ギルカタールの理髪師~新たなる可能性~
2.被害者多数
――後日。
「聞いて下さいよ、プリンセス」
不貞腐れた様子のカーティスが寄ってきた。
「もう三日も経つのに、誰も……誰も気づいてくれないんです。こんなのって有り得ません」
まるで拗ねた子供のようだ。こういう言い方をするものだから、妙に子供っぽいと思われるのだろうか。
「何に気づくって?」
見当のつかない私に、カーティスは苛立たしげに答えた。
「だから髪ですよ、髪の毛。あなたが切ってくれた!」
――ああ、そうだったっけ。
「僕、自慢したいんですよ。あなたに髪を切ってもらえたこと。なのに部下の一人も気づいてくれない。殺してあげようかと思いましたが、取りあえず思い止まって、部下たちの頭に一つずつ、ハゲを作っておきました」
「かわいそう……。当分人前に出られないじゃない……」
「部下たちに同情しないで下さい。かわいそうなのは僕の方です」
それは……かわいそうな、天下の暗殺者ギルドの長のファッションにどうこう言う勇気がないだけなのでは。本当に気づいてないのかもしれないけど。「誰でも良くなってきたので、ミハエル=ファウストに自慢してきました」
「なんでよりにもよって、アレなの?」
「いえ、偶々最初に見かけたのが彼だったもので。……そしたら何て返ってきたと思います?」
カーティスの不機嫌に拍車がかかってきた。暗殺者対自称悪魔のやり取りが目に浮かぶようだ。
「あの女に髪を切られて喜ぶなんて、頭おかしいんじゃないの?」
ギルカタールの往来で、金髪の美男子は高い鼻でせせら笑った。珍しくもミハエルは一人だったようだ。だが余計悪い。危険ブツな彼を止められる人物がいない。人間と見れば侮蔑の対象にすぎず、血のように赤い目は嫌悪に歪められている。
彼にして見れば、マイセン以外の人間は皆、虫けら以下の存在であるらしい。その中で一応アイリーンは識別されてはいるらしい。彼女にとってはあまりありがたくない事実ではあるが。
「散髪なら僕の方が上手にできる。あ、でも切るのはマイセンだけだからね。マイセンの髪に誰か他の奴が触るなんて許せない。耐えられないよ……殺しちゃう」
カーティスも負けてない。……頭のネジの飛び具合が。
「誰が金貸しのエセ賢者の髪を切るというんですか。あんなハネまくっている髪、切ったってなかなか判りませんよ。無意味です。それにプリンセスの腕前の問題じゃありません。プリンセスに髪を切ってもらえたこと自体が凄いことなんですよ」
そんなこんなでギャーギャーと口喧嘩したそうだ。そのうち殺す殺さないの話に発展して、マイセンが仲裁に入って、やっと別れたそうだ。
「頭痛い……」
あと恥ずかしい。これ以上犠牲者?を増やす訳にはいかない。カーティスは人を煽るのが上手いので、自慢すれば間違いなく相手を怒らせる。奴の髪を切った責任で、私がアフターケアをしなければならなくなる。
「いいじゃない。似合ってるんだから。他の誰が気づかなくても、私たちだけわかっていればいいじゃない」
「そう言ってくれるのはあなただけです……。他の婚約者候補もそれはもう酷いことばかり……。うっかり本気で殺そうかと」
「まだ他にも会ってたんだ……」
そう言えば、タイロンとか疎遠であったはずのスチュアートでさえも、髪を切れとか唐突に脅されたっけ。唐突で意味が解らなかったけど。あと変な迫力があって怖かった。しかも最初に髪を切れと言われたときはナイフを突きつけられて、殺されるかと思ったほどだ。
怖かったので、毛先だけ整えてあげたことを覚えている。それでも彼らは満足気に引き上げていった。
「プリンセス・アイリーン。いくら言い寄られても、決して僕以外の人間の髪は切らないで下さいね。僕だけの特権です」 私の髪をそっと掴んで引き寄せた。でも、私は視線を明後日の方に逸らす。
「え……と、ど、努力する」
まずい。既に事後だ。しかもカーティスの奴、これからも私に髪を切らせる気だ。段々性質の悪い仕返しに思えてくる。
「さ……散髪技術も会得しといた方がいいのかしら」
なるべく違う方向に話を持っていきたいのだが。
カーティスの手から髪の毛が滑り落ちた。
「誰です?」
いつの間にか剣呑な目つきになっている。近くに敵がいるのかと思った。
「……は?」
「あなたが今までに髪を切った人の名前を教えて下さい。ちょっと行ってサクッと殺って来ます。そうすれば、プリンセスに髪を切ってもらえた人は僕一人です」
「待ちなさい!」
サクッと殺るな。尤もサクッと殺られる連中ではないが。
危なすぎる思考の、恐るべき暗殺技術の持ち主。何でこんなのを好きになってしまったのだろう。こんな最高に面倒で、普通から最もかけ離れた人を選ぶなど、正気の沙汰とは思えない……。
カーティスは待ったをかけられて、余計に気を悪くしたようだ。
「なんです? 庇うんですか」
「庇わない。でも髪を切った切らないで人を殺すのは普通じゃないわ。私は普通の人が好きなの」
それでも私はカーティスが好きなのだ。普通の人じゃなくても構わない。恋愛は理性とは別のものが働いている。
「つまり、僕に普通になれと言うんですか」
「無理ね。でも、なるべく普通でいて欲しい」
しばらくお互い睨み合って、カーティスが先に目を逸らした。
「……プリンセスのお願いでは仕方ありませんね。南北の御曹司たちは命拾いしましたね」
――知ってて聞いてきたのか。何つー性質の悪い……。それがカーティスがカーティス=ナイルであることの証明と言うか、何と言うか。その情報網は完璧に公私混同されている。
「それでは妥協案を提示しましょう。あなたの髪を切っていいのは僕だけにして下さい」
私の髪を一房掴んで、口元に寄せる。いやに気障ったらしい仕草なのにドキドキする。……艶っぽい。別に口説かれている訳でもないのに。
「……いいわ。好きにして」
素直に従ったのに、カーティスはまだ浮かない顔をしている。
「……僕、抵抗された方が燃えるんですよねー。つまらないです」
……何を言ってるんだろう。つまらないってなんだ。色々ついていけない。
「つまらないので……抵抗されるように悪戯をしましょうか」
思いつきをおもむろに実行に移そうとする。そもそもカーティスは面白いと思えば何でもやる男なのだ。
「……止めて!」
必死で抵抗する私に、カーティスは満足気に頷いた。
「そうそう、プリンセスはそうでなくてはつまらない」
