答えの無い問い~ハートの国のアリス異次元~

第二章 歯車のズレた音

第三節 好意の種類

やっとハートの城に帰り着き、アリスは同僚に謝り通して仕事を再開できた。だと言うのに、エースは彼女の腰巾着と化していた。仕事をしろと何度も口酸っぱく注意したが効果はない。

仕事の邪魔こそしないけれども、日がな一日アリスにまとわりついていた。鬱陶しいのでせめて昼寝でもしていれば良いのに、と彼女は思う。余所者の観察など、よほどの暇人でなければしないだろう。

洗濯物を干す仕事が一段落つき、しつこく休憩を勧める上役のために仕方なくお茶に付き合っている。わざわざテーブルやらイスやら出すのも面倒なので、花壇の縁に腰掛けている。

「一仕事終えた後の紅茶は格別ね。この一杯のために仕事してる~~って気になるわ」
 そして隣にはエースが陣取っている。
まるでエールを褒め称えるオヤジみたいだね。年頃の女の子にしてはオヤジくさくない?」
 隣からの鋭い指摘にオヤジ予備軍は軽く口角を引き攣らせた。
「うるさいわね。働かずにゴロゴロしてる奴に言われたかないわよ。ああ紅茶が美味しい!

騎士が労働そっちのけでも、なぜか周りから注意されたことはない。むしろアリスがこの禄盗人の相手をするように言われる回数の方が多かった。ハートの城においてエースに物申せる人物は色んな意味で少ないのである。

不服でたまらない様子のアリスを、エースは別段気にした様子はない。へらっと笑うだけだ。
「そう? 陛下の紅茶を貰って来た甲斐があったよ
 アリスは驚きのあまり、手に持っていたソーサーごとカップを落としそうになった。素人目にも判るほど高級な物なので、慌てて両手で捕まえ、ほっと息を吐いた。

「ちょっと待って。ビバルディがあなたに紅茶をあげるなんて何かあったの?」
 
ビバルディとエースは主従関係にはあるが、フレンドリーな関係とは程遠いところにあった。あの紅茶に目がない女王が部下に紅茶を分けるなんて、天地がひっくり返ったとしてもあり得ないことだ。絵面を全く想像できないアリスにとって、まだ『強奪してきた』と言われた方が説得力がある。

「何もないよ。誰もいなかったから貰いますよーって言って、貰ってきただけ」
「くすねたんじゃない!!」

主犯が言葉を紡げば紡ぐ程、共犯者は青くなる。動揺した彼女と対照的に騎士は落ち着き払っていた。
「そう怒らないでくれよ。君と飲むために貰ってきたんだから怒られないよ、多分ね」
 余談ではあるが、その日はアリスの同僚がいつもの倍の人数で消えた。もちろんそのことを彼女が知る由もない。

「ところで茶葉は何ていう名前だった?」
 せっかくの美味しい紅茶を無駄にする訳にもいかないので、その味を楽しむことにした。すぎたことをいつまでもくよくよと悩むのは隣のサドを愉しませるだけである。

「え? あー……うーーーんと覚えてないや。オレンジがどーのこーのって書いてあった気がするから、フルーツフレーバーじゃない?
「……とりあえずフルーツだけはないと思うわ」
 
アリスは騎士に尋ねたことを少し後悔した。紅茶に関しては彼女もさして詳しい方ではなかった。だが恐らく彼の茶葉に関する知識も、帽子屋の側近とどっこいどっこいであろう。

アリスは一口だけ飲んで、暮れなずむ空に呟いた。
「あなたの周りは不和なのに、あなたって平和よね……」
「退屈するのは嫌いなんだ」
 爽やかな笑顔にアリスがジト目で知ってる、と答えた。経験に基づいた回答である。

やがて女王の使いが伝令にやって来るまで、アリスは長い休憩に付き合わされたのだった。

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ぱらりとページがめくられ、新たな文面が現れ、アリスの真剣な眼差しがそれを追う。仕事の合間に本を読むのがアリスの日課になっている。ページから視線をずらし、背中に話しかけた。
「……退屈でしょう? 私なんかと一緒にいても」

今、アリスの背に圧し掛かるようにエースが背中から寄りかかっている。上役が来ても彼女は挨拶ぐらいしかせず、あまり構ってやってはいない。今の彼女にとっては騎士よりも話の続きの方が大事だった。

あんまりつれないものだから、仕舞いには拗ねて圧しかかってきたのだ。そんな様子は主人に構ってほしがる飼犬のようでもある。

そうして彼女が本を広げて、およそ三十分が経過していた。
「君の背中は思ったより心地がいいんだ。感触を味わうだけでも、そこそこ楽しいよ。なに、退屈そうに見える?」

振り返ったアリスが疑念に満ちた目で相手を見つめ、首を横に振った。常に笑っている男の本音など誰も解る訳もない。ポーカーフェイスも良いところで、ひょっとしたら笑顔を形作ったまま、顔の筋肉が固まってしまったのかもしれない。

「そうだな。君と話ができると、もっと良いと思う。俺は君といるのが好きみたいだ」
「ふーん……そう。あ、悪いけど紅茶くれる?
 青い目は休みなく紙の上を滑るように字面を追う。

彼女の右手はティーカップを持ち、左手でページを繰る。ここにブラッドがいたら窘められそうな程、無作法な振る舞いをしている。

しかしエースはあまりマナーを気にしない性質であるため、注意することはない。舞踏会でさえ主催者側の人間であるくせに欠席しようとしていたし、更には私服で出席しようともしていたので、マナーなどないようなものである。

時折読書の邪魔をされても、アリスは彼の言葉を耳半分にしか聞いていなかった。彼女がすげなく返事をするので言葉のキャッチボールは成り立たず、二度とボールは帰って来ない。まだ壁にボールを投げた方がマシと言うものだった。

アリスの目は字面を追って、脳裏ではまるで違うことを考えるという器用なことをやってのけていた。小説の内容が舞台演劇のように繰り広げられているのに、観客のアリスはぼんやりとエースのことを考えているのだ。

彼が寄せてくれるものは好意には違いないのだろう。だが恋情と問われたら、アリスは思いっきり首を傾げたくなる。

エースの好意は常に大味であった。その心は大まかで分かりにくく、非常に分類しがたい。表現自体も一般人のそれとは大きく異なる。仲良くなればなる程愛想がなくなり、一番愛想が良かった時は初対面だとアリスは記憶している。

果たしてそれは好かれていると言って良いものだろうか。むしろ嫌われているのではないかと疑ってしまう。でも自分は――。

「ひょっとしたら好きなんじゃないかなあ?」

心の中を読まれた気がして、アリスは飛び上がった。知らず声が上擦った。
「なっ、何が?!」
「俺が君のことを好きなんじゃないかってこと」
「ああ……なんだ」

心を読まれた訳ではないことに安堵し、彼女は拍子抜けた返事しかできなかった。
「なに、その反応の薄さ。傷付くな~」
「だって愛とか恋じゃないでしょ? 好いてくれて嬉しいわ。私も好きよ」
「……ああ、なんか……おかしいな」

騎士のそんな顔をアリスは初めて見た。笑おうとして笑えなかった表情だった。能面のような無表情になってしまって、正直気味が悪いと感じた。

意味を問い質そうとすると、エースは俯いて目を瞑ってしまった。何か考えごとを始めたらしい。
「……どういう意味だろうね」

kind_of_goodwill

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●あとがき

補足として、二人が飲んでいるのは「セイロン・オレンジ・ペコー」……です。赤みの強いセイロン茶で、多分グレードの良い品物だったと思う。エースはもちろん適当に選んで持って行っていますが、ビバルディ秘蔵の品に限って、いつもかっ攫っていくような気がします。奥の方に大事にしまってあるほど何か嗅ぎつけちゃう。ホントどうしようもないですね。味の違いもわからないのに。

挿絵1は全くキャラクター出てきてませんね。紅茶のキラキラした感じと、鮮血が滲むような雰囲気を出したかった訳です。抜けるような青空の下、穏やかに紅茶飲んでるけど、知らないところでは別の赤が流されているという。

挿絵2は何となく飛び出す絵本風に描いてみたが、複雑な構造はよく分からないので適当に。英文も適当なので、読まないで下さい。柊の底辺な英語力がバレてしまいます。逆さまに書き始めたんですが、左ページから書いていたことに後から気付き、修正が面倒になって放置しました。←

百貨店で開かれていた、飛び出す絵本展みたいなのに行ったことがあります。かなり楽しかった。スターウォーズの絵本とか、本場の不思議の国のアリス絵本とかあって、すごく立体的で遊び心に満ちていた。動かせるのっていいよね。

友人の息子にあげようと思って買ってみたら、「壊すから、もうちょっと成長した時に」と断られてしまった。……そうだよね。二歳前だと確実に破るよね。玩具投げてるし。4000円がもったいないことになるよね。