Fate/dragon’s dream

脚本にない章 真相の地下聖堂 後編―そして―

――フォルカー……!
 それは、『ニーベルンゲンの歌』に登場する、文字通り全てが謎に包まれた人物。宮廷楽人という極めて低い身分であるにも関わらず、近衛に仕える騎士であり、その武勇は親友のハーゲンをして感嘆せしめるほどであり――

そして、なぜか『ニーベルンゲンの歌』以前のニーベルンゲン物語には、影も形も見当たらない人物。
 一説によると、フォルカーとは『ニーベルンゲンの歌』を編集した詩人が、自らの分身を物語に描きこんだ姿とされる。それは、半分正しく、半分は間違っていたということか。

「……なのね。『フォルカー』とは、オリジナルの――『ニーベルンゲンの歌』や『ヴォルスンガ・サガ』となるよりはるか昔、エッダに記されることとなるニーベルンゲン物語の基礎となった――『災い』にまつわる物語全ての原典を記した作者だったのね――!
 作者であるあなたが自分の存在を隠蔽してしまえば、あなたの存在は物語の中から消え、二度と現れることはないはずだった。……だけど、実際には『ニーベルンゲンの歌』にあなたは登場している。
 後世の人は、それを新たに描き込まれた人物と思ったけど、事実はそうではなく――あなたという存在の隠蔽が、暴かれたからに過ぎなかった。
 だけど、存在が暴かれたその舞台は、魔術を否定するキリスト教社会。だからあなたの背景は支離滅裂なものになったのよ。魔術師を魔術師として描けなかった世界だったんだから。
 フォルカーとは、楽人でも戦士でもなく魔術師であり――数多のニーベルンゲン物語の、最初の一を書いた人物だった――! それなら、いろいろ辻褄が合う――!」

「ふむ、少しだけ事実と異なりますね。私は一応戦士でもあり、楽人でもあり、その上で魔術師だった。技術を魔術と組み合わせていたからね、少し過大評価されてしまっていたかもしれない。
 そう、それ以外はあなたの想像通りですよ。この書物は二回ほど全面的に改修され文章も書き換えられているけれど、もともとは私がシグルドから聞いた彼らの物語を書き留めた覚書のようなものだった。
 だからシグルドとも、そしてもちろんハーゲンとも、物質として直接的な縁があった。彼らはよく、この本を執筆する私の周りで各々の武勇譚を話して聞かせてくれていたのだよ。
 だから、彼らを呼ぶことは容易かったよ。――少々失敗もあったけれど」

「あなたは――一体どうしてここにいるの? 本に自らの魂の一部を塗り込めてまでニーベルンゲンの災いの記録を残そうとしたのは何故?
 ただの本や日記、草稿のような遺品として残っているのだったらまだ分かる。でも、そんな強大な魔力を本に封じ込め、作者の意思だけを物語に託す理由が分からない。それもただの意思じゃない、あなたは自分で言っていたように残留思念であって亡霊じゃないもの。作者としてのフォルカーが、『災い』に対して持っていた何らかの執念よ。
 しかもあなたは、私の家の地下室から動くこともなく、そして目覚めてからほとんどタイムラグなしで、遠く離れた場所にある大聖杯の存在に気づき、あまつさえその機能を解析し、部分的にしろ乗っ取った。
 そんなこと、普通のレベルの魔術師だったら到底できるわけがない。生前のあなたが卓絶した魔術師で、そして亡霊となって本に宿っているのだとしたら頷けない話じゃない。でも、ただの残留思念として何かの目的を達するためだけに遺されたような存在に、そんなことが直ちにできるとは思えない。
 ――思いつく理由はただ一つ」

「頭のいい娘だ。――それで? 言って御覧」

それこそが、あなたに課せられた目的だったから。読む事によって発動し、土地の霊脈に寄生し乗っ取る、それはいわば、マジックサーキット(魔術回路)を侵すウイルス!
 ……なぜ、そんな目的をあなたは課せられているの? 作者の魂が塗り込められた『あなた』は、本物のグリモワール(魔書)よ。土地に取り付き、操作する。そんなデタラメな力を持った書物なんて、そうそうあるわけがない。なぜ、そんな書物を、あなた(フォルカー)は遺したの?」

フォルカーは薄く笑う。右手に開かれた本体である魔書は、それに呼応するかのように淡い光を放っていた。

「貴女の言うとおり、私は霊脈――より広義には、魔力のネットワークに寄生するマジックサーキット・ウイルス。一度本を開き目覚めれば、その場から土地の霊脈にもぐりこみ、魔力を蓄えて記されたプログラムを展開する。仰々しいけれど、究極的にはただそれだけの存在。
 私が、このような魔書に己の一部を塗り込めてまで守りたかったもの。それはきっと、貴女方からみれば、全く取るに足らないもの。それでも、それは私にとっては、かけがえのない物語――」

唄うように、フォルカーは言う――

「そう。単純な話ですよ。私は、この書に綴られた物語を、その土地においてある形で再現し、上演することこそが使命。そのために霊脈を乗っ取り、その土地を作り替え、劇に相応しい舞台を整える。
 貴女たちには分かるまい。私の親しい人たちは、誰一人として生き残ることがなかった。『剣』を暴走させた宝石は、全てを巻き込み全てを生贄にして、死者を呼び戻そうとした。あの地獄の中で、生き残る以外に幸運と呼べたものがあっただろうか。
 親友の屍を抱き、我が身を呪った。なぜ、私などが生き残ってしまったのか。なぜ、この男が死ななければならなかったのか。
 ――あの時、私の全ては終わったのですよ。ビフレスト(神への道)を閉ざすと引き換えに、大切な友を失ったあの時に。
 『この災いを知らしめよ。決して忘るることなかれ』
 ……そのために私は生き延びた。地獄の中から這い出し、その災いの全てを物語として書物に塗り込めました。私たちが、如何なる悲劇の元に運命をゆだねたのか、如何なる物語を綴ったのか。竜と宝石、英雄と剣と杯は、何をもたらし、何を奪い去ったのか。
 ふふ、だって仕方がない。いったい、誰が責められるべきだったというのか。私には、全てを奪われた恨みをぶつける相手さえ見出すことはできなかった。そう――なにも。
 呪われし『ニーベルンゲンの財宝』が悲運を呼び寄せたのかもしれない。しかし、それを変えられなかった私たちに、財宝を責める資格はない。第一、それらはすでに永劫の流れの中に封じられてしまった。
 ――私にはね、何も遺されていなかった。希望も、絶望も。友も、仕えるべき主も、恨み言を言う相手すらも。唯一残ったものは、そう、『災い』という名を冠した物語だけ。だから私は、ソレ(物語)を遺した。私たちの運命を、ただ、知らせるために。
 ――だけれど」

フォルカーは、衣擦れの音すら立てず、すっと一歩前に踏み出した。気圧されるように、私は一歩下がってしまう。

「――物語というのはね、遠坂凛。受け取り手がいなければ存在し得ない。読まれない本というのは存在しないも同じ。
 なぜなら、言葉とは常に、発し手と聞き手両方から力を受ける。言葉とは、指向と力という二要素があり、発し手は指向を、聞き手は力を決める。そういう言葉の本質を指して、この国では言霊と言いましたか?
 ――私がいかに技巧をこらしてあの『災い』を描いたとしても、相応の読み手でなければ、それは所詮、ただの『お話』として受け止められてしまい、私は遺したかったモノを遺すことができない。同一の文章でも読み手によって理解や解釈の仕方が違う。それでは駄目なのです。
 それは、『物語』という事象に根源的に内包される不可避の欠陥。空に浮いた物語は存在しない。そう、『夢見の呪縛』を受けない竜が存在し得ないように。もし、そんなものが存在するならば、それこそが『dragon's dream(竜の見る夢)』に他ならない。
 ――ならば、『再現』するしかない。『災い』を、役者と舞台を以ってその地に再現すれば、そこにいる人々に私たちと同じ感情を誘起させることができるでしょう。それを以って、『災い』の物語を継承する。そのために――『私』が生まれた。
 『災い』の物語を継承した人々――つまり生き残った観客達ですね――は、それを口伝し、そして、私はその本懐を遂げるとともに永い眠りに入った」

「……あなたは」
 踏み止まり、足に力を込めて目の前の存在を睨み付けた。

狂ってるわ……! それはエゴよ。あなたはその物語を、後世の人たちに託すだけでよかった。それ以上にでしゃばってはいけなかったのよ――『作者』としても、『災いの生き残り』としても――! そんなのただの八つ当たりじゃない!
 だけど、フォルカーはその視線をあくまでやわらかく受け止め、苦笑を返し――

「その通り、八つ当たりです。最初に言ったでしょう? 私には恨み言を言う相手すら残されていなかったと。
 あの煉獄の中で私の心は死んだ。それでも身体は生きていて、生きなければならかった。だから欲した、心を生かす『何か』を。たとえそれが、我が心の歪ゆえに生じたものだとしても。
 貴女にそれを責める権利がありますか? 壊れた心に『何か』を与えられ、そのために歪んだ人間を、すでに容認している貴女に」

「―――ッ!!」
「口伝は伝えられ、私はそのまま眠り続けました。だけれど、たまたま私を『読んで』しまう人間もいてね、そういった人々の前で、私は時々『上演』をしていたのですよ。
 この書の運命の転換となった上演は今よりおよそ800年の昔。――もうおわかりでしょう。そのときこの書を紐解いたのがどのような人物だったのか」

「――まさ、か……! アインツベルン――!」

「その通り。どうやら彼らは、自らが継承したラインの黄金伝説を調べるうちに、私の存在に行きついたようだった。とある修道院に眠っていた私を、彼は読んだ。しかし、ここで私にとって予期せぬ事態が起こりました。
 そのアインツベルンの人間はね―――私にどこか……似ていた――。……そう、似ていたんですよ。境遇も、そして――魂の色さえも。
 ……彼の心を通じて、災いの劇の中に隠蔽したはずの私が――フォルカー役、と言ったほうがいいですね――出現してしまった。永遠に消えたはずのフォルカーという存在が、再び舞台に上がってしまうことになった。
 その男は――物語が終わったとき――何を思ったか、私を修復してくれました。私が眠りにつくことが多くなったのは、時の流れと共にもともとの私が記した言葉が読めなくなってきたからという理由がもっとも大きかったのですが、彼は私に新たな言葉を与え、後世に残した。そう、今の私に記された言葉は、そのアインツベルンの男が演じた劇を題材に創り直された物語なのだよ。そしてその物語は――」

「私たちが『ニーベルンゲンの歌』と呼ぶ――ドイツの英雄叙事詩となって、分化した――!」
 つまり、私の家の地下室にあり、今目の前で浮いているこの赤茶けた本こそが――
「あなたは――叙事詩『ニーベルンゲンの歌』の原典でもあるっていうの!?」

魔術師にして詩人であった、フォルカーの記した『ニーベルング・ノウト(ニーベルンゲンの災い)』。その本は、自らに秘めた災いを他者に撒き散らしながら永い時を存在し続けた。災いの劇に巻き込まれた観客のうち、生き残った人々がニーベルンゲン伝説を口伝し、いつしかそれがエッダに集められ、そしてヴォルスンガ・サガとなった――

だが、その原典は別の道を歩むことになる。ラインの黄金からこの魔書に辿り着いたアインツベルンは、原典に記された物語を書き直し、消え行く物語だったフォルカーは予期せぬ復活を遂げた。
 それが、ニーベルンゲンにまつわる物語が大きく二つに分かれている理由――!

ヴォルスンガ・サガと、二―ベルンゲンの歌。物語は口伝によって継承され、サガとなり――
 それを記した原典は、叙事詩となって新たな命を吹き込まれた――!

「何時、何故、アインツベルンがこの遠坂の家に私を贈ったのかは分かりません。ですが私は貴女によって、ここにこうして再び目覚めることとなった。せっかく彼に貰ったこの言葉(身体)ですが、再び、全てを読みとおせるような人間が少なくなって久しい。
 おそらく、今回の上演こそが私の最後の物語になるでしょう。そしてまた、これ以上望むべくもない完璧な役者を揃えた上演が為せたのも。
 この地に存在する『聖杯』の術式を借り、完全な役者を、本人たちを呼び集めることができた。ハーゲンの召喚失敗は痛恨の誤算かと思ったが、返って劇はよい方向に進んだかもしれない」

「――そうか……士郎はハーゲンの宝具を投影しようとしたのね――! そのイメージと側にあったのせいで、投影魔術が召喚儀式の代わりになってしまった――
 宝具の投影をするときには、士郎は固有結界を開いている。だから、ハーゲンが呼び出された先は、固有結界『アンリミテッド・ブレイド・ワークス(無限の剣製)』の内部だった……!

「流石の私も肝を潰しましたよ。まさかあの少年があのタイミングで、よりによってハーゲンの宝具を投影(イメージ)しようとは。彼の宝具、『ダインスレフ(血の復讐者)』は半ば意志を持っていてね、おそらく本来の所持者であるハーゲンを『呼んだ』のだろうが――
 あの時は、私自身ハーゲンの召喚準備をしていたのでね、まったくこれ以上ないタイミングだった。この私が、横から儀式を乗っ取られてしまうとは」

クククと、乾いた声でフォルカーは笑う。

「あの少年のおかげで、シグルドと別行動する必要がなくなってしまった。流石に、あの二人を最初から同じ場所にいさせるわけにはいきませんでしたから、シグルドには理由をつけて遠ざかっておいてもらったのだけれど。
 ――種は私の思惑を超えて蒔かれた。あとはどのような物語が出来上がるのか、それを見届けるだけ。
 この場所に貴女が来るという筋書きは、私の脚本には存在しない。貴女は自らの物語を創り上げ、真相に辿り着いた。だからこそ、貴女には舞台裏を全て明かした。
 宝石よ、貴女を手に入れるべき英雄は、貴女を護るべき竜は、我らが物語をどのように読む? そして貴女は、この災いに臨んでどのような物語を求める? 聖杯を飾る宝石は、竜の彫刻とともにどのようにそれを彩る?
 さあ、私に見せてみて。竜と宝石、剣と杯とがもたらせし災いを、貴女たちがどのように受け止めるのかを」

「――私は」
 踏み止まり、フォルカーを見据える。

「やっと分かり始めてきたの。竜とはなにか、ヨドミと呼ばれる竜の毒気とは、悪竜とはなにか。
 ――そして竜の見る夢とはなにかが。
 穢れなく竜と交わることなんてできない。ヨドミとは全ての竜が根本的に内包する、定義の一つだもの。なら、私はそれと共に生きてみせる。竜を生かすことで救ってみせる。そのために――」

威圧感をこらえ、
「あなたを倒し、ドラグーン(竜殺し)からセイバーを救ってみせる!!」
 叫び、私は突進する――!

「いいでしょう。それが貴女の選択ならば、付き合ってさしあげよう」
「はぁっ!」
 両手の指に取り返した魔弾の宝石を挟み込み、気合と共に突進する。
 相手は災いをその身に宿す魔書とはいえ、そこに記されているのはあくまで物語のはず。

即ち、別段強力な魔術や禁忌の呪法が記されているモノではない。一息に取り押さえる!
 意図に気づいたフォルカーが滑るように後退するが、私は構わず宝石を投げる。一つ、二つ――ええい三つ!!

「Ta o Cygre Ne」
 指から宝石が離れたその瞬間。フォルカーの詠唱らしき言葉と共に、青白い全身が紫色の光に包まれた――
 魔弾はその膜のような魔力の前にことごとく散らされる!

「――!?」
「Revid Ts o Rf」
 首筋にチリチリとした嫌な予感が駆け抜け、私は咄嗟に身を捻った。と、フォルカーの足元の地面から氷塊が飛び出し、床を破壊しながら一直線に私のいた場所を貫通する!

バギッ!!
 嫌な音が響き、思わず振り返ると、後方に立っていた柱の一つが氷漬けになっているのが見えた。
 ――……じょ、冗談でしょ……!?

「歳若い故に勢いはありますが、やはり軽率――。魔導書ではない、ただの物語とあなどりましたね、遠坂凛。気になりませんでしたか? 私が『どのように災いの物語をその地に再現するのか』ということが。そしてなぜ、『劇の上演』に――物語の継承にこの『私』という思念体などが必要であったのか」

「な――なんですって……?」

「物語の継承は『劇の上演』によって行われる。では、『劇』とはなにか? まさか本当に役者となるべき人材を集めて殺し合いをしてもらうなどと考えていないでしょうね?
 ――それは、かつて魔術師としてのフォルカーが辿り着いた魔術の極地。現実を侵食し、世界を塗り変える禁忌の魔術。この本は、ただその魔術を為すためだけのモノ――」

「――な――」
 そんな――バカな――! まさか、それは――!

「驚くことはないでしょう。あの少年でさえ使えたのだから。心に深い傷を負ったもの、心に深い闇を飼ったものにとって、その魔術を体現することはそれほど難しいことではないのかもしれませんね」
「――固有、結界――!」

「そう。固有結界『ニーベルング・ノウト(ニーベルンゲンの災い)』。それはこの本の題であるとともに、この本が本来の目的とする唯一の魔術の名前。もっとも、あの少年とは規模が違いますけれどね。
 それと、私の結界は現実の『風景』などという、無駄なものは塗り替えたりしない。塗り変える現実はただ一つ――『ヒトの心』という現実のみ。それもせいぜい、それぞれの『登場人物』の思考に、とある指向性を付与するという程度にすぎない。
 ただし規模だけは自身がありましてね、地脈の具合にもよりますが、大体数百キロから数千キロの範囲まで影響します。――不思議なことでもないでしょう? そもそも『書物』というモノは、程度に差こそあれ、基本的にはみなそういう力を持っているものなのだから。
 ――この魔術は魔術師フォルカーの奥義の深奥。当然のごとく、そこに至るまでの術式過程と、それを使役するための魂が必要だった。ゆえに、生前の私の魔術回路がそっくりそのまま移植されています。魔術行使に関しては、生前の私となんら性能的に変わらない。残留思念である『私』は、いわば固有結果を発動させるためのカギ、回路を作動させるための『スイッチ』と言えばいいのでしょうか。
 しかも今の私は、霊脈から吸い上げたマナによって魔力の貯蔵庫となっているのだよ。生前の魔術の経験と、生前以上の魔力を持つ私に、素質有りとは言えまだ若い魔術師の貴女が勝てるはずはない」

フォルカーがそう言い終わったとき、眼前に近づいてきていたその姿がふっと消え――その手に持っていた赤い本がふわりと宙に浮いた。あたかも生物が口を動かしているかのごとく、本がばさばさと開閉するに伴い、先ほどから聞こえているのと同じ声が響き渡る。

「さあ、私も本気でいきましょう。抗ってみなさい」
「――く」
 ……まずった。

確かに、書物という物体の持つ魔力の潜在キャパシティは極めて大きい。古代から伝わる本物の『グリモワール(魔書)』のなかには、それこそ恐るべき魔力を封じたアーティファクトがいくつかある。

72柱もの魔神を封じ込めた『レメゲトン(ソロモン王の小さな鍵)』が一巻、『ゲーティア』。旧き神々の秘術を記すと伝えられる『アル・アジフ(砂漠に響くデーモンの声)』。カバラ神秘学の結晶、森羅万象全ての事象の秘密を暴く『ゾハル(光輝の書)』――など。

これら伝説クラスの魔書はいずれも、それ自体がとてつもない魔力を秘めているとされる。だが、この『グリモワール(魔書)』は、秘術や魔神を封じているわけではないただの物語。いくらといえども、直接魔術に関与しているモノではないはず――だと思っていた。
 したがって直接的な攻撃能力に長けてるわけないと思ったけど――なによこれ!

愕然とする。フォルカーが使う魔術は、並大抵のレベルではない。キャスターほどではないが、魔術体系の位階そのものが相当高く、しかも……この本は、霊脈からマナを吸い上げることによって動力源としているらしい。

ジークフリートに魔力を供給していられるのも、きっと霊脈のマナを直接回しているだけではなく、『グリモワール(魔書)』としてのキャパシティを最大限に利用してるのだろう。
 要するに、大容量の充電式電池でもあるのだ。そして、今この本は、電源(霊脈)の真上にある。魔力キャパでは到底分がない――!

……でも
 奥歯を噛む。
 ……やるしかない――!

ここであの本を破壊すれば、全ては終わる。セイバーではこの本を護るジークフリートは倒せない。今こそが最大のチャンスなのだ。結界内だからそうそう気づかれることはないと思うが、万一ジークフリートたちに気づかれたらそこで終わり。
 短期決戦――!

「テェェッ!」
 生成したガンドを投げつけるが、
「Redn uh Tleti Puj」
――ほとんど、本能的に回避運動をとる。

本より発せられた紫色の雷球は、ガンドを一方的に呑みこみ尽くし、何事もなかったかのように私に向かって飛来した。髪を少々焦がして回避し、直撃を免れたその雷球は、先ほど氷漬けになった柱にぶち当たり――まるでだるま落としのように、凍った部分だけを部屋の端まで吹き飛ばした。

「――!」
 勝機は――ないことはない。あと二つの魔弾――サファイアかエメラルドの魔力を直接あの本にぶち込んで内部から破壊すれば――!

 ニーベルンゲンの歌の原典なんて、なんとか破壊しないで済ませたいが、そうも言ってられない。
「Gro? zwei!」
「!?」

詠唱が防げなければ、詠唱をさせなければいいだけの話――!
 フォルカーの詠唱はキャスターよりも遅い。格闘戦に持ち込めば勝機は必ずあるはず!

「な――!?」
「ふッ―――!!」

 だけど。私は――失念していた。
「!?」

「……なんとこれは――! 驚きました。この時代の魔術師は格闘戦もできるのですか!
 ――そう。相手は――――本なのだ。しかも――自在に宙を舞うことのできる。
「ですが――当たらなければどうということはありませんね」
「な――ッ!?」

次に驚愕の声を上げるのはこちらの方だった。回避によって天井近くまで上昇したニーベルングノウトは、――
「!!」
 稲妻のような鋭角な軌跡がかろうじて見え――咄嗟に身体を捻った次の瞬間、左腕を重い魔力的な衝撃が貫く!

「う、あああっ!!!!」
 噛み付かれた――!? 最初に頭をよぎったのは、そのこと。それは――あたらずとも遠からずであったらしい。
 ――腕、が、

「――う、く……」
「なかなかいいモノをお持ちのようだが防御が甘い。封じさせてもらいましたよ」
 そんな――
 私の、魔術刻印、が、刻印に、魔力が、通わない――!

ガンガンとハンマーで殴られているように、頭の奥が明滅する。
 ――まさか。まさか……刻印が、壊された――?
 魔術師の家系にとって、刻印の継承は家の存続と同義。
 まさか――

「ああ、その刻印とやらがこの時代の魔術師にとってどんな意味を持つかは知っています。安心して、壊したわけじゃなく、一時的に私の支配下に置いただけだから」
 その一言にほっと気が緩んでしまった――ふと、父の懐かしい声が聞こえたような気がした。それは、ある怪異にまつわる話。

――古い本には悪い霊が宿ることがある。
――霊ならばまだいいが、もっと悪いモノが憑くこともある。
――書物とは知識を媒介するモノ――禁断の言語をその身に宿すモノ。
――それ自体が強力な呪物となり、それ自体が魔術にとって重要な触媒ともなる。

――魔術的媒介として優秀な書物という物体は、ひどいときには低級悪魔などの格好の巣になってしまうのだ。
――古い図書館で古の書を閲覧するときには気を付けないといけない。

――古の書には行き場を忘れて彷徨う霊や、召喚されたまま帰れなくなった悪魔が取り付いていたりするのだよ。
――ヘタに読もうと手に取れば、その本は突然悪意を剥き出しにして、お前の手を食いちぎってしまうかもしれないよ――

それは、魔術師同士の間で冗談のように交わされる『怪談』。フォルカー(ニーベルング・ノウト)を見て思い出した、あの怪異の名はたしか――そう――

「『ライドワード(言葉に宿る悪魔)』……ただの怪談だと思ってたけど――」
「おやおや、また懐かしい言葉を聞くものだ。あれらは大変やっかいな代物でね、駆け出し魔術師にとっては天敵に等しい」

「……こぉのぉぉっ!! 今のあんたが正にそれよ! 自覚しろおぉぉっ!!」
「――Erim Gauq」

「――ッ!」
 詠唱の言葉に反応し、距離を取ろうと足に力を込めたが――
「――な!?」
 あるべきはずの反動がなく、力を込めた分だけ足が床に沈む――!

「無駄です。私は今、この地と半一体化しているのだから。さあもう、これで終わりにしよう」
 その、途端。部屋中の床一面に、床の模様とは違う、もう一つの魔法陣が浮かび上がる……!
 や、やば――!

「Noil I Mrev――」
 大気に満ちたマナが鳴動する。ピリピリと体中の産毛が逆立つような感覚。
「……!」
 抜け出せない――! 今や床はまるで泥にでもなったかのごとく、足に絡みついてくる――!
「Fod=Rol!」

そして、フォルカーの詠唱が完成した途端、
「!!!!」
 地下聖堂を、深紅の雷撃が満たした。

……う……
「ん、気づいたか。……ったく、ムチャしやがって。フォルカー、そっちはどうだ」
「問題ないよ。大丈夫、肉体には損壊を与えないように最大限の配慮をしましたから」
「バァカ、今の状態だよ。後遺症を残したりするようなやり方は避けろよっつってんだ」

「もちろん。私は文字通り専門家だからね。さあ、あらかた済んだ。後は、君の出番だシグルド」
「……」

「ファフ、遠投できるな?」
「うん……だけど、凛さんと少し話したいな……」
「――夜が明ける前なら問題はねぇ。だが喋れるかな? フォルカー」
「おお、これは気がつきませんでした。さあ、どうぞ」

「――ッ! 」
 途端、口だけが動くようになる。身体の方は――拘束こそされてないものの、全く動かない。

――理由は簡単。
 私の左手は、今、『フォルカー(ニーベルング・ノウト)』を掴んでいる。刻印だけでなく全身の魔力回路が完全に制圧されてしまっており、そこから身体の支配権も奪われてしまっているらしい。

「……やってくれたわね――その様子だと、庭で寝ていたように見えたのも演技だったのかしら?」
「いや、そんなことはねぇよ。だが、お前さんが今夜の内に地下聖堂に入るだろうってのは予測していたし、実を言うと賭けでもあったんだわ」

「――賭け?」
 喋りながら、慎重に身体と魔力回路、状況をあらためる。
 ……仰向けに寝かされている。場所は――中庭の芝生の上。身体の方はピクリとも動かない。左手から来る『感覚』に、全身の魔力回路が完全に奪われているのが手に取るように分かる。

まあ、土地の霊脈を乗っ取ってしまうような魔書にとってみれば、人一人の魔術回路の掌握などそれこそ朝飯前だろう。
 ということは、少なくとも今は無駄に暴れるのは控えた方がいいわね。こうなってしまったらまず自力での脱出は不可能――

(……思考まで読まれていたら最悪だけどね)
 敢えて言葉にして頭に浮かべてみる。――フォルカーの応えはないが、果たしてどこまで当てになるやら。

「無理するな。フォルカーの能力は知ったんだろう? 土地さえ縛るマジックサーキットウィルスだ、動けるわけねぇ。あんまり無理して魔術回路がイカレても知らねぇぞ」
「ご忠告どうも。――それで? 私をどうする気?」

「言っておくが、先に裏切ったのはお前さんだぜ? 余計なことをしなけりゃこんなことをすることもなかったんだからな。もっとも、期待はしていたんだがな」
「――期待? ――それに、賭けって」

ジークフリートは立ち上がり、
「ま、ささやかなもんだ。お前さんがフォルカーに辿り着けなかったなら、お前さんを結界に閉じ込め、オレたちだけでアルトリアを消しに行くつもりだったんだなこれが」
 と、言った。

「オレたちがここにいる目的は昨夜達成されてたんだよ。もう気づいてるだろう? オレの目的は、お前さんたちが大聖杯と呼ぶものの破壊だってことを。
 ここを拠点としたのは、大聖杯と呼ばれるモノがなんなのかってことをフォルカーの能力で解析するためだ。それが昨夜無事に終了してな、大聖杯がニーベルンゲンの至宝『ビフレスト(神への道)』の模造品ってことが断定された。そうなると、オレが最優先することはそれの破壊となる。
 なぜか、分かるか?」

ジークフリートは立ち膝をつき、私の顔を覗きこんでくる。
「あれは竜を呼ぶ器だからだ。『竜の見る夢』をこの地に降ろす秘術は、それを夢見る多くの竜たちを引き寄せる――アルトリアのように、そしてまた――多くの、英霊たちのように」
「……」

「オレはな、この聖杯戦争という争いにおいてはイレギュラーな英霊なんだよ。聖杯戦争にオレを呼び出した場合、オレは大元の大聖杯を破壊するためにのみ行動する。竜殺しとして、そしてニーベルンゲンの財宝のかつての所持者として、オレにはその権利と義務があるんだな。
 だから通常なら、オレはこの戦争には決して呼ばれないはずだった。もともとがアレの所持者だったわけだからな、聖杯戦争のからくりにもどうしたって気づいてしまう。この地に続く夢を終わらせる特異点、ジョーカーだ。
 そして、現在オレのマスターであるフォルカーの目的は、要するにオレとハーゲンを呼び出して、物語の『読み手』を巻き込んでニーベルンゲンの遺産を巡る争いを起こすことだ。そのシナリオのラストに、オレが大聖杯を破壊するという筋書きを加えても、こいつの目的は十分達成される」

「――それで? 期待だの賭けだのが、三流監督のヘボ脚本とどう関係あるわけ?」
「フォルカーのシナリオは早々に破綻した。言うまでもねぇ、ハーゲンが横取りされたわけだ。だが、それによって新たな不確定要素が劇に組み込まれた――衛宮士郎」
「……」

「その小僧は竜のみならず、宝石まで連れてやがった。――オレは、見てみたいのかもしれんな。あの時、ハーゲンが言った、その言葉が意味するものを――」
「……?」
 最後の方は言葉が小さく聞き取れなかった。

「ま、そういうことだ。その不確定要素によって、お前はフォルカーの劇の全貌を知った。だから全てを見届ける義務ができた。それこそがオレのマスターであるフォルカーの望みだからな。
 お前は死にはしない。絶対に生き延びる。そして物語を伝えろ。神話の時代より続く、竜の夢を求める物語の、その結末を。
 ――これからオレたちは大聖杯の破壊に向かう。お前さんには、ハーゲンとアルトリア、そして衛宮士郎をおびき寄せるエサになってもらうぜ」

「―――まぁったく……」
 はぁ、とわざとらしく溜息をついてみる。

「あんたって、ほんとワケ分からないところで馬鹿正直よね。そんなことベラベラ喋っちゃっても何も得にならないわ。黙っていても、私はこれから始まる聖杯戦争の本当の終わりを見届けて、そして生き残って伝えるでしょう。私の意志とは関係なく、ね。どうしたってこれだけの事件が起こったら、報告しないわけにはいかないし。
 なのにわざわざそんなこと教えてくれちゃって……それが油断だって言うのよ!

同時に。全魔力を一気に右腕に集めた。掌握された魔力回路をショートさせ、強引に主導権を取り戻す。すさまじい激痛。

「……!?」
 だが、フォルカーが怯んだか、一瞬だけ右腕の拘束が解けた。すかさず懐に隠し持っていた翡翠の小鳥を取り出し、思いっきり中空に投げる。
 瞬間、小鳥は私の伝言を持って、一条の光の筋と化した。

「ファフ!」
「うん! ……ごめんね、凛さんっ!」
「――な……!?」

――しかし。ジークフリートの合図と同時に、ファフニールが青い霧の塊になったかと思うと、飛び去る翡翠に吸い込まれるかのように消える――。

「あいつはオレから単独で離れられねぇが、魔力を込めたモノに乗り移れば大分離れたところまで姿を投影できるんだ。
 お前さんがあの宝石細工を持っていたの、気づいてないわけないだろう? これで晴れて、三人を招待できるってもんだな」

「……く」
「さあ、ラストシーンの幕開けです。行きましょうかシグルド、この物語の最後の舞台へ」
「ああ。――この夜を、終わらせようぜ」
 ごめん、セイバー、士郎。最悪――かも。

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