Fate/dragon’s dream

大聖杯

「……ほんっとに気に食わないわね」
 暗くなってきた廊下を歩きながら、私はひとりごちる。
「カンペキに誰もいないじゃない……亡霊すら出てこないし」
 実は私の狙いはそれだったりする。生きている人間が誰もいなくても、アインツベルン関係の亡霊のひとつやふたつ出てきてくれるかもしれないと期待していたのだが……。

「うーん……」
 日が落ちると、まともな照明がない城は真っ暗闇である。そうなればそこは究極の幽霊屋敷だ。シチュエーション的にも亡霊の闊歩する魔窟となっておかしくはない。が、
「考えてみればアインツベルンが浮遊霊の好きにさせるはずないか――」

なにか魔除けでも施しているのだろう。遭難者さえ出している樹海の奥深くに建てられた城なのだから霊的に淀んでいてもおかしくはないのだが、そういう観点からみればここは奇妙なほど清められている。きっと彼らはこの先の聖杯戦争でも同じようにここを拠点として使う気なのだろう。

そのまま5階へ上がる。外から見る限りでは5階が最上階で、城の正面に向いた大きな部屋がひとつと、反対側に延びた廊下の先に小さな部屋がいくつかあるようだった。もうすっかり廊下は暗い。私は持ってきたライトをつけて正面の扉に近づいた。

(とりあえずここを調べたら一旦二人と合流するか――)
 そうして扉を開けた瞬間。中から強烈な腐臭が流れ出た。そして――

ああ、私はバカだ。反射的に、持っているライトでさっと部屋を照らしてしまった。ひどいモノがあった。壁にもたれたヒトガタ一つ。胸のあたりがドス黒く染まった白い服。それを身につけた――おそらくは女性。

すさまじいまでの腐臭は、そのヒトガタから。腐り果て、あちこちから白い骨が覗いた腐乱死体からだった。
(う……!!)
 もう思いっきり不意打ち。亡霊なら拍手喝さいだったけど、こんな生々しいモノは予想の外だ。

思わず数歩後ずさる。あやういところで叫び声を上げるところだった。手分けしていてよかった。士郎にあんなことを言った手前、アイツにこんな動転したところを見られるのは恥ずかしい。

(とりあえず二人と合流するか――)
 私は元来た道を――って、あれ? 今、廊下の奥に、誰かいなかった?
 日はほとんど落ちて、廊下はもうほとんど真っ暗である。その暗闇の奥に、さっと一瞬、白い人影が見えたような――。

(――亡霊、じゃ、なさそうだったけど――ひょっとしてビンゴ?)
 ライトを消し、私は壁伝いにそろそろと歩き出した。白い人影らしきものが見えたところは、すぐ角になっている。ということは、あそこを曲がったのか――

足音を消すため、できるだけ絨毯の上を忍び足で歩く。曲がり角まであと少しというところで、さっと壁にくっついた。そのままじりじりと角に近づき、そーっと顔だけ角から出すと――
  ――――その目の前にいた誰かと目が合った。

「――――――――――――――――――!!!!!!!」
「う、わあああああああああああああああああああああああああっっっっ!!!!!!!!!!」

正直言うと、一瞬心臓が止まった。

そこにいたのが意外な人物で、絶対こんなところを見られたくないヤツだったから、ということもあるだろう。声だけはなんとか押し殺したが、きっと私、かなり愉快な顔してただろうな――。

「――――――士郎!? バカ、あんたなんだってこんなところにいるのよ!!!!!
「え………え? と、遠坂??」
 まったくもう!! このバカ弟子は何を考えているんだか!

あんたはなんだってこんなとこにいるのかって言ってるの!! もう、せっかく大金星が見つかったかと思ったのに」
「え、え? いや、それこっちのセリフだぞ。なんで遠坂がここにいるのさ? さっき4階より上を捜すって」
「そうよ、あんたさっき自分は3階捜すって言ってたじゃない。どうして私とあんたがかち合うのよ」

「あ、あれ? おかしいな……いつのまにか4階に来てたのか?
「――ちょっと士郎、アンタ大丈夫? ここ4階じゃなくて5階なんだけど」
「――え」

「――はぁ、もう、ぼーっとするのもいい加減にしてよね。って、もしかしてアンタ、なにかトラップに引っかかったんじゃないでしょうね」
「え、いやそんなことはない、と思うけど」

「なにかに引っかかって記憶をいじられたとか、覚えない?」
「ないよ。っていうかそれムチャクチャだぞ。記憶いじられたなら覚えてるわけないじゃんか」
「……ま、それはそうだけど。――うん、別におかしな魔術の痕跡も見当たらないみたいだし――」

そのとき突然背後からセイバーの声がした。
「シロウ? 凛?」
「あ……セイバー」
 階段を昇ってきたセイバーが姿を見せる。

「どうしてセイバーまで?」
「調査は終わったのですが、上の方で気配を感じたので先に合流したほうがいいと判断しました。――凛、この臭いは」
「――ええ。そこの開いてる大きな部屋よ」


 俺とセイバーが遠坂に促されてその部屋の中へ視線を向けると――
「……う――!
 思わず、口に手をやる。部屋には壁にもたれた遺骸があった。この強烈な腐臭は、これが発生元らしい。
「……格好からすると、おそらくイリヤの侍女でしょう」
 セイバーは恐れもなく腐臭漂う部屋へ入っていった。それに遠坂が続く。

俺はおそるおそる、二人の後を追って部屋へ踏み込んだ。腐敗がひどい。
「柄が見えていますね。心臓を短剣で一突き――」
「イリヤスフィールの死後、後を追ったっていうところね」
 立ち上がりながら遠坂が言う。セイバーはなおも死体を調べていたが、手がかりになるものはないと判断したのか、立ちあがった。
「死後半年以上経っている――凛の言う通りでしょう」

「……この人、ちゃんと弔ってあげよう。イリヤの墓の隣に葬ってあげれば、きっとイリヤも喜ぶだろうし」
 俺のその言葉に、
「ええ、もちろん」
 遠坂は言うと、懐から赤い宝石を取出した。それを壁にもたれた死体の膝の上にのせる。そして、宝石は遠坂の紡いだ呪文によって発火し、やがて遺体の身体を紅蓮の炎で包み込んだ。

全然熱くないし、煙も出ない。しかしその幻の炎は、着実に自らに課せられた役割を遂行していった――

――ほどなくして火葬が終わり、俺達は暗闇の中で遺体をイリヤの墓の隣に葬った。あの人も、これでイリヤと一緒にいてあげることができるようになっただろうか。

「思いの外時間取られちゃったわね。とりあえずどこかに集まって作戦会議にしましょう」
「一階に暖炉のある居間がありました。石造りの城の夜は冷えます。そこでなら暖を取ることもできるので丁度いいのでは」
 セイバーの勧めに従い、俺達は暖炉の部屋に移動する。

「じゃ、早速だけど首尾のほどを報告して。とりあえず私が見付けたのはさっきの遺体だけなんだけど」
「俺の方は――3階には何もなかったよ」

「こちらは報告があります。2階の書斎跡で本を一冊見つけました。隠されていたので重要度は高いのではないかと」
 セイバーの報告に色めき立つ遠坂。俺もセイバーに視線を向けた。
「え、ホント?」

「はい。出火場所からほど近い部屋なのですが、大型の本棚が焼け残っていてその裏側に小さなスペースがありました。覗いたところ薄い本が置いてあったのですが、トラップの可能性を考慮して手を触れていません」
でかした! 早速行ってみましょう」
 勢いよく立ち上がる。俺達はセイバーの案内にしたがって、その部屋へと入っていった。


「――アレね」  俺が部屋に入ると、遠坂はすでに本棚の奥を覗きこんでいた。
「――――うん、大丈夫、とりあえずすぐに発動するトラップはないみたい」
 よっ、と声を出して身を乗り出す。そして、奥からなにか日記帳のような本を取出した。
「さーて、何が出てくることやら……」

古い匂いに包まれた一冊の本。それは――切嗣の前に、アインツベルンのマスターとして戦った人間の残した手記だった。

文体に一貫しているのは、狂気。聖杯を得るという900年の悲願を成就せんとする男の、狂おしいまでの聖杯への思慕。今代でそれを成し遂げる――一族から託された呪いのような強迫観念。

それに押しつぶされるように、彼は求めた。絶対に勝利する。頭にはそれしかなかったのだ。それこそが自分の存在意義だったのだ。

ルールを犯してまで呼んだソレは、しかしあっけなく敗退する。

なぜ。なぜ。なぜ。なぜ。

自分が呼び出したのは絶対悪。すべてのマスターを有無を言わさず皆殺しにする、究極の殺戮をもたらすはずだった反英雄。それがなぜ、まるで普通の人間と変わらないような存在だったのか。

そこから先は、もはや狂気と呼ぶしかない内容だった。記されたのは、ただ、嘆きのみ。
 その嘆きは、自分を歪めたアインツベルンという一族まで逆流する。宿願に押しつぶされ、人間としての全てをそのために捨てた。
 だがそれゆえもたらされた結果は惨憺たるもので、一族は宿願を果たさなかった自分を徹底的に責めたのだ――。

一族のために全てを捧げ、それゆえ道を誤り、捨てられた。それは、そんな男の嘆きだった。

――だが、それよりも。それよりも今は。
「――復讐者《アヴェンジャー》」
 
セイバーの声は硬い。

――このマスターが呼び出したソレは、かつてギルガメッシュが口にした、アンリマユという名の『反英雄』――

人間全てを善とするため、ほかの全ての人間の業を一人背負わされた人柱。

ただ、『悪であれ』と定められ、捏造されたこの生贄を構成する願いと望みを――

「――その魂を回収した聖杯が、受諾したのね――」
 
通常負けたサーヴァントは、その魂を聖杯に回収され、指向性のない魔力の渦となって聖杯を満たす。そして、この魔力が6人分集まったとき、聖杯――門――は満たされ、根源へと至る孔を開く。

そのとき、根源よりもたらされる魔力と聖杯を満たした魔力は溢れ、『どんな願いでもかなうほどの』膨大なチカラを術者に与えるのだ。

だが、もし――その回収されたサーヴァントそのものが、人々の願いによって捏造された『黒い願い』のカタマリのようなものだとしたらどうなるのだろう? 本来、『無色の力』が満たされているはずの聖杯に、たった一粒の色のついたモノが混入したら……!

「――捏造されただけだったはずの呪いが、願望機としての聖杯を汚染し、無色の力を黒く染め上げたのですね……」

「これでつながったわ。根源へ至る道を開く聖杯から、なぜ『この世全ての悪』なんて呪いが溢れてくるのか。願望機といいながら、『殺人』という指向性を持った願いのかなえ方しかできない欠陥品なのはなぜか。その答えが、これ」

「聖杯の中に――復讐者《アヴェンジャー》アンリマユがいる――!?」
 60億全ての人間を呪うことを望まれた生贄が、聖杯の力を使って『望まれた理想の姿』になろうとしているのか――!

「――だけどおかしいじゃないか。聖杯は前回も前々回もセイバーが壊した。聖杯の中にそんなものがいたら、そのときに消えてるはずだ」
「――サーヴァントを呼ぶものは聖杯、そして聖杯はサーヴァントの魂を集める器……。 凛、もしかすると、我々が『聖杯』と呼ぶものは二つあるのではないでしょうか」

「サーヴァントの魂を回収し、根源への孔を開く鍵となる聖杯と……サーヴァントを呼び寄せ、根源への門そのものとなる、全ての儀式《システム》を司る起動魔方陣たる聖杯――!」

「そうか! 思えばおかしなことだったんだ。聖杯戦争のシステムが人為的に敷かれたモノなら、聖杯の出現だって当然人為的なものじゃないと辻褄が合わない。それなのに聖杯の出現だけ自然現象だと思っていたから、聖杯戦争の話全部に脈絡がないように思えたのか」

「全ての大元の起動式……大聖杯とでも言うべきそれが英霊を呼び寄せる魔力を集めるのに、通常60年の周期がかかるとすれば、前回の聖杯戦争が10年ていうすごく短いサイクルで起こったのにも納得がいくわ。
 衛宮切嗣によって、中の魔力をほとんど使わない内にアインツベルンの用意した聖杯……小聖杯は消えた。とすれば、大聖杯にはまだ十分な魔力が残っていて、たった10年で満タンになった……」

「前回の聖杯戦争でもそれは同様です。聖杯はまともに門として機能しないうちにその鍵を破壊することで停止している。とすれば、その大聖杯にはまだ使われなかった大量の魔力が残っていると見て間違いありません。
 ジークフリートを呼んだ魔力の源は、おそらくそれでしょう。大聖杯を、誰かが勝手に動かしているのではないでしょうか」

「そうとしか考えられないわね。前々回から前回までで10年かかってるってことは、大聖杯はいくら魔力が余っていてもいっぺんに7人のサーヴァントを呼び寄せられない間は起動しないみたいだし。
 聖杯は前回だってまともに機能しなかったとはいえ、あんな形で現れたからには魔力はそれなりに消費しているはず。聖杯戦争が正式に起こるのはまだまだずっと先になるはずよ。
 だのに、ジークフリートは呼ばれた。だれかが起動式にちょっかいかけてるとしか思えないわ」

遠坂はそこで一旦言葉を止め、次の瞬間、
「士郎!! 危ない!」
 
思いっきり俺の袖を引っ張った。

遠坂の方に倒れこんだのと、手記が突然すさまじい炎をふき出したのはまったく同時。
「うわっ!?」
「シロウ! 大丈夫ですか!?」
「あ、ああ、なんとか……」
 ぞっとする。遠坂が引っ張ってくれなかったら、今頃俺の顔は黒こげだっただろう。

手記からの炎はまるで爆発のように続いた後、一瞬で掻き消えた。後には灰すら残らない。

「トラップね……読むことによって作動するようになってたんだわ」
「防犯のためでしょうが、しかし……」
「読むことで発動するなんて、自分も読めないじゃないか」
「読ませる気なんてなかったんでしょ」
 あーあ、と言いながら遠坂は名残惜しそうに本が消えた場所を指でなぞっていた。
「もっと情報があったかもしれないのにな……」

「お前でも気づかないことあるんだな」
 俺がそう言うと、遠坂はちょっとむっとした顔になり

「あのねぇ。こういう類のトラップは見つけにくくなってるものなの。トラップの存在自体がバレバレだったらだれも引っかからないじゃない。
 この手記にかけられたのだって、『読ませない』ためのものなんだから、最初からトラップが見えてたら解除されて読まれちゃうでしょ。だから『読むこと』それ自体を一種の儀式に見立てて、それをトラップ発動手順にしてトラップ自体は隠蔽したのよ」

わかった? と問いかけてくる遠坂。
「なるほど……」

「で、話を戻すけど。その起動式にちょっかいかけてるのがアインツベルンの人間だと思ったんだけど、どうやらここはハズレみたいね。
 情報は十分手に入ったけど、せっかく来たんだし明日の午前中にもう一度城内を調べてみましょう」

「分かった。とりあえず食事にしよう、腹減っちまった」
「賛成です。厨房も埃っぽいですが水はあるようですし、洗えば問題ありません」
「あらセイバー、そういうところもきちんと調べてるのね」
 ニヤニヤ笑う遠坂に、
「と、当然ではありませんか! 凛やシロウがつつがなく過ごせるよう気を配るのもサーヴァントたる私の―― り、凛! ひ、人に話させておいて全然聴いていないというのはどうかと――」

さっさと出ていってしまった遠坂を追って、セイバーもあたふたと部屋を出ていく。
「あー、セイバー。あんまり期待するなよ、大した食材なんて持って来れなかったんだから」

ガ――――――ン

固まってしまったセイバーの脇を通りすぎ、遠坂と一緒にさっきの暖炉の部屋へ向かった。

就寝時は交代で見張りをしようと言ったのだが、セイバーは自分一人でやるから二人ともよく休んでくださいと言って聞かない。

『ほらほら、セイバーを困らせないの。アンタは疲れてるみたいだからちゃんと寝なさい』
 遠坂もそんなことを言ってさっさと寝袋に入ってしまった。
『分かったよ。でもしばらく休んだら見張り交代するからな。疲れてるのはセイバーだって同じなんだから』
 起きられたら交代するということでなんとかセイバーを納得させ、寝袋に潜り込んだ。

やはり、遠坂の言う通り、少し疲れていたのかもしれない。俺はすぐに泥のような眠りの中へ落ち込んでいった。

暗い海の底に向かって落下していくような感覚の中で。

俺は、ユメを見た――。


そこは、一言で言ってしまえば『地獄』だった。

辺りにたちこめるのは血と炎。散らばっているのは折れた槍に裂けた楯、割れた兜に鎧の欠片。

無数の屍――たくさんの矢が突き刺さった死体、胸から大量に出血している死体、首のない死体、黒コゲの死体――あらゆる殺され方をした、一面の死体の山、山、山。

10年前の火災のときの死体は、死に方だったらこれらよりもなお酷かったかもしれない。しかし、目の前のコレは、ケタが違う。一体、何人が死んだのか。数百ではきくまい。数千もの人間が、バラバラになったり、焼け焦げた骸をさらしていた。

その屍の原の真ん中に――俺は立っていた。

既に身体はズタズタ。よくまあ立っていられるものだと我ながら感心する。

それも無理からぬこと。これだけの相手を敵に回し、たった数十人の手勢で殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺し尽くしたのだ。

矢は刺さり、肩は裂け、足は折れていた。腹には鎧の破片が突き刺さり、輝く楯を持っていた左腕などとうの昔に切り裂かれている。
 たった一つの剣を握り締める右腕も、もはや動きはしない。指はほとんど折れ、一度剣を離したら二度と握ることはできないだろう。否、拾えるかどうかすら怪しいものだ。

だが、倒れなかった。倒れるわけにはいかなかった。焼けた空気が肺腑を焼いても、折れた骨が肉を突き破ろうとも、必ず帰ってくるはずの友を待ち続けた。

それに――
 明滅する視界にたった一人見つめるは憎悪の化身。その美しい顔は憤怒に歪み、瞳は既に正気を失っている。その姿は、――

『――あ』
 ドクン 心臓がはねる。

炎の中に立つ、血まみれの白いドレス。朱に染まるブロンドの髪。両手で見覚えのある大剣を持っているが、女の細腕には重いのか、切っ先は地面を向いたまま。その姿は、さながら復讐という絵画のような、狂気と怒りに満ちた一枚の風景だった。

――そう、俺は、焔の復讐鬼が放つ凄絶な美しさに凍りついたのだ。

だって、その鬼の顔は、そんなにまで狂気をはらみ、歪んだ形相にも関わらず、なおぞっとするほど美しく、そして――
――似ている――
時は動き出した。

鬼女が咆哮と共に飛びかかる。両手で持ったその大剣を胸に構え、両手でしっかり固定して、ぶつかるように俺の胸めがけ――

だが、稚拙だった。勢いに任せただけの愚鈍な突進。たとえ決死の覚悟があったとしても、既にこの身体の9割が死んでいようとも、戦士としての経験ははっきりと、次の瞬間に真っ二つにされ赤い華を撒き散らす鬼女の姿を見てとっていた。

――そのとき、想ったのはどのようなことだったのか。

迷いは、戦士に一瞬の隙を与え、そして――
胸を通り抜けていく熱い塊。それは口から溢れだし、涙に濡れた女の顔を赤く染めた。 

女の瞳に正気が戻る。その瞳は、ずっとずっと昔、まだ皆が笑っていられた、あの頃の――

――そして、俺は、右手の剣を無造作に彼女の胸に突き通す。

崩れ落ちるその身体は紅蓮の舌に絡めとられ、やがて抱いた憎悪とともに、全てを焼き尽くす炎によって清められるだろう。  

胸に突きたてられた剣を抜こうともせずに、戦士は立っている。その目は―――優しく笑っていた。  
それは、一つの結末。

己が死をもたらした一瞬の迷いをも受け入れた。

それでもいい。

それが俺の生き方だったのだから。

その生き方に、誇りをもっていられたから。  
――ただ一つ、残念なことは。  最期に、友の姿をもう一度――
  だから。倒れゆくその視界の端に、必死でこちらに駆けて来るその姿を見たとき、想ったのだ。  
――ああ、救われた――

胸が、うずく。

俺が、あの英雄エミヤが生涯持ち得なかったであろうその想い。理想を追い求め、理想に裏切られ続け、辿り着いた錆びた剣の丘で、独り最期を迎えた、赤い騎士の記憶。

迷いはなく、しかし救いもなく、それでもいいと、

信じたものを信じ抜き、一人でも多くの人を救おうと、足掻き続けたその男は――
  いつしか磨耗し尽くし、自らの抱いた理想を、殺そうと――

ぽたぽたと、顔になにかが落ちてくる。
『    !!』
 
もう、耳はなにも聞こえない。霞む視界の中、最期に、友の顔を目に焼き付けようと思った。
『    !!』
『                               』
 果たして、声は出ているだろうか。伝えたいことは、伝わっただろうか。

そっと、目を閉じる。もう思い残すことは何もない。思う通りに生き抜き、最期に願いも聞き届けられた。

戦士は、消え逝く意識の中でそっと思う。
『全ての、永遠なるものたちに祝福を―――』

「―――――――――――――っ!!」
 飛び起きた。身体はベットリと汗に濡れている。
「――シロウ? 起きたのですか?」
 薄ぼんやりしたロウソクの光の中、セイバーが立ちあがったのが見えた。

「あ……ああ。そろそろ交代しようか。今何時だ?」
「4時半を回ったところです。夜明けまではもう少しあるかと。……私なら大丈夫ですから、シロウはもう少し休んでいてください」
「そういうわけにいくか。ちゃんと起きたら交代って約束だっただろ。……それにあんまりいい夢見じゃなかったから、今からまた寝付けるか分からない」

「夢見が悪かったのですか。……それは、その、10年前の……?」
「あ、いや、そうじゃないんだ。そうじゃないんだけど……」
「……?」

そうだ。あれは違う、きっとどこかの戦争の風景だ。たくさんの兵士が死んでいた。たくさんの血が流れていた。地を覆いつくす屍の原の真ん中に、俺は――

――え? なんで、俺が見てたことになってんだ――?
 俺はあんな光景知らない。当たり前だ。思い当たるようなことだってない。ただ、なぜか似たような経験があるような気がしてならないのはなんでだろう――?

「――あ」
 思い出した。セイバーだ。セイバーと契約していたとき、一度だけ彼女の夢のようなものを見たことがある。

だけど、あれは、サーヴァントと契約による繋がりがあったからだって聞いた。遠坂もアーチャーの見た光景を夢で見たことがあると言っていた気がする。実際、セイバーとの契約が切れてしまってからは、一度もそんな夢を見たことはない。

もちろん今も、サーヴァントと契約してるってわけではないんだし。
「ま、今度はセイバーがゆっくり休んでくれ。なにかあったらすぐ起こすからさ」
「……それではお言葉に甘えさせていただきます。もう一番危険な時刻は過ぎましたが、ここはアインツベルンの城。亡霊の類が現れるかもしれませんのでお気をつけて」

「ぼ……亡霊か。う、うん、分かった。安心して休んでくれ」
 くそう。こ……怖くなんかないぞ。

もぞもぞと寝袋に潜りこむセイバーと、奥ですやすや寝息を立てている遠坂をちょっと見る。

夜が明けるまであと少し。明日は――なにか進展はあるだろうか。

NEXT