ワンダーワールドの虹~ハートの国のアリス以前~
Act.2 運命は止まらない
ボリスは今日ほど、鋭敏な聴覚を恨んだことはなかった。
雨の中でも一応、この巨大遊園地は機能しているが、客足は少なかった。当然ながら従業員たちは皆、暇になる。オーナーも自室でのんびり寛ぎたいところだろうが、招かれざる客がそれを許さなかった。
「なーおっさん、おっさんってば!!」
遊園地に降る雨音に、喧しい若者の声が加わる。声の主は鮮やかなピンクの猫耳と尻尾をバタつかせた。動きに合わせて、装飾品の鎖もジャラジャラと主張する。まるで駄々をこねる子供のようだ。外見年齢の十代後半にしては幼い挙動ではあったけれども。
ピンクの猫の泣訴に、遊園地のオーナーは軽く眼鏡を押し上げて、髭面をしかめた。長い襟足を三つ編みに結い、キャメル色の音符模様のスーツに馬のアクセサリーを下げ、極めつけにバイオリンを構えている。メリー=ゴーランドの服装は、今日も絶好調に悪趣味だ。
「にゃあにゃあ煩いぞ、ボリス。何度言っても駄目なものは駄目だ」
「猫は雨が苦手なの、知ってるだろ? 何でも良いから適当な理由を付けて、天気変えてくれよ。俺、もう駄目……限界」
ピンクの尻尾と耳がぐったりと項垂れた。聞き分けのない野良猫に何度目かの説得を試みる。
「俺は良識ある大人だぞ。そんでもって遊園地のオーナーだぜ。気楽な役持ちのお前と比べて責任重大なのに、下らない事で天気を変えられるか」
「下らなくなんかねーよー……。おっさんのいけずー」
「お前だって役付きなんだ。分かってるんだろ? 何か余っ程の理由がない限り、天気や時間帯の変更はできねえ。ま、帽子屋みてーなヤクザもんなら、気分次第で変えるぐらいやり兼ねねーんだけどな。オレは良識派だから間違ってもやんねーぞ」
ボリスがこの世界の理を理解していない訳でも、納得し切れていない訳でもない。
「わーってるよ、わーってるって……。でもさあ、泣言でも言わないと、この不快な状況に耐えられないっつーの? 腐っちゃうんだよー」
腐るなら自分の部屋で腐って、キノコでも生やせば良いと、口をついて出そうになるのを堪え、ゴーランドは引き攣った笑いを浮かべる。例え居候でも、人情派のゴーランドは気さくに接するのが常だ。
「猫ってのは難儀な生き物だなー。おー、そうだ、そうだ」
流石に哀れと見えたか、自称音楽家はいそいそとバイオリンを構えだした。これはゴーランド一流の慰め方なのだ。ただし本人以外には至って逆効果であったりするのだが。
「今、渾身の一曲が出来上がったんだ。元気が出る曲だぞー。慰めてやる」
「止めろ! 弾いたら撃ち殺す! ぜってー殺すからな!」
「俺の歌を聴け~♪ いくぜゴーランドさん第5番曲『雨後の運命』! たらった~たららららら~」
「俺の主張を聞けーーーーーーーー!」
ボリスの絶叫空しく、遊園地の雨音には更なる怪音が独自のアレンジで加えられた。雨+ゴーランドのヴァイオリン演奏+壮絶音痴な歌声の相乗効果により、ボリスの憂鬱は更なる深みにハマった。
「あああ……耳が腐る……」
