ギルカタールの理髪師~新たなる可能性~
3.マルガリータ VS 呪いのツタンカー面~ザ・ハムレット~
――更に後日。
「ご主人様……どうしたんですか」
蒼褪めたチェイカに恐る恐る話しかけられる。
「何でも……何でもないわ」
一人にしてほしい。頭に布を被せて、如何に外出するか考えている。
確かにカーティスはナイフ捌きならば一流だ。だがしかし、理髪師の技術というものは別のところにあるらしい。身を以って知らされた知識だ。
「マスター……何か、お手伝いしましょうか?」
「ありがとう、アルメダ。でもいいの。……約束だから」
何のことを言っているのか解せない、と二人の顔は物語っていた。むしろ、わからなくていい。
「砂漠の国らしく、頭からスッポリ隠せるヴェールみたいな方が良いのかしら。こう口元を隠して……」
取引を成功させるのは大事だ。しかし乙女としてはこんな髪型で往来を歩く訳にはいかない。ここは譲れない。だが簡単なものではすぐにカーティスに外されてしまう。
既に太陽が沈んで半刻……、私は朝からずっと一人ファッションショーをやっていた。
結局、夜にカーティスと会う。さっきからカーティスは五月蝿い。
「ねえ、プリンセス・アイリーン? 本当にどうしちゃったんです?」
「なにが?」
声がくぐもる。カーティスは非常に困惑している。
「何がって……どうしてツタンカーメンみたいなお面を被っているんです? 重くないですか? それに蒸しませんか?」
重いに決まっているし、もちろん暑い。――だが、しかし。
「面を取れって言うの? だったら無駄よ。取れなくなっちゃったんだもの」
カーティスは更に困惑したようだ。恥ずかしさは既に通り越し、装着の不快感から、私のイライラもピークに達して、ついつい八つ当たり気味になる。
「それに今コレを取るぐらいなら丸坊主にしてやるわ。ついでにあんたも丸刈りにしてあげる」
だいたい今の髪型を見られたくないから、こんなものまで被ってしまったのだ。元はと言えば、このアホのせいだ。
「そんなこと言わずに。あなたの可愛い顔が見られなくて、僕は残念です。せめて……せめて帽子とかヴェールとかもっと選択肢はあったはずでしょう? どうしてよりにもよって、宝物庫から持ち出してきたような、可笑しな被り物なんですか?」
カーティスはすかさず手を伸ばして、取り外そうと試みる。頭から揺らされて、足元が覚束なくなる。三半規管が思う様に蹂躙(じゅうりん)されて、リバース寸前に陥った。
慌ててフックをお見舞いする。変な体勢で殴ったけれど、カーティスを引き剥がすことには成功した。
「っっつ……。何するんですか、痛いですよ」
「何するのはこっちの台詞よ。私は昼ご飯の残骸と再会したくないのよ。あとコレ、かなり特殊だから、無理矢理取ろうとしても無駄よ。今度やったら……間違いなくあんたを嫌いになる自信があるわ」
狭い中で呼吸をゆっくりと整えながら、脅しを吐き出した。取りつく島もない様子に、カーティスは重い溜息を吐いた。
「プリンセスって本当にときどき可笑しなことやりますよね……。突発的すぎて僕、どう反応して良いか分かりません……」
自分でも間抜けなことをしたと自覚している。頭からすっぽり被るタイプの面を試しに被ったところ、取れなくなってしまったのだ。首から上がまるで銅像のようだ。確かに重すぎて肩がこる。
そんな私を、カーティスはお気に召さないらしい。
「取って下さいよ。せっかく僕が切ってあげたのに勿体ない」
「うるさい。私だって取れるものなら取っているわ。でも取れないの。だからさっきから誰か取ってくれそうな人を当たっているのよ」
王宮内の人間では誰も取ることができなかった。王族ということもあって、私を傷つけずに面を外すのは大変難しい。しかも呪いがかかっているらしい。
「あー最悪。なんでこんなもの、とっとと売らなかったんだろう。時間が勿体ないじゃない……」
以前、宝物庫に忍び込んだときに見つかりそうになって慌てて持ち出してきたものがコレだ。適当に掻っ攫ってきたから、よく検分すらしていなかった。
「あれ? おかしな面が歩いてると思ったら、プリンセスじゃーん」
似合ってるぜ☆と、通りの向こうからやって来るマイセンとその従者。毎度毎度ひとの神経を逆撫でするのが上手い。マイセンの後方に控えているミハエルは、ブツブツと何か文句を言っているが、あまり精神に良くないことだ。
面の中で、びきびきと血管の音が鳴る。カーティスは先ほどから無言で笑みを作っているが、目が笑ってない。
「うっさい。ほっといて」
マイセンを通りすぎようとする。擦れ違いざまに、マイセンの意味深な言葉が耳に吹き込まれる。
「それ。よくない魔法がかかってるな」
驚いて立ち止まる。どうして見ただけで分かるのか。カーティスの目が一層細められる。
「何か、知っているんですか?」
「マイセン。こんな女に構うことなんてないよ。行こう、マイセン? 例え、この女が一生面を被ったままでいようが、面に操られようが関係ないよ」
カーティスの質問を掻き消して、ミハエルは凄く凄く聞き捨てならないことを呟いた。マイセンはミハエルを無視して、私及び面をじろじろと観察しだした。
「珍しいものではあるな。俺で解けないこともないけど専門じゃないからなー……。ユウの方が良いかもな。あいつなら珍しいものを喜んで買い取りたがるだろうし、そのためなら何でもやりそうだ」
居心地が悪いし、何より自分の置かれた状況が理解できない。
「ちょっと。一生ってどういう意味よ? 操られるって何?」
カーティスが音もなく、マイセンの方へ踏み出した。間合いを詰めている。
「聞き捨てなりませんね。プリンセスが今どんな状況でどうなってしまうのか。詳しく説明して下さい。ご存知なんでしょう?」
顔は相変わらず穏やかではあるが、静かな殺気に満ちている。一点集中させて、ナイフのように研ぎ澄ませたような殺気を漂わせている。
「今のプリンセスは、殺人鬼の魔法にかかる一歩手前ってところだな。プリンセスは女神シモンの生まれ変わりだから、しばらく耐えられてるんだろうけど。だがその内、血を吸う仮面に操られて、ギルカタール一の大量殺人鬼になっちまうな」
「さっ殺人鬼?!」
「ええ~っ、マイセン! 本当にこの女を助けるつもりなの?! 信じられない……。僕どうしたらいいのか分からないよ……殺したい。こんな女殺した方が良いよ。殺しちゃって良いよね、マイセン?」
ミハエルの赤い瞳が、濃い血の色を帯びる。本気で私に殺意を抱いているようだ。
殺気などものともせずに、マイセンは耳をかっぽじりながら薄笑いを浮かべている。戦う前から己が勝利を知っているような顔だ。
「え? なに、ミハはプリンセスのこと助けたくないの? 俺は助けたいんだけどな~。プリンセス可愛いし」
「助けたくなんかないよ! それに可愛くもないよ! マイセンの方がずっと可愛くて甘くて美味しいよ!」
……何の食べ物を褒めているのか分からない。それはともかくとして。珍しくマイセンに、あのミハエルが声高に異議を唱えている。いつもマイセンの言うがまま、されるがまま、偶にマイセンの言うことも聞いていない、あの男が。
「あっそ。そうかそうか。ミハはもう一人で決められるようになったってことか。じゃあ俺はもう要らないよなー。いやあ~、残念残念」
ミハエルの賛辞は全て華麗にスルーしたマイセンは、私の肩に手を回して歩き始めた。
「それじゃ酒場に行こう、酒場に。ユウはいつも夜、酒場にいるんだ」
「え、ちょっとちょっと」
マイセンの首筋にカーティスの短剣が添えられた。首の皮が一ミリほど切れて、赤い筋を描いている。
「プリンセスから離れて下さい」
「なに? 助けて欲しいんだろ? このぐらい許容しろよ、カーティス=ナイル」
「嫌です。僕、我慢するのは嫌いですから」
にこーっと返すカーティスの微笑みに、マイセンはむすーっとして、私の肩から手を離した。
「ケチだな」
「僕はケチじゃありません」
なんか前にもそんなやり取りをしたような……。物騒な雰囲気の中で、のん気にそんなことを思った。
「わあ~ん、マイセン! マイセンマイセン、僕やっぱり一人じゃ何にも決められないから、捨てないで~っ!!!」
なんか金髪で美形な男が泣きながら走ってついて来た。
