答えの無い問い~ハートの国のアリス異次元~

第四章 それぞれの決着

第三節 ある意味拷問

茜色の光の中、3つの影が団子状に連なって流れていく。流れていく地面にアリスの靴裏は半ば着かず、ほとんど浮いている。ディーとダムに両脇を押さえられ、彼女はまるで誘拐されるような格好で走らされていた。

ハートの城の迷路を抜け、街中へ出ても歩みは止まらない。遠くで十字を切っている人が視界に入る。拉致られて、双子たちに弄ばれる哀れな子羊とでも思われたのだろう。実際に危険な遊びに巻き込まれるのだから被害者と言えないこともなかった。

彼らは周囲を警戒しながら、風のように疾走する。堪らずアリスは声を上げた。
「ちょっとディー、ダム! このまま行くと帽子屋屋敷に着いてしまうわ!」
 双子は彼女を見ようともしない。顔を覗き見ると拗ねたような横顔が見え、どこか険を含んだ声音が耳に入る。

「ずっと僕らのことを放っておいた罰だよ」
「しばらく僕らがお姉さんを独占させてもらうからね」
 アリスが何を言っても聞く耳を持ってもらえず、そのままの速度で帽子屋屋敷の門を潜ってしまった。

アリスがやっと両足を地に着けられたのは客間であった。仕事を終えた門番たちは口々に彼女を留めにかかる。
「気に入ったら、いくらでも居てくれて良いんだよ?」
「いっそのこと一緒に住んじゃえばいい」

否と言っても、この二人には都合の良い返事に変換されてしまう。やはり主に直接会うしかないと彼女が思い始めたとき――廊下に靴音が響いた。

ゆったりと大儀そうに現れた長身を見とめて、アリスは眦を吊り上げた。
「どういうつもりよ!」
 彼女の剣幕など、そよとも感じていない様子で主犯格の男は嫣然と微笑んだ。

「ようこそ、お嬢さん。わざわざご足労かけてしまって申し訳ない」
「あなたが命じて連れて来させたんじゃない!」
「おや? お嬢さんがそろそろ私に逢いたがっているのではないかと思ってね。私は気が利くだろう?」
「何の電波よ。勘違いも甚だしいわ。お陰で仕事を放り出す羽目になったわ」
「そうか。仕事なんぞより私を優先してくれたと言うことか。これは男冥利に尽きるな」
 この類はああ言えばこう言う手合いである。アリスはようやく沈黙は金だということを思い出した。

目の前の男こそ、帽子屋ファミリーの首領ブラッド=デュプレその人である。アリスは物怖じせずに意見するが、それは彼女が彼女であるからこそ許されるのである。無論、最初から意思などないに等しい扱いしか彼女も受けたことがないが。

一見するとただの優男だが、奇天烈な意匠の帽子の下には人を人とも思わぬような傲慢な意思の宿る瞳が隠れている。彼をカタギとは一線を画していることを物語っている。

夕日が眩しいのか、ブラッドは目を細めている。彫像のような陰影を醸す顔を見、アリスは溜息を吐きたくなる。やはり似ているのだ。――昔の恋人に。奇妙な格好をしてはいても外見はそっくりだった。こうして黙っていると、どうしても思い出さずにはいられない。

そんな視線を知ってか知らずか、ブラッドは目を伏せた。今、目を合わせたら気まずかったので彼女にとってはありがたかった。

「偶には息抜きをしたらどうだ? ……構わないから好きなだけいるといい」
 反抗したところでブラッドの意思は変わらない。彼の気の済むまで付き合う以外、選択肢は残されていない。しかし、こちらにも予定というものがある。エースとの約束があるのに城を離れる訳にはいかなかった。

「……ありがとう、ブラッド。でもね、嫌がるレディを無理やり連れだしたりするのは礼節に欠く行為だと思うの。私、これから城での約束があるから帰らせて頂きます」
「いやいや、せっかく来たんだ。ゆっくりしていきなさい。先方にはこちらから伝えておこう。ハートの騎士だろう?」
 ――抜け目のないこの男のこと、恐らく事情などお見通しなのであろう。

「……どこまで知っているのか、知らないけれど。私は城にいなければならないの」
「考え事ならどこでもできるさ。あの目に優しくない城で働きながら、大事な決断をするのは酷だろう?」
 どんな理由かは分からないが、大人しく帰してくれる気はないらしい。

アリスの視線を、館の主人は意味有り気に受け止めて、部下たちに向き直った。
「お前たち、お嬢さんを退屈させるなよ」
 願ってもない指示に二つの元気な声が応える。
「任せてよ、ボス!」
「命令なんかなくったって構い倒すよ」

「倒すな。それは私の役目だからな」
「何の話よ」

 双子はにやにやしているだけで彼女に何も言ってはこなかった。ブラッドは軽く咳払いをして茶を濁した。

「お茶会の準備ができている。さあ行こうか。お嬢さん」
 上品に差し出された手を、不承不承アリスは取った。

時間帯は星の瞬く夜――。常春のような気候上、野外パーティを催しても寒さなど感じられない。夜気に包まれた会場は既に華やかさを灯していた。美しいを通り越して、毒々しく感じられる。

妍《けん》を競うように華美な装飾が施された菓子がテーブルに所狭しと並べられている。そしてそれをものすごい速さで口の中に収めるウサギさん。それを遠い目で見る屋敷の主人とその客人。

「壮観だわ。さすがに眩暈がする程見事にオレンジ色だと食欲も失せるわ」
「だろう? 自慢のシェフだ。私だけでなく、エリオットのリクエストにまで忠実なのが玉に瑕だがな……」
 毎度毎度エリオットのリクエストに応えられる、お屋敷のシェフにはアリスも感嘆と憐憫の情を禁じえない。

確かに美しい。花であれば愛でるだけで済むのだが、これらはどんなに美しくても菓子である。食べ物である以上その用途は一つに定められている。

「このままだと確実に私は死ぬ。お嬢さん、私の代りに奴に言ってやってくれないか。オレンジ色のメニューをせめて三回に一回の割合まで減らせと。私には到底無理だ」
「私だって嫌よ」
 ちなみに今はお茶会ごとにオレンジ色のメニューが出されるらしい。

「いっそのこと、あなたも人参にハマってしまえばいいのよ。そうしたら何の問題も無く、心の安定を保てると思うわ」
 あんなにカロチンばかり摂取していたら、健康的に問題は大有りに決まっている。賓客は張り付いたような笑みを浮かべて、ウサギの主を見る。所詮他人ごとである。

「そんな、どこぞの苺にハマったパードラゴンでもあるまいし、無理に決まっているだろう。あれだけの量を食べさせられたら、徹底的に好きになるか、嫌いになるかのどちらかに決まっている。そして私はオレンジ色の物体が嫌いになったが、全く後悔はしていないぞ」

潔よくブラッドは言い切った。そして、いっそこの世から人参を滅ぼしてしまおうかなどと物騒なことを呟き始めた。
「……そんなことをしたら、エリオットが泣くわよ」
 マフィアのボスの脳内で素早く組み上げられる計画の音がカチカチと聞こえるようだ。

結局のところ注意を促すよう、ただお互いに肘で突き合う始末。アリスは目を逸らしたいのに逸らせない迫力の画が目の前で繰り広げられている。例えて言うなら、曲芸でも見ているような気分である。

視線の意味を取り違え、エリオットは菓子を勧めてきた。
「俺ばっかり食べちまって悪かったな。これ食えよ」
 アリスはぎこちなく受け流し、無理矢理ブラッドに振った。

「お嬢さんのために開いたお茶会なのだから、お嬢さんが主賓に決まっているだろう。だから精一杯もてなしてやれ、エリオット」
「……自分のためにお茶会開いてるくせに」
 ブラッドは口笛を吹きながら、クルクルとステッキを回転させている。

いつ仕事をしているのか、そもそも仕事などしていないのではないか、とアリスはいつも勘繰っていた。
「そんなに紅茶ばっかり飲んでると体中の水分が紅茶になっちゃうんだから」
「そんな訳はないだろう。試しに舐めてみるか?」
 にやりと人の悪そうな笑みを彼女に向ける。
「結構よ。私は吸血鬼じゃないんだから」

退屈凌ぎに何をしでかすか分からない、この男のこと。例え本人の意見を無視すると分かっていてもキッパリと断っておく必要がある。


星の光も届かないような闇の中、襤褸布が浮かび上がる。静まり返った廃墟に布が音も無く翻り、その中身を晒す。暗い中でも一際、鮮烈な赤は見る者に不吉を与える。

襤褸布の塊は外套をまとった長身の男であった。その目元はマスケラに隠されているが、露出が多いために若く精悍な顔つきであることが判る。

「何だよー。もう引き払った後みたいじゃないか。これから探し出すの大変なんだけどなあ……」
 困っている割に、のん気な声を上げた。少ない手掛かりを頼りに、彼は普段働かせていない脳味噌を回転させた。

とりあえず周辺の聞き込みをして見当を付ける。なかなか執念深いと言うから、帽子屋に復讐するために逐一情報を集めているはずだ。その辺りも含めて探すことを彼は決めた。

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