答えの無い問い~ハートの国のアリス異次元~

第四章 それぞれの決着

第五節 騎士とウサギのダウボーイ

帽子屋屋敷に張り詰めた弓のような空気が立ち込めていた。――ただ一人、優雅に紅茶を嗜む主人を除いては。
「……全く。門番共は何をしているんだ。客を殺すくせにウサギは通してしまうのか」
 白い綿毛を眺めながら、主は不機嫌そうに紅茶を啜った。

闖入者は屋敷に侵入してきて、発砲しながら出し抜けにこう、のたまった。
「アリスを迎えに来ました。あなたのところの門番が彼女を攫うところを見た者がいます。彼女を返して下さい」
 ペーターの血色の双眸が、屋敷の主の端整な顔を映し出す。

辺りにはいくつかの椅子とテーブル、食器やお菓子諸共、派手に散乱し、数人の使用人と武器の数々が地に伏していた。無事なものはブラッド=デュプレの座る椅子のみであった。
 人参のお菓子は残らず木っ端微塵に打ち砕かれてしまっている。天を仰いでそそり立つ銃器は、まるでお菓子のために立てられた墓標のようである。

もう一匹のウサギがこの場にいれば、『絹を裂く』ではなくて、『人参が跡形もなく砕かれた』叫びを上げていたことだろう。

白い手袋をはめた手には拳銃が握られており、今にも目の前の人物に発砲しかねない。そうされない理由は、もちろんアリスの居場所を確実に知る人物であるからだ。手段を選ばず、吐かせる意思を顔に露にしている。

マフィアのボスは眉間の皺を揉み解しつつ、重い溜息を吐いた。
「ハートの城は随分と暇なんだな。余所者一人のためにわざわざ宰相を迎えに寄越すなどと」
 その呆れたような物言いに、宰相は鼻息荒く捲くし立てた。

「何を仰るんですか。忙しくて眩暈がしますよ。ただ僕にとっては仕事よりもアリスの方が百倍大事なだけです」
 大真面目にそんな言葉を素面で言えるあたり尊敬するよ、とブラッドは返答した。

そして瞬きの後、彼のまとう空気が変わった。気怠さを含んでいた碧の瞳が怜悧な光を宿す。
「残念だが、まだお嬢さんを返す訳には行かないんだ」
「どういうことですか?」
 訝しむペーターに、ブラッドはテーブルの無事な部分へカップを置き、足を組み直した。

「アリスが狙われているんだ。私の愛人と思われている。連中に危害を加えられる可能性があったので直々に保護していたんだ」
「……わざわざ城から攫って来ることもないでしょうに。傍迷惑です」

マフィアのボスは口角を吊り上げた。
「半分は口実だ」
 ペーターは眼鏡を軽く押し上げつつ、睨みつけた。
「彼女は返してもらいますよ。僕の命に代えても守って見せます」
「いいや、私に責任がある。だから私が守る方が筋が通っている」

竜虎はしばし睨み合う。無限に続くかと思われた睨み合いはしかし、ペーターの方から破られた。
「――僕、あなたが欲しいものを今持っていますよ」
「ほう? 大抵の欲しいものは自分で手に入れられるのだが?」
「そうでしょうね。だから、あなたが手に入れ損なった物と言えば判りますか?」
「興味があるな。是非見せて頂きたい」
 ブラッドは身を乗り出した。


アリスは後ろ手に縛られて、地下の物置のような場所に転がされていた。埃っぽさと黴臭さが鼻を突き、しばらく使われてないことを窺わせる。遥か上方の、明かり取り用の窓以外には光が入って来ない。

人の気配の少なさから、大声を出しても救援が望めないことをアリスは悟る。色んな意味で絶望的だった。迂闊以外の何でもない。いつかのエースの心配は的中してしまったようだ。

つま先で顎を持ち上げられ、やや無理な体勢で顔を向けた。人畜無害そうな顔が今や暗い喜びに歪められている。
「お前、ブラッド=デュプレの女だな?」
「違うわよ! 何をどう間違えればそうなるの!」

彼女が縛られてから一時間帯ほど経っている。硬い床に転がされているため、さすがに体の節々が痛む。それでも気丈に振舞うのは彼女なりの意地であったのかもしれない。友人が自分のせいで窮地に追い込まれるなどあってはならない。

だが男に鼻で笑われた。人の良さそうな雰囲気はどこへ隠したのやら。今の悪人面からではとても思い出すことも適わない。

「どっちでもいいさ。奴と親しいのは知っているんだぞ。交渉の材料に使わせてもらうぜ」
「……ブラッドが交渉になんか応じる訳がないでしょう。時間の無駄よ。私と彼はただの茶飲み友達で本当に何でもないんだから」

「それは実際に交渉してみないと分からないことだな。奴の慌てふためく顔を拝めると思うと気分がいい……」
 男はにやりと笑う。捕虜の弁明など男は端から信じていなかった。これ以上は無駄だと悟り、アリスは固く目を閉じた。

助けを求める気持ちと、誰にも来てほしくない気持ちが鬩ぎ合っている。誰に助けを求めればいいのかもよく分からない。彼女はただ青空を恋しく思った。

ディーとダムは客人の行方を探していた。新しい罠について議論に熱中している間に逃げられてしまったのである。二人共、文字通り血眼になって探していた。減給の心配と何より護衛兼監視役を任されていたのだから。

そして今、最も会いたくない者に出くわした。変装しているようだが、馴染み過ぎる気配に二人は身の毛がよだつ。わざわざ視認するまでもなく、双子は同時に短剣を投げつけた。甲高い音を立て、短剣が払われる。

「げえっ! 迷子の騎士!」
「帰れ疫病神!」

 彼らが門を離れていたのが災いし、更なる闖入者を許してしまった。

「悪いけど通してもらうよ」
 侵入者が駆け足で双子の元へ近寄ってくる。斧を構えたディーがやはり喚き立てる。
「何しに来たんだよ! 迷子のくせに、用もないくせに、何でいっつもいっつもここに来るんだよ! これ以上僕たちの休憩時間を削るな!」

同じくダムも罵声を浴びせる。
「仕事の邪魔するな! お前のお陰でボーナスが減らされたんだぞ!」
 知ったことではないエースは臨戦態勢の双子を素通りしようとする。もちろん門番たちは騎士の前に回りこんで進行を妨害する。

「俺も一応、仕事しに来てるんだけどな~? 帽子屋屋敷に探してる人がいるんだ」
「邪魔してるのはお前だろ! 迷子は迷子らしく世界の果てで迷ってろ」
「迷子は野垂れ死んでなよ」
 エースは斧のバリケードを片手でいなして強行突破を試みるが、防護壁はなかなかに手強かった。やはり金が関わると俄然ヤル気が出るらしい。

「俺はこれでも忙しいんだから、あんまり手間をかけさせないでくれ」
「嘘吐け、お前仕事してないだろ! 明らかに城よりも屋敷の門の前で会う回数の方が多いじゃないか!」
「迷子は迷路へ帰れ!」
 騎士が鼻で笑った。

「今の俺の職場は迷路でも城でもなくて、時計塔だぜ?」
 全く同時の攻撃はしかし、ものの見事に外れていた。コンビネーションもばっちりだが、敵にいいように弄ばれている。

不意に振り返った騎士はさっと顔色を変えた。
「今日は時間がないから、ここまで!」
 剣圧でかまいたちが起こり、双子は急所を庇いながら吹っ飛ばされた。そのまま屋敷の奥への侵入を許してしまった。

二つの黒斧は回転しながら宙を舞い、地面に突き刺さる。双子の手元には得物の先だけがスッパリとなくなっている。
 ダムが騎士の後を追おうと起き上がりかけたとき、黒くて大きな影が圧倒した。山程もある巨大な熊が唸りを上げて、走りこんで来たのだ。

「げええ! 迷子が熊を連れて来たよ!」
「ボスに怒られるよ! 追い出さないと!」
 侵入者を追う前にまず熊を追い出さなければ何もできなかった。

「弁償しろよ! 僕たちのお気に入りの斧なんだぞ! ××××!」
「お前の×××を×××で、××るからなっ!!」

抗議の後半はほとんど放送禁止用語の嵐になっていた。背中に罵声を浴びながら、エースはにっこりと笑って応えた。
「ご免ねー。本当はもっと別のところを切り取ろうとしたんだけど……手元が狂っちゃったみたいだね。今度他も切り取るね」

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