートと遭遇する危険性もあるってことじゃないか」
「そうよ、だからこれからジークフリートの対策を練るのよ。分かった?」
 指を立てて遠坂が言う。

「確かに不利だけど、でも私達だって相手の素性や武器は分かったもの。伝説や伝承を分析していけばきっと弱点が見つかるはずよ」
「それは道理ですね」

しかし、ジークフリートには原典が大きく分けて二つ存在している。北欧に伝わる古き神々の詩『エッダ』を編集したと言われる、『ヴォルスンガ・サガ』。そして、キリスト教の影響下で紡がれた、ゲルマン神話における悲恋と悲劇の物語、『ニーベルンゲンの歌』

「どっちを分析するんだ?」
両方に決まってるでしょ。あなたまさか、一つの伝承がそのまま全部だと思ってない?」
「う、いや、それだったら楽だなーと」
 遠坂はハァ、と肩を落とす。

「現実はそんなに単純じゃないわよ。いい? 一つの伝承は真実の一部を含むに過ぎないわ。相手は架空の英雄でさえ召喚してしまうような聖杯よ。複数の似たような伝承がある英雄なら、必ず伝承が混ざるか、少し変化した形で召喚されるはず。伝承が複数あるんだったら、互いに検分して、より正確なことを知ることもできるでしょ。  第一セイバーだってそうじゃない。どこの伝承に『アーサー王は実は女だった』なんて書いてある?」

それはそうだ。
「だからとりあえずヴォルスンガ・サガとニーベルンゲンの歌の両方を当たってみる必要があるのよ。分かる?」
「う……わ、分かる」

「ならよろしい。――とりあえず夜も遅いことだし、今日はサガだけにしましょう。ニーベルンゲンの歌の方のジークフリートはあまり詳しく記されてないから。サガのほうはグラムの出自も詳しく書かれてるし、ジークフリートに関してはそっちのほうがずっと詳しいし。  士郎はサガか歌、どっちか知ってる?」

「サガの方は親父が話してくれたことがあるから粗筋は分かる。歌の方はよく分からないな」
「私は両方とも知ってるけど、それなら士郎、頼まれてくれるかしら」
「ああ、いいよ」
 そして、俺は語り始めた。

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