答えの無い問い~ハートの国のアリス異次元~

第四章 それぞれの決着

第四節 籠の鳥

ふかふかして、どこまでも沈みこんでいくようなソファに、アリスは腰掛けていた。膝上の本を読む集中力は既に失われ、今は瞼の重さに耐えながら、根性で目を開け続けている。仮にもここはマフィアの本拠地で、しかも油断ならない男の前で眠ったら、殺される気がしたからだ。若しくは酷い目に遭う気がした。

「お嬢さん、そんなに穴が開くほど見つめられても困ってしまうぞ」
 茶化した様子でブラッドが客人を見た。目が据わっているように見えるのだろう。喉の奥でくつくつと笑い、挑発的な視線が蛇のように彼女へまとわりつく。
「……どうにかしたくなってしまうだろう?」
 背筋が薄ら寒くなり、彼女は慌てて視線を逸らす。

ブラッドは机で仕事をしているらしかった。時折羽ペンで何か書き付けたり、判を押したりしている。お茶会して、遊んで、お茶会して、ちょっと眠って……。もう二十時間帯くらい、この優雅だか多忙だか分からないスケジュールをこなしている。

屋敷内をうろつけば、ブラッドに茶会を誘われ、庭に出れば速攻で双子に捕まり、敷地内ではエリオットが走り寄って来る。一人の時間など、ほとんどと言っていいほどに無い。

アリスがうんざりした様子で口を開く。
「ねえ、そろそろ私帰りたいんだけど……」
「ここにいなさい」

その有無を言わさぬ声の響きに、客人は従わざるを得ない。好い加減帰りたいのに、彼らが余所者に飽きる気配は一向になく、帰す気が無い。本当にこの屋敷に滞在地を変えさせる気なのかもしれない。

このままでは血相を変えた白ウサギが乗り込んで来かねない。彼女にはそれが心配の種である。――それに。何よりエースとの約束を破ってしまうことになる。それだけは耐え難い程に焦燥へ駆り立てた。

青空の下で繰り広げられるお茶会にオレンジ色の軍勢――否、菓子の群れが押し寄せてくるのを見とめ、双子は嫌な汗をかいた。

「げっっ、馬鹿ウサギの奴、追加注文が全部オレンジ色だよ兄弟!」
「まともな菓子がほとんど残ってないじゃないか!」

彼らはニンジン以外の菓子を漁っている最中だった。ブラッドに至ってはステッキを振りかざし、運ばれてくる菓子を召使いごと吹き飛ばそうとしている。まだ辛うじて機関銃には変化していないが、時間の問題である。

「今すぐに、このオレンジ色の物体を私の目の前から消してくれ。とにかく今すぐに
「今すぐ二回言った……」
 出された食事はオレンジ色ばかりで、アリスも好い加減飽き飽きしていた。体内どころか皮膚にまでオレンジ色が染み出しかねない。目に痛くても赤い城が恋しくなってきた。
「帰りたい……。ものすごく帰りたい」

しばらくしてトイレと偽り、アリスはお茶会をこっそり抜け出した。もう十分付き合ったし、帰りたいという意思表示はしてきたつもりだった。
 滞在地の人々を心配させてしまうので、あまり長いこと城を空ける訳にも行かない。エースが帰っているかもしれないと思うと気が急いた。

「げ」
 こそこそとお茶会と反対方向へ向かうのを、屋敷の使用人に見つかってしまった。慌ててアリスは反対方向へ駆け出そうとしたが、腕を掴まれてしまう。

「アリスさん、お帰りなのでしょう? 僕が外までお送りしますよ」
 帽子屋屋敷の使用人にしては珍しく、妙にハキハキした喋り方だった。驚いて振り向けば、何とも人の良さそうな顔をした使用人であった。恐らくは屋敷の主のだるい色にまだ染まっていない新人なのであろう。

「ええ? い、いいのよ。こっそり抜け出したんだし、あなたに迷惑がかかるわ。黙って見て見ぬフリだけしてくれない? お願い……」
 これだけ徹底して、アリス包囲網が敷かれているのだ。脱走の手助けなどしようものなら、蜂の巣にされてしまうかもしれない。

マフィアの掟は、時に法よりも厳しい。ファミリーはボスに血の忠誠を立てた者たちであり、強い絆で結ばれている。それゆえに裏切りは許されず、逆らう者は制裁を加えられてもおかしくはない。

「秘密の通路を使えば、誰にも見つからずに外に出られると思いますよ」
 これは渡りに船だ。確かにこのまま茂みから茂みを移動したところで、いつかは他の使用人に連れ戻されてしまう可能性が高い。
 それならば、いっそ協力者の力を借りて、秘密の通路を使った方が安全であろう。アリスは差し出された手を掴んだ。

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