答えの無い問い~ハートの国のアリス異次元~

プロローグ

ace3

 こんな世界に来てしまった以上は笑うしかない。  エースはそのように考えていた。 喜怒哀楽がない訳ではない。擦り切れてしまっただけだ。 今は仮面のような笑みか、無表情しか持っていない。

何も考えたくない。けれど、わだかまる迷いはいつまでも自らを蝕み続ける。それ以上考えたら、きっとエースという歯車が立ち行かなくなる。

この胸にあるのは、どこまでも果てしない虚無。満たされないハート。 いつまでも答えなんて出て来ないのに、うじうじと同じところに戻って来て悩み続ける。 悩むのをやめたくても、やめられない。

その内、正しいかどうかさえ、気にしなくなってしまうかもしれない。 処刑人になって、大分経つ。そろそろ自分だけで抱えるのが辛くなってきた。 漏れ出す闇は、もはやユリウスでさえ消すことはできない。

できるだけ、決断を引き延ばすしかできない。そう、いつか復讐の炎を宿したアイツが断罪しに来るのを待つ間だけ――。

1.BAD・WORSE・WORST

いつでもどこでも彼の歩く道は迷路だった。例え道が一本しかなくても新たな道を切り拓く男、それがエースだ。彼のいる場所が全て迷路だと言うのなら、人生は迷路で構成されていたと言っても過言ではない。人生を語らせれば、『人生こそ迷路、壮大な旅』と晴れやかに答えることだろう。迷路を抜ける日は、その胸の時計の音が止んだ時だけかもしれない。

彼にとっては毎日が大冒険。本日も然り。エースは巨大迷路を疾走しながら、口笛を吹いた。
「今日も千客万来だなー」
 それが真っ当な客人たちであれば適当な言葉であろう。しかし彼の後ろには銃に剣、ボーガン、機関銃など物々しい装備の男たちが群れ成していた。ハートの騎士の時計を止めるべくして雇われたであろう者たちだ。

だというのに当の標的は意にも介さず、遊びの続きであるように軽くあしらっていた。エースにとっては児戯にも等しいのだろう。殺ろうと思えばいつでも殺れる。簡単に殺してゲームを終わらせてはいけない。

それにひょっとしたら、親愛なる宰相から差し向けられた刺客かもしれない。ちゃんとお相手してあげなければ失礼に当たる。生かしておけば使い道があるかもしれない。手加減が苦手なエースだから、『言うは易し行うは難し』であるが。

そんなことを考えていたから、曲がり角の直前まで気配に気づくことができなかった。無意識に剣を向けた先は白くて細い首。後一ミリでも彼女が近づいていれば、赤い噴水の大惨事になっていた。

少女の細い喉から驚きの声が上がる。
「えっ……」
 頭には水色の大きなリボンが乗っかっており、マロンブラウンの長い髪が風に揺れる。大きく開かれた瞳はマリンブルー。何よりも印象的なのは外見年齢に見合わぬ、やや幼い印象の可憐なエプロンドレス。全体的に言い表せば、それは十代半ばの少女であった。

一般人であることに疑いの余地はないが、この時間、この場所には不釣合いで怪しすぎた。ハートの女王の庭に無断で侵入すれば一体どんなことが待っているのか。この世界の住人であれば知らぬ者はいない。

今の時間帯は抜けるような青空である。他勢力の役付きですら、女王の機嫌が良い夕方にしか訪れない。見たところ役付きと言う訳でもなさそうだ。何より軍事責任者の洞察力から判断すれば、簡単に殺されそうな、とてもひ弱な少女に見えた。

出会い頭のコンマ数秒だけを使って、エースはそれだけのことを思考した。そしてすぐに背後の状況を思い出し、少女を生垣に突き飛ばした。体重が軽いため、加えられた力に逆らえず、まるで人形のように飛ばされる。

「ちょっ……何するの!」
 
生垣に突っ込んだ少女の抗議に、騎士は背中で謝った。
「ごめんね。ちょっとそこでジッとしていてくれないか? 間違えて斬っちゃうかもしれないから
 言いつつ、彼が烈風と共に大剣を振り抜くと苦悶の悲鳴が上がる。音速の剣舞と流血ショーを少女の目の前で披露する。蒼褪めて絶句した少女は本当にその場から一ミリも動かなかった。否、本当は腰が抜けて立てなかったようだが。

stray children

このページには、若干の残虐表現があります。

別に小娘など放っておいて、エースは逃げても良かったはずだ。彼があのまま無視していれば、巻き添えを食った娘は殺されていたことであろう。また今は殺されなくとも、ハートの衛兵に見つかれば、やはり問答無用で殺されるか、運が良くても捕らえられて最終的に女王によって死刑にされるだろう。

死んだのは運が悪かったからだ。この世界では、その一言で済んでしまう。だが今回はそれで片付けたくないと思っている自分にエースは気づいた。自らの気紛れにどうにも釈然としない。

――騎士は弱者を守るものだ。

忘れていた一節が騎士の脳裏に蘇る。名も知らぬ女の子を守ろうとするなんて、おかしな話だとエースは苦笑した。君主を守るべき騎士が、ただの一般人を守る方が快く感じられることがおかしくて、口端が皮肉に笑みを形作る。

彼の主君は守り甲斐のない暴君だから、間違っても庇護欲など欠片も湧かない。今回は庇護欲を掻き立てられた。多分それが一番しっくりくるのだろう。

そう結論づけて、エースは大剣にこびり付いた血糊を振り払った。惨状を見、溜息を吐いた。青空の下に広がる薔薇の迷路は夢のように美しいのに、地面には血の海に沈む躯たちが転がっている。五体満足な体は一つもなく、まるで人形の部品が苺ジャムにのたうっているようだ。

眼下にはそんな現実離れした悪夢の如き光景が広がっている。騎士と少女を除いて、動く者は何一つなくなった。

少女は身動ぎもせず、目の前の惨劇から眼を逸らせずにいた。血生臭い事柄に慣れていない人間は通常吐き気をもよおすものである。彼女の場合は目の情報が脳を素通りしているのかもしれない。あまりに日常からかけ離れたことが起きると、とっさに人は現実だと認識できないものである。

「……またやっちゃった。俺ってホント手加減が下手だな……」
 彼が後悔したのは多くの人間を殺めたことではなく、上手に生殺しにできなかったことだ。

向かって行って返り討ちにされたとしても、刺客が相手に文句を言うのはお門違いだ。殺すことは同時に、殺されることを覚悟するのと同義である。だから殺した方も同情もしてはいけない。許されるのは記憶すること、受け入れることだけだ。

エースは人殺しに関して一片のとまどいも後悔さえも抱かない。殺らなければ殺られるのがこの世界の理であり、適応できないものから死んでいく。生きたければ殺すことから始めなければ生き残れない。

もちろん、この少女もこの世界の住人であれば理解しているはずなのだ。蒼褪めているのはきっと自分も殺されるという危惧からだと、エースは推理した。

まずできるだけ優しい声音で手を差し伸べた。ひっと短く叫んで、彼女はますます生垣にのめり込む。このまま後ろに下がり続ければ、生垣の向こう側へ尻から出てしまう。

彼女の白い肌に薔薇がこれ以上赤い筋を作らないように、エースは彼女を呼びかける。
「大丈夫だよ。君は殺さないよ」
「血、血がっっ!!」
 
酸欠状態の青白い金魚のように開閉を繰り返していた口がようやく言葉を発した。
「血……? ああ」
 騎士はやっと返り血で汚れた自分の手に気が付いた。その鮮やかな色は馴染みすぎて、彼にとっては日常の色と化していたから。

手袋にべっとりと付いていた血糊をコートでぞんざいに拭って、ポケットに捻じ込んだ後、素手を差し出した。

spirit of knight

「……どうもありがとう」
 少女は警戒しながらも恐る恐るエースの手を取った。その手は白くて小さいが、傷一つないとは言いがたかった。立ち居振る舞いから見ても中流階級以上の出身とエースは判断した。

だと言うのに何か仕事でもしているのだろうか。お金が無くて落ちぶれたから内職とかしているんだろうか。

「……な、なに?」
 
エースはつい、まじまじと顔を見てしまい、少女は居心地の悪そうな素振りを見せた。じりじりと後退してゆく。

「君は一般人だよね?」
 目の前で人を殺した男が爽やかに笑いかける。猫がネズミに笑いかけるように。そして少女は現在蛇に睨まれた蛙の心境であった。例え蛇が笑っていたとしても、そこで安堵できようはずもない。その脅威が立ち去らない限り、命の危険も立ち去らないのだから。

とにかく一刻も早くこの場から逃れたい一心で、彼女は質問に早口で答えた。来たばかりだということ、時計塔で起きたこと、自分が余所者であるということ。答えを聞いたら、とっとと立ち去ってほしいと願いながら。道端の石ころと同じように、自分には面白い要素など何もないと言うように。

だが実際は致命的なまでにしくじった。彼女が余所者だと知った途端、紳士的な態度が急に砕けた態度に変わった。彼女は知る由もないが、この世界の住人が余所者などという、珍しくて面白そうな対象を放って置く訳がない。この世界は退屈した人間で溢れていた。

興味を隠そうともしないエースに、彼女はますます居心地が悪くなる。良く言えば人懐こいが、何となく馴れ馴れしく感じるのだろう。

「ふうん。それでユリウスを知っているのか? アレ、俺の親友なんだよ。元気そうだったかい?」
 出会った時のことを色々と思い出し、彼女の顔には沸々と怒りが露になる。

「ええ。白ウサギにさらわれて、この世界で最初に落ちた場所が時計塔だったから。口頭一番、元気に皮肉を浴びせられたわ。とても警戒心が強くて、口の悪い、偉そうな人ね」
 情け容赦なく友を評する彼女に内心エースは軽く舌を巻いた。だが親友であろうともフォローの仕様がないほどにそれは事実だ。

「ごめんな。あれでも根は良い奴なんだよ。親友が粗相をしたお詫びに俺が親切にするから、許してやってくれないか」
「別に気にしてないわ。あなたが私に親切にする必要なんてないわよ」

彼女の態度は遠慮と言うよりも関わりたくない方向に向かっている。恐らく無駄に明るくて爽やかなエースの表面属性が苦手だと認識し始めているのだろう。それ以前にこの騎士が殺人も厭わない性格という問題もある。

少女はこの惨状から立ち去るべく、強歩で騎士を抜き去っていく。しかしエースにはそんな素直な反応を返す彼女が好ましいらしく、にこにこと愛想良く迫る。彼女は忙しなく足を前後させているのに、この男はゆったりとした足運びのまま付いて来る。悲しいかな、コンパスの差が如実に表されている。

やがて騎士の体躯が少女の行く手を遮った。
「俺が親切にしたいから、じゃ駄目かな」
 一瞬にして強張った表情を見て取ったエースは、逆に警戒心を芽生えさせてしまったと覚る。どこへ連れて行かれるのか分かったものではないと、青い目が口以上に物語っている。

「俺のこと、信用できないって思ってる?」
 少女は口篭る。当然だ。二人ともお互い出会ったばかりで未だ何にも知らない者同士である。
あ、当たり前でしょ! 人を殺して平気でヘラヘラ笑っているなんて絶対にどうかしてるわ」

しかもエースは気にしていないが、彼女にとっては得体の知れない犯罪者だ。殺人を犯した後でさえ笑顔でいられるのが不思議で堪らない。信用するなどとんでもない。十分に警戒をしてしかるべきであろう。

そんなことは初めて聞いたと言わんばかりに騎士は答えた。
「へえ、そういうものなの? 君は知らないだろうけど、この世界では人を殺すことは何の罪にも問われないよ。気に入らなければ殺すのが通念。中には三秒しか躊躇しないのもいるんだから、俺はまだ平和主義者な方だよ」

「へいわしゅぎしゃ?」
 彼の言う平和の定義は恐らく彼女の思っている平和とは違うものであるに違いない。
「平和主義者を謳うなら、少なくとも剣は棄てるべきよ。剣ではなくて言葉で戦い、説き伏せるべきだわ」

自分との違いを見せつけられて、エースは軽く溜息を吐いた。『争いは無くすべき』と言える世界で育まれた人が、この世界を知らないからこそ吐ける言葉。

無論エースとて戦い自体に意味を見出したことなどなかったが、自分を守るためには必要なことでもあった。愚かと知りつつ、結局止められなかった。今では考えるのも面倒臭くなって、既に娯楽とか刺激の領域に足を突っ込んでいるのだが。

「本当に君は余所者なんだね。…………羨ましい」
 最後の方の言葉は彼女の耳どころか、エースの耳にも入らないほど小さかった。

「大丈夫だよ。俺が君を守るから、逃げないで」
 
エースの顔を見て、一瞬だけ少女が停止した。放っておけなくなるような、心細そうな、寂しそうな微笑。

彼女はまだ困惑している。最低限の警戒心があることは良いことだが、態度が硬化しすぎても仲良くはなれない。ならば、まずは名前から知り合うべきだろう。エースはそう結論づけた。

「俺はエース。このハートの城で騎士を務めている。君の名前は?」
「アリス。アリス=リデルよ」
「アリス、良い名前だね。君に良く似合ってる」
 少女は少しだけ変な顔をして、そんなことないわと謙遜した。

この出会い方はアリス史上ワーストスリーにランクインするほど悪かっただろう。もちろん一位に燦然と光り輝くのはペーター=ホワイトに他ならない。要するにハートの城の幹部だけで、彼女の中の初対面ワーストトップの三分の二を占めることになった。

clock glass

NEXT


●あとがき

再び連載してみる。プロローグが詩並みに短くて困る。異次元扱いなのは、原作と異なる出会い方をするからです。ある意味パラレルってことだね。

ひたすらエース贔屓の小説です。でもハートの城の連中はちょっと出てきます。一回原稿なくしてから、その他の人々も少しは出す算段ができました。これは元々「ワンダーランドの虹」の中のお話でした。でも「答えの無い問い」と分けました。虹ではペーターが主人公っぽかったくせに、「答え~」ではエース主体のために全く報われない結末を迎えるから。不憫すぎたので、話を分けることでペーターの想いが報われる可能性を残しておきました。

無駄に力入れたカラー挿絵1。ろくに背景も入れてないくせに、ちょっと疲れた。アリスの髪が何だか金髪になりました。この子の髪ってマロンブラウン? エースの剣! 変な形の剣はめんどいよ!!

挿絵2はブラッディ・ハンズ。もっと平和的な絵を描こうとして、そのシチュエーションに魅力を感じなかったので、こんな絵になった。魅力云々と言うか、病んでいる。差し出した手もホラー。

挿絵3はブラッディ・ハンズの後なので、ほのぼのさ半減。柔らかいイメージを出したかったので、あえて水彩風。ゆめいろえのぐは使いこなせない……。エースとの身長差はこれで良かったのか微妙。