答えの無い問い~ハートの国のアリス異次元~

第四章 それぞれの決着

第一節 形無き時間

――昼の出来事であった。扉を開ければ、陰鬱な親友はいつものように不機嫌な顔を覗かせた。
「……なんだ。珍しいな。前回の訪問からたったの十時間帯しか経ってないぞ。……もしかして引き返して来たのか?」
 付き合いだけでも長ければ、僅かな異変にも気づく。ユリウスが真剣な顔つきになると、エースも倣って真剣な表情を作った。

「なあユリウス、俺なんで騎士なんかやってるんだろ?」
 
親友は神妙な顔つきから一転、疲れた顔になった。時間と労力を今、大いに無駄にしたと吐き捨てる。

「……お前そんなことをわざわざ聞くためにここへ来たのか。……帰れ」
 閉めようとしたドアがガン、と何かに阻まれた。エースの長い足が扉の向こうへ侵入し、ドアを閉めたくても閉められない。さながら性質の悪い新聞勧誘か、借金の取り立て屋のようである。

「まあまあ。ちゃんと仕事もしてきたから入れてくれよ」
 懐から時計をいくつか取り出して、手渡した。
「教えてくれよ。俺たち親友じゃないか」
「俺が知るかっ。そんなのは自分は何のために生きてるのかと聞くようなものだ」

早く帰れと悪態を吐きつつも、ちゃんともてなしてくれる。この男がエースは気に入っていた。

――なんてお人好しなのだろう、と同情しているのである。

にやにやしながら、勝手知ったる他人の家とばかりに、強引な客人はソファーに腰を下ろした。どちらかと言えば紅茶派であるエースのために、ユリウスが棚を漁って茶葉を取り出す。

「私たちは自分で役割など選べない。そして役が付くこと自体に意味はない」
 やかんの水を沸かしながら、淡々と事実を述べる。それは今まで彼が自身にも言い聞かせてきたことなのだろう。

まもなくやかんの底が唸りだし、口からは白い湯気が溢れ出す。その間にも休みなく、事務的に茶の準備が整えられていく。
「どうしても役を続ける意味が欲しいと言うのなら……役について何をするのか、自分で意味を見出すしか道はない」
 茶葉を匙ですくいながら、ユリウスはなおも淡々と続ける。

「……見つけられなかったら?」
 エースがお得意の揚げ足を取るが、時計屋は鼻で嗤っただけだった。
「諦めの悪いお前には愚問だろう? お前が本当に諦めた時は死を選ぶ」
「別にね、いつ死んだっていいとは思ってるんだ。そんなに生きる情熱もないし」

熱湯がティーサーバーに注がれて、花弁のように茶葉が舞い踊る。そして水面が枯葉色で埋め尽くされた。血のように鮮やかな紅が溶け出してゆく。

「だが、それでも今ここにいるのは信じているからではないのか?」
 一瞬だけ赤い目が宙を泳ぎ、焦がれるように遠くを見た。
「信じたい……のかも。俺の希望を」
 エースは子供のような頑固さを持っていた。逆に言えば、それだけが彼の心を支えている。他はみんな世界の理に明け渡してしまったのだから。

「ユリウスは? ユリウスも希望を信じてるのか? 自分なりに意味を見出したから、生きているんだろ?」
 目を輝かせたエースに反して、ユリウスの目は寂しい色を見せた。
「……意味を見出せなければ、誰もが死ぬ訳ではない。死なないと言うだけだ」
 水を赤く染め上げる葉が一片一片ゆっくりと底へ沈んでいった。

差し出された紅茶に口をつけたエースは一口味わって、不味そうな顔をした。
「……ユリウス、これ美味しくないな」
 
紅茶を振舞われて、第一声がコレである。失礼にも程がある、と時計屋は口端を持ち上げた。不味い茶を出しただけでも感謝すべきだと彼は失礼な客を詰る。
「城の紅茶と比べるな。悪かったな、高級品じゃなくて」

実のところ紅茶の味が判るほど、騎士の舌は肥えてはいない。開封済みの茶葉の保存状態、水と茶葉の配分、冷えたカップ――などの諸々の単純な要因が折り重なって、絶妙な不味さを醸していただけである。

それでも客人は紅茶の酷評を調味料に、一滴残さず乾し、口端を舌で軽く拭った。
「俺、ユリウスのこと好きだぜ」
「……熱でもあるのか?」
 
平静を装ってはいるが、真面目な親友は内心うろたえている。そんな様子ですら楽しむようにエースは畳み掛けた。
「大好きだぜ」

大輪の笑顔を咲かせる目の前の男に、いよいよ相手の肌があわ立った。
「……病院へ行って来い。それでも健常だと言うのなら帰れ。今お前の頭を撃ち抜きたくてしょうがない
「照れるなよー。可愛いなー」
「かわ……?! 野郎相手に照れるか! 私は男になど興味はないぞ! お前おかしいぞ?!
「うん。おかしいんだ。アリスのことばっかり考えてる。そんな自分が嫌なんだ」

ユリウスが一瞬だけ目を見開き、視線を逸らした。
「……そうか。あいつを好きになったのか」
 静寂を求めて、時折時計塔を上ってくる物好きな少女が脳裏をよぎる。自然とユリウスの頬が緩むのは彼女を憎からず思っている証拠である。

「誰かを好きになるって、こういう気持ちなのか。一挙手一投足に振り回される自分が気持ち悪い……」
 無表情の中に絶望が仄かに漂っていた。
「俺さ、アリスを怒らせた。嫌われたかもしれない。どうしたら良いんだ? どうしたら余所者を留めておける? 何をすればアリスはいてくれる?」

ユリウスが腕を組み、壁にもたれる。カチコチと秒針の音が小狭い部屋を支配する。やがて重たい口が開かれた。
「それで……気持ちはちゃんと伝えたのか?」
「剣と一緒に突きつけてきたぜ……」
項垂れたダメ男の壊滅的な愛の告白に、親友は肩を竦めた。

「まずはお前の頭を冷やしたらどうだ? ……私が知る限り、余所者が留まった例はない。方法としては元の世界への未練を断ち切ることだな。非常に難しいとは思うが」

エースを含む、この世界の住人はあまり他人の感情に興味を持たない。策のために人を操作することはあるだろうが、彼のしたいことは篭絡でもない。

「アリスは俺の欲しい言葉をくれるのに、俺は彼女に何もしてやれない。何を言えば側にいてくれるのか分からない」
 自分でもされたことのない、ただの愛情表現だった。


 アリスと一緒にいる時間の長い男にさえ解らないことを聞かれる。ユリウスは段々と苛立ちを覚えてきた。

「お前、愚痴りに来たのか」
「ソーダンだよ、ソーダン。俺、馬鹿だから一人で考えたって分からないんだ」
「相談じゃなくて、お前のは既に愚痴の領域だぞ。放って置いても独りで喋るだろ。その辺のサボテンとかアロエにでも話しかけておけ」
「嫌だよー、それじゃあ俺が寂しい人みたいじゃないか」
「お前寂しい人だろ」

「うわっ……傷付いた。今、俺激しく傷付いたー。傷付いた俺のために紅茶もう一杯淹れてよ
 不味いと言いつつ茶をせびる豪胆さに、ユリウスは嘆息した。
「お前は図太すぎるんだよ……」
 そう言いながらも自然と台所の方へ、彼の足は向かっていた。

エースが時計塔へ来た本当の理由は、戦利品の受け渡しだけではなかった。後から後から湧いてくる新たな仕事を受けるためだ。ユリウスが簡潔に仕事の情報を述べていく。地図を見せながら、それを読めない部下にも分かるように丁寧に説明してゆく。

「次に向かうところは、ここだ。この小規模マフィアグループの頭領だ。帽子屋に潰されかかっているらしい」
「うん。……ってこの人、時計を五つも持ってるの? 随分と溜め込んだね」
 のん気なコメントに、上司の青筋が勢い良く浮かび、鞭のような罵声が飛んだ。

違う。お前がもたもたしている間に持ち逃げ数が増えたんだ! 分かったなら、とっとと行って取り返して来い!」
 部下は間延びした返事を返し、作業部屋を後にする。ユリウスは去り行く背中に声をかけた。
「俺はお前に役割を与えることはできない。騎士も辞められないだろう」
 きょとんとした目が振り返る。なぜ今更そんな解りきったことを言うのか、意図を図りかねている風である。ユリウスはそのまま言葉を続けた。

「だが騎士が何をするかは決められるだろう? お前の好きにすればいい。辞めたくなったら辞めればいいし、続けたければいくらでも続ければいい。私にはお前を縛る権利などない」

むすっとしてはいたもののユリウスなりに気遣ったつもりである。半ば放心していたようなエースが屈託のない笑みを浮かべた。
「じゃあ俺はずっとユリウスの下で働いても良いんだな」
「……もっと悩んでも良いんだぞ。むしろお前はもっと悩め」
 部下の懐き具合にユリウスがたじろぐ。何か嫌なものにとり憑かれたように顔をしかめた。

「えー、嫌だよ。ウジウジしている人が二人に増えたら鬱陶しいじゃないか
「うっとう……?!」
 
騎士の友人はショックを隠しきれない。過去の自分がどう鬱陶しかったのか、彼は頭の中で振り返る。……ウジウジと、どう考えても素だった。
「俺はウジウジ悩むよりかは、それを見てる方が好きなんだ」

にやりと口元が歪んだ。そして間髪入れずに悲鳴が上がった。
「うわあああああああああ?!」

それは暗闇へ向かって螺旋状に遠くなっていった。恐らくは階段で踵を踏み外して、バランスを崩したのだろう。
「…………懲りないと言うか飽きない奴だな。よくも毎度階段でこけるものだ」
 部下の安否を特に確認することなく、ユリウス=モンレーは仕事を再開した。


青い空を見ながらペーターが、アリスを胸に抱き締めながら呟いた。
「風の噂で聞いたんですけどね……。郵便配達員の、赤い服の迷子が出没するらしいですよ。エース君によく似てますよねえ……。もしかしたら本人が副業してるのかもしれませんね」

アリスがものすごく不審な顔を浮かべた。
「……エースに郵便配達なんかできるの?」
 
端正な顔が面倒臭そうに答えた。
「彼に頼むこと自体間違っています。エース君に頼むくらいなら自分で届けた方が早いと思います」

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●あとがき

待っててくれた人も待ってくれない人も、拍手ありがとう! とりあえず最終章行きます!