答えの無い問い~ハートの国のアリス異次元~

第三章 断罪の刃

第一節 白紙の解答

廊下でアリスは呼び止められ、エースに道案内を頼まれた。ハートの城はハッキリ言って、目印になるような物など何一つない。広くて同じような造りなものだから迷宮も良いところである。

彼女も住み込みで働くようになってから、覚える場所も増えたが、まだまだ全体像を把握するには及ばない。慣れない廊下に入れば、めでたくエースの仲間入りを果たしてしまうだろう。もっとも彼の場合はどれだけの期間、城に在籍していようとも道一つ覚えられないようである。

エースが実際に案内を必要としている訳ではないことは彼女も分かっていた。ずかずかと前を歩くが、騎士の軽やかな足と言葉は問題なく付いて来る。
「アリス、帰らないでくれよ」
「私は帰りたいの」
 何度目かの問答を繰り返す。展開がお決まりの劇のようで禅問答のようでもある。

「俺は君が好きだぜ」
「残念だけれど、エース。私、あなたが信じられないの。ううん、私に向けられる愛情が信じられないの」
 台詞を辿るような爽やかさでのたまうものだから、アリスも容赦ない台詞で返事をした。

一拍置いて、騎士が返答した。
「……それはまた随分かわいそうなことだね」
「本や映画などの作り物で愛を語る話は多いわ。愛を信じろとか、永遠に愛を誓うだとか。けれど愛を誓うことはものすごく難しいことなのよ」

完全な愛の形を思い出し、アリスの心は深く沈んだ。
「そういう愛の言葉を聞くだけで反吐が出るわ。人の心なんて簡単に変わってしまうの。まして特別でもない私が誰かを惹きつけておける訳がないもの」

「君はかわいそうな子だ」
 
紅い瞳がしみじみとアリスを見た。哀れみを含んだ声色なのに、その目は愉しげでさえある。
「かわいそうな子ほど放って置けないものなのかな」
「……エース、それ同情って言うのよ。愛と履き違えてもらっちゃ困るわ」
 呆れた様子のアリスの頭を、彼は軽く撫でた。

「俺がかわいそうだと思えるのは君だけだよ。どんなに悲惨な話を聞かされても、心一つ痛まない俺を同情させることができるのは」
 暗く濁った瞳がふいに一瞬だけ輝いた。
「……あ、ペーターさんは別ね。あの人はウサギ耳が付いてると言うだけで、もうかわいそうなんだ。かわいそう過ぎて思わず笑っちゃうんだよなーー……ぶふ、思い出したら笑えてきた

見る見る崩れていく相好に、アリスは深い溜息を漏らして足を止めた。
「本当あんたって最低な男よね……。ハイ、あなたの部屋。後生だから一人で帰れるようになってね。一応大人なんだから」

言われた方は案内人の苦言など耳に入らなかったように周囲を見渡した。
「君は偉大だよなあ。初めての場所でも迷わずに行けるし」
 基本的にどんな方向音痴でもエースよりは幾分マシなはずである。アリスは肩を竦めるしかない。

「でもね、君にも導けない場所があるよ。……俺が本当に行きたいところは絶対に辿り着けない。確かに場所はあるけれども居続けることができない」
 先ほどから彼の言葉は謎かけのようだ。

「居場所が欲しいの?……」
 エースは答えないが、爽やかさのない微笑がそれを肯定している。
「この世界ではみんな自分の居場所なんか、どこにもないんだよ。あるのは役割という楔だけ」

役は必要なのに代えが利く。個人なんて必要とされず、歯車のようにあればいいと言う。DNAの存続のようなもの。個人ではなくて種の保存。

ならばなぜ人格というものが存在するのだろうか。いっそ何もなければ面倒臭いことなど何も起きない。悲しいことも楽しいことでさえも――。しかし人格がなければ人を好きになることもない。

進化の一助になるものは夢とか願いの類かもしれない。そういうものが歯車の1つ1つを変えるのだろうか。エースや自分はいつになったら進化できるのだろうか。

アリスは取り留めもない考えごとにハマっていく。そんな彼女を引き戻すかのように大きな手がその肩を抱いた。
「ああ、でも。どんなに道には迷っても、君のことだけは迷わない自信あるぜ?」

恭しく騎士は自分の部屋の扉を開けた。
「まずは俺の部屋にご招待するよ。どうぞ?」
 エースのしていることをペーターと比較してみたが、アリスには大した違いを見つけることはできなかった。

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「……いつ来ても不気味だわ」
「何が?」
 アリスの細い指が仮面の表面をなぞった。
「マスケラよ。たくさんありすぎる」

部屋に案内されたアリスは壁に飾られた無数の仮面と対峙していた。絵画や彫刻、武器でもなく、あえて仮面を収集するところがこの男らしい。

初めて部屋に入った時、彼女は仮面を集める理由を尋ねた。仮面に魅入られたとか、形の美しさから収集している訳ではないと言う。

騎士曰く、『いつもとは違う自分になったような気になれる』からだそうである。違う自分になる、ではなくて違う自分になった気になる、というところがポイントである。ちっぽけな仮面一つでは人は変わらない。あまり意味がないと言えば、気分を変えるのは大事なことだと騎士は嘯いた。

仮面を見慣れた招待客は仮面の意匠を一つ一つ丁寧に見ていくことにした。嘴の付いた物、隠す部分が少なすぎて用途を成さなそうな物など、実に様々な種類を取り揃えている。ちょっとした仮面展示会でも開けそうである。

「こんなに仮面を集めて、あなたは一体何になりたいの?」
 まるで仮面の数だけ異なるエースが存在しているようにアリスは錯覚しそうになる。変わりたいという気持ちが集まって、部屋を圧迫しているようにすら彼女には感じられる。

「こんなにたくさんあると、大勢の人間に見つめられているようで落ち着かないわ」
「マスケラは、マスケラだよ。逆立ちしようが変われない。だから他の何にもなれない」
 そう答えると、マイペースな部屋の主はベッドでうたた寝を始めてしまう。三秒ほど経つと、エースは寝息を立て始めた。ふかふかのベッドで寝るのは久々なのだろう。

辞そうとしたアリスが寝ているエースに形ばかりの挨拶をしようとしたとき、不意に腕を掴まれた。驚いて声を上げれば、赤い瞳が寂しげに彼女を捕らえていた。

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「……どこに行くの?」
 
彼女が抗議のために開いた口は閉じてしまった。思っていたことと違う言葉が出てしまう。
「え……だって、仕事戻らないと」

実はまだ余裕があるが、このまま他人の部屋で何もせず、無為に過ごすなど彼女には耐えられなかった。いわゆる『Time is money』、『時は金なり』というやつである。それに他人の部屋で放って置かれて所在なく思うのは当然のことである。

「いいじゃないか。もっといてくれよ。それとも俺よりも仕事が大事?」
「……あのねえエース。私たちは夫婦や恋人でもなく、ただの友達なのよ? そんなどっかの昼ドラみたいな台詞を吐かないで」
 しかも男ではなく、女の方が吐くことの多い台詞だったりする。やりとりが恋人のソレのようでアリスは眩暈がしてくる。

「……ひるどら? おやつのこと?」
「……何でもない」
 
頓珍漢な返答に彼女は脱力した。特に説明する気も起きなかった。もちろん元の世界の昼間に放映する、ドロドロな恋愛劇のことをエースが知っている訳がない。そんなものがなくても、こちらの世界で繰り広げられる、銃弾飛び交うリアルな愛憎劇でお腹いっぱい、胸焼けいっぱいである。

押しに弱いアリスは結局負けて、仕方なく部屋の隅にある本棚を漁り始めた。引き留めた当人はまたのん気に鼾をかきだしたが、ドアノブを握れば再び起きてくるだろう。

申し訳程度に並べられた本は埃こそ被っていないものの使用感が全くなく、手つかずのまま放置された感がある。そもそも部屋の主が不在だから読んでいないのだろう。アリスは思わず本に同情した。

色々と物色した結果、この国にまつわる伝記のような本を選び取り、ベッドの縁に腰掛けた。

小半時ほど経過した頃、低く呟く声がアリスの鼓膜を震わせた。
「騎士になった理由を考えたんだ」
 寝言にしてはいやにハッキリしていたため、彼女は彼の目覚めを知る。だが本が面白いので、わざわざ視線を向けたりしない。
「ふーん、あなたでも考えることがあるのね」
 まるでチンパンジーは字も書けるのねと言う風に流す。読書に集中したい彼女にとって、エースの声など右から左へ流れるバックグラウンド・ミュージック程度にしか聞こえていない。

アリスは冷めた紅茶に口を付けた。気のない相槌を気にせず、騎士は先を続ける。
「君を守るために騎士になったんじゃないかって」

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彼女は盛大にむせた。紅茶が気管の方にまで入ったせいか、顔が真っ赤になっている。

「ああもう! この世界の人たちはどうしてそう、ぶっ飛んだ結論に達するのよ!」
 
紅茶と同じくらい盛大に悪態を吐き出した。膝上の本に紅茶色の模様が出来てしまった。危うくティーカップを投げつけそうになったが、価値を思い出して思い止まった。

寝ていたと思えば、急にトンデモ発言をする。アリスはいつもこの破天荒男に振り回されている。

「え、ひっどいなあ。怒らないでよ。これでも真剣に悩んだ結果なんだけどなあ」
 真剣と豪語する割に、一欠片の真剣みも感じさせない。先ほどまで寝息まで立てて、寝こけていた奴が何をほざく、と彼女は内心で毒づいた。

げほ、と咳を一つして、アリスは呼吸を整えた。
「騎士になった理由を真剣に悩んで、どうしてそうなるの? あなたは最初から騎士だったんでしょう」
「そう、俺の役割は騎士だと決まっていたんだ。それ自体に理由なんかないんだ。でもさ、やっぱり騎士やってる意味は欲しいんだよ」

「それに私を巻き込まないで。私には全然これっぽっちも理解できないわ」
 親指と人差し指で示した三センチ程の長さにエースは顔をしかめた。

「理解できなくても愛せるよ。全部知ったら好きなままでいられなくなるだろう」
 相手の全てを知りたい、などとのたまう輩も実際にいる。全てを知ってどうする、とエースは言う。相手の全てを許容するなどということ自体おこがましいことだろう。

「そんな悲しいこと……言わないでよ」
 ただ、その気持ちはアリスも解らないでもない。だが知らない方が隠されていた方が良いこともあると知っている。あえて言葉にするものでもない。言われた方も寂しくなる。

「勝手に君を理由にしてはいけない? 俺のことを少しでも好きじゃない?」
 ベッドから起き上がったエースは、アリスの隣まで付けてきた。彼女は逃げない。
「全部は無理だよ。でも少しだけ君の心に、俺の居場所が欲しいだけさ」

「私、あなたのこと嫌いじゃないわよ? 四畳半くらいのスペースは少なくとも提供していると思うわ。うぅん、私って寛大!」
 比率で言えば、その広大な心のスペースの十パーセント程度であることは内緒である。

「へえ、嫌いじゃない、ね。好きでもない?」
 揚げ足を取られて、アリスは返答に窮する。
「えーと好きになるかもしれない。まあ、治れば好きになるかもしれないと思うところはあるわね」
「え、例えば?」
「……迷子なところ?」
 
目を明後日の方向にやりながら、彼女は答えた。

「あー、それはちょっと無理だな。それは俺のアイデンティティと言うか、チャームポイントと言うか、色々と大事なところに関わるからな」

急に騎士様はニヤニヤしだした。
「あ。こんな言い方って何だかちょっといかがわしい感じしない?」
「しない! エースって爽やかなくせに何気にいかがわしいわよね……」
「えー?! 俺はオープンなだけで男って皆そういうもんだぜ? 表に出さないだけだよ~」

「……じゃあ、次からもっと上手く隠してね。オープンすぎなのはセクハラよ、セクハラ」
「はははは、冗談だって。いつもそんなことばかり考えてる訳ないじゃないかー」
 エースの冗談は大抵冗談では済まされないことの方が多い。

「俺の答えは君の中にあるような気がするんだ」
「残念だけど、そんなものは一ミリもないわよ。答えなんていうものは、いつだって自分の中にあるものよ」

本人以外には意味が解らないことばかり、この男は話す。さすがに無視をしても良いのかもしれないと言われた方も思い始める頃合である。

けれどもアリスは彼が嫌いではない。だから彼女は自分なりの答えを提供するようにしている。もちろん意地の悪い質問者が問いの正否など教えてくれるはずもない。それでも化かし合いのような二人の会話は続く。

「俺は迷うから君が誘導してくれないか? 俺の分からない場所にあるみたいだから」
「……他人任せにしてないで、自分で探しなさいよ」
 彼を嫌いではないが、特別に好きという訳でもないのが面倒なことである。彼女には誰かを甘やかす気も余裕もない。ただ退屈凌ぎの相手をするだけである。

「冷たい君も好きだけど、偶には優しくしてくれても罰は当たらないと思うぜ?」
 彼女が冷たくても、相手は応えた様子もなく余裕綽々で切り返してくる。そんな状況が癪で、この男に対して、ついつい当たりが厳しくなる。

「あなたが優しくさせてくれないからよ」
「つれないな~。あんまりつれないと泣いちゃうぜ?」
 細い肩に伸ばされた手を、アリスはぴしゃりと叩き落とした。間違っても血や涙など流しそうもない男に一瞥をくれた。
「血迷っても、私はエースを選んだりしないわ。それだけは確かよ」
 
話は終わりとばかりに本を閉じた。

キスシーンがあるので、ご注意下さい。別に脱いでやしないけど、雰囲気がエロい気がします……。

「それじゃ、私仕事に戻るから」
 アリスが声をかければ、俺も旅に出ようかなーなどと言いながら、騎士は赤いコートを着込んでいる。ドアノブに手を掛けたところで、後ろから何気ない風の言葉が投げられた。

「俺は迷わず君を選ぶぜ?」
 
――言われた方にとって内容の方は全く何気なくなかったが。

そんな言葉は恥ずかしくて、彼女にはなかなか口にできない。ぺろりと言えるということは誰にでも言えるということに他ならない。つまり彼にとっての『特別』ではないということになる。

彼女の顔は赤らむどころか、悲しげに歪んでいた。
「何と言うか、言葉が軽すぎるのよ。信用できない」
 発言者は自らの口元を押さえ、自分の耳を疑った。声を荒げていたことに後から気付く。本当は彼に期待しているのかもしれない。気恥ずかしくて声量と視線を落とした。

「それに私は……誰かの『特別』になんてなれないのよ」
 
アリスは足元を見て、自分に言い聞かせるように口を開く。
「私は『特別』に値しない。私なんかいなくたって世界は回るのよ。……エース、それはあなたも同じこと」
 扉を開けようとするのを、部屋の主は扉を閉めて引き戻した。いつの間に距離を詰めたのか、彼女の背後に立っていた。

「……そうかな? 少なくとも君はこの世界の特別で、俺にとっても特別だ。何をそんなにこだわるのか、ちょっと分からないけど」

――愛は人を狂わせるという。……自分がいなければ狂ってしまう人などいない。アリスはいつも姉を見る度に思い知らされる。

優しげな目が彼女を射抜く。それが真実であると信じ込ませるように説得をするように――。

「他の誰でもないアリスが好きだ。余所者が君じゃなかったら、俺はきっと好きになんかならなかったよ」
 
おとがいに掛けられた手を外すことなく、アリスは目の前の男を見上げた。
「……私のどこがいいの? 自慢じゃないけど、根暗だし、すぐウジウジ悩むし……」

うだうだ続けようとする唇は、やんわりと塞がれた。軽く味わうような口付けをした後、騎士はとろけるような微笑を浮かべた。
「放って置けないところかな。いや、むしろずっと守りたい、かな。どこへ行ったって俺が守ってあげる」
 彼女が何か言う前に、再び唇は塞がれた。

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NEXT

●あとがき

好きになったら、ひたすら直球で攻めてくると思われます。しかも、あれよあれよと言う間に拒否できないところまで攻め入るので油断のならない奴だと思われます。

ウチのエースは間違っても天然なんかじゃなくて、全てにおいて確信犯かと。爽やかな笑顔って怖いな!

何やら、この章も前回以上のボリュームになりそうな予感です。大した内容は書いてないんですが、文字数が段々と半端ないことに。

挿絵2のテーマはアレです、「押し倒したくなるエース」。押し倒す以前にもう寝そべっていますが。妄想ばっかりで申し訳ない。気づけば髪の毛ばっかりサラサラさせたがる自分がいます。前世は髪の毛が欲しい人だったのかもしれません。もちろん星座は、髪の毛座。散らばってる仮面はタイトルに合わせて加えてみました。ないと恐ろしく寂しいんです、このイラストは。

セクハラ親父と化したエースにはもう何も突っ込むまい……。でも奴は爽やかにセクハラします、きっと。つくづくマイナス方向に突っ走るのは、柊の妄想で作られたエースだからでしょう……。ウジウジするの嫌いなくせに、やっぱりウジウジした悩みを払えないエースは、アリスと似ているような気がします。

正直……挿絵4を全年齢で出していいのか、非常に迷った。確かに脱いでないし、露骨な表現でもないはずなのに。キスだけなのに、何となくエロい。何でだ!