ギルカタールの理髪師~新たなる可能性~
4.呪いを解いた王子様
夜の酒場というものは活気という喧騒に満ち溢れているものである。そんな中でも、この面を被った私は浮きに浮いていた。周囲からざわめきが聞こえるものの、遠巻きにしているのが分かる。
私の隣にはギルカタール一有名な暗殺者カーティス=ナイルがいるのだ。暗殺者のくせに国内では顔が知られている。その男の連れにも命が惜しくて滅多なことは言えない。
だが行商のユウにとっては関係なかった。
「め、珍しイ……。これは珍しいヨッ!!」
感極まったユウが面に抱きついてきた。ただでさえ重い頭に、更にいろいろな道具を背負った男が体重をかけてきて、首がもげそうだ。
「止めて下さい。プリンセスに抱きつかないで下さい」
ひっつき虫と化したユウを、ベリベリ剥がしにかかるカーティスが今だけ王子様に見える。
「プリンセスに抱きついていいのは僕だけです」
訂正。ユウよりマシでも、こいつも同類だ。
「ハイハイ。堪能するのは後でいくらでもできるだろ? 早くプリンセスの頭、取ってあげてくれよ」
「その言い方やめて」
私と同じように、先刻からミハエルに抱き付かれているマイセンが場を収めようとする。ミハエルはてこでも動かない気だ。
「……ミハ、もうわかった。重いから離れろ」
何とか面から剥がれてくれたユウの目はキラキラ輝いていた。怖い怖い怖い怖い……。
「うん、分かったヨ。これから準備しなくちゃイケナイから待っててもらえる?」
ユウはうきうきと古びた羊皮紙を取り出して、何かチェックしている。
「準備……?」
得体が知れない。
「魔法を解く儀式に使う薬だヨ」
動作を止めて、マイセンにお願いしていった。
「マイセン。準備ができ次第始めたいから、プリンセスを見張っててネ」
「……見張る?」
快諾したマイセンを横目で見る。ひらひらと手を振る自称賢者は怪しかった。
「という訳で、ユウの準備ができ次第、始めるから酒場から出ちゃダメだぜ、プリンセス!」
そしてちゃっと二本指の敬礼をして、意気揚々と酒場の女の子たち相手にナンパし始めた。
仕方なく酒場のテーブルに座る。
「本当に役に立つのかしら……」
独り言のつもりだったが意外にも返事があった。向かいにはカーティスが陣取っている。
「……まあ魔法が専門分野の国出身ですから、僕たちよりは知識があると思っていいんじゃないですか。マイセン=ヒルデガルドが教育をキチンと受けていればの話ですが」
「え? カーティス、マイセンのこと知ってるの?」
驚いた。あのカーティスが仕事以外で人のことを調べる気になるとは。もしかしたら今度の標的はマイセンになったのか?
「ええ。所用で調べましたから」
「ふうん。そう言えば前に絡まれていたわよね」
「あの件は終わったことです。それよりもプリンセスと未だに親しくしていたことが僕は気に食わないです」
いつの間に注文したのか、カーティスはいつものアルコールをあおった。飲みますか?とジェスチャーで示されるのを丁重にお断りする。一度飲ませてもらった経験があるが、彼の酒は強すぎて味がしない。
「結構よ。それに面を被ったままじゃ飲めないわ」
何故かカーティスは引かない。指でツンツン突付いてくる。
「口のところ、穴が空いてるじゃないですか。ストローでも使って飲めばいいでしょう」
「嫌よ。ストローなんか使ったら、酔いが早くなるでしょう」
「僕の酒が飲めないと言うんですか、プリンセス・アイリーン?」
「……アンタ、性質の悪い酔っ払いみたいよ?」
マイセンを目で探せば、またナンパに失敗して、美男のミハエルに持って行かれている。無論、女に興味のないミハエルは、その女たちを無視している。マイセンは平均三分に一人ナンパしているから、既にかれこれ30分は経過した勘定になる。
そして、それだけ観察していた私も暇だということだ。これだけ時間があれば一体何匹のモンスターを仕留め、かつカジノで儲けられたのか……。なんだか溜息を吐きたくなる。
「どうしてこんなことになっちゃったのかしら」
「少なくとも、その面さえ被らなければ、不幸なことにはならなかったと思いますよ」
「いちいち返事しなくていいわよ……。自己嫌悪で落ち込むから」
律儀に返してくるカーティスすら鬱陶しく感じる。
何だか無性に喉の渇きを感じて、近くの水をストローで飲んだ。だが、すぐに喉が焼けてむせ返った。それは水ではなかったのだ。
「ぶはっ、何で私の近くに酒があるのよっ?!」
「何でって、僕だけ飲んでいてはおかしいでしょう? プリンセスの分も注文しておいたんです」
「何であんたと同じ酒なのよっ!!」
この感覚は覚えがある。舌ではなく、喉と頭に。
――ああ、そうだ。カーティスの愛飲する酒を試しに飲ませてもらったときだ。何の味もしなくて、ただの強烈なアルコールそのものだったような……。そのあと記憶が飛んで……気付いたらカーティスのベッドで裸で寝てて、それで――。
ぐらーっと眩暈がして、体に力が入らない。意識が離れていきそう……。
「お待たせ! 準備できたヨー」
能天気なユウの声と、打楽器のように煩い荷物の音が不協和音を奏でている。それすらも意識を遠退かせる。
「プリンセス、さあ行きましょう」
腕を持ち上げられ、肩に担がれる感覚。そして私はカーティスを突き飛ばしていた。
「どうしたんです? 僕、変なところ触っちゃいましたか?」
「来ないで」
短い拒絶の言葉に、カーティスから笑みが消えた。だけど、そんな余裕こっちだってない。私の意思とは関係なく、この右手にはナイフが握られている。しかも近づく者にはいつでも切りかかれるように身構えている。
嘘みたいだ。自分の体が自分のものではないようだ。
「何やってんだ……って、プリンセス? 目覚めちまったのか?」
ナンパ12人目を失敗したマイセンがやっと異常に気づく。ミハエルは無関心だ。
「プリンセス、落ち着いて下さい。意識をしっかり保って下さい」
カーティスの声に、もう返事もできない。カーティスはじりじりと距離を詰めてくる。出口が近いので、すぐさま走り出す。このままでは店にも被害が出てしまう。まだ自分が残っている内に……。
プリンセスを追って走ってゆくと砂漠に出てしまった。
「プリンセスを捕まえるのは僕です。必ず連れて行きますから、ちょっと待ってて下さい」
――マイセン=ヒルデガルド。この男は邪魔だ。手の甲を外へ払って、追いやった。
「へーへー、じゃあ任せたぜ、ギルカタール一の暗殺者様。勢い余ってプリンセスに怪我負わせたら、カーティス=ナイルの名折れだぜ?」
「僕にそのようなミスなど期待しないことです。仕事は完璧ですから」
獲物を狩る獣のように低姿勢に走り出す。予想通り、プリンセスは下方にナイフを構えた。下段攻撃と思わせて、目前で勢いよく跳んだ。目前の敵を一瞬見失っているはずだ。
宙返りして、背後から攻撃を仕掛ける。が彼女の反応は早かった。素早く背後へ斬りかかる。こちらは落下の最中だったので、素早い方向転換はできない。したがって攻撃を受けるしかない。
ナイフで攻撃を弾きつつ、体重をかけてプリンセスを蹴倒した。左腕によって、彼女の右腕を封じた。右手に握ったナイフは地面に叩きつけて離させる。重すぎる頭が災いして、プリンセスの動きは平時に比べれば鈍かった。重ねて、酒と運動で体温は鰻登り。……暑かったのだ。
最初に謝辞を述べてから、彼女の鳩尾に拳をうちこんだ。軽く汗ばんだ額を拭った。
「ふぅ、プリンセスは本当に強くなりました。例え一撃でも、この僕が手こずらされるとは」
倒れたプリンセスを見やる。
「傷をつけないようにという、制約のせいもありましたけど」
聖水と薬草をかけられたプリンセスは手足をバタつかせた。彼女は目覚めていないが、仮面が抵抗しているらしい。
「ウワ、プリンセス暴れないデ!」
押さえつけようとした商人を逆に押し退けて、また逃げようとする。せっかく苦労して捕まえたのに、ここで逃がしては面倒だ。
プリンセスを追おうと動きかけ、マイセン=ヒルデガルドの杖で止められた。
「ミハ、捕獲」
「分かったよ、マイセン」
マイセンの短い視線の合図で、即座に行動する忠犬ミハエル。大きな手でプリンセスの頭を掴み、口中で何事か呟いた。
「鬱陶しいよ。こんな陳腐な呪いが僕に敵うとでも思ってるのかな。人間って本当に愚かだよ……」
いとも簡単に仮面を外してみせた。彼は本当に人間なのだろうか。マイセン=ヒルデガルドも驚いている。
「へ、ミハ? お前プリンセスの呪い、解こうと思えば解けたのか?」
にこにこと何でもないことのように自称悪魔は微笑んだ。
「うん。でもマイセンが胡散臭い商人に任せるって言うから黙って見てたんだ。でも、あんまりマイセンの手を煩わせるから解いちゃった」
